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僕の後輩  作者: 御馳走
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まずは僕の話

 僕は陸上の名門校に入学していた。中学時代も陸上をやっていたからという、安直な理由から陸上部に入部し、全国を狙うような選手がウジャウジャといるような環境に、自ら足を踏み入れてしまった。

 当然そんな中途半端な僕が強豪校の練習に耐えきれるわけもなく、一年生の最初の大会では散々たる結果を残した。中学時代の自己ベストすら越えられなかった僕は、意気消沈してしまい、部活を辞めようかと考えるほどだった。

 そんな惰性で部活を続けていたある日の部活前、グラウンドで軽く体操をしていると、顧問に大声で名前を呼ばれた。恐る恐る見やると、どうやらお客が来ている。お客が来ているなら、叱られることもあるまいと僕は足取り軽く駆け寄った。


「どうです?身体はデカいし姿勢だけは良い。体力も気力もありませんが…。」

 呼ばれて、近づいて、けなされて、初対面への印象付けとしては大変いただけないと思う。これに対して頭頂部の怪しいお客は、

「やってみないと何とも言えませんけれどね~。もしかしたら素質があるかもしれない。」


 否定もフォローもなし。置いてけぼりに温厚な僕も流石に苛立ち始めた頃、ようやく顧問から説明が入る。


「おう、こちらは日本競歩協会審判員の方だ。新年度からお前のコーチになる方だからな。連絡先聞いておけよ。」

 突然の宣言に僕は完全なアホ面をしていたんだろう。未来のコーチが吹き出した。

「ぷ、はははは。面白い顔してるよ君。どうだい?私と一緒にトップクラスを目指してみないかい?」

「は、はあ……。自分なんかがどこまでいけるか分かりませんが……。」

「そりゃ分からないよ。まだ挑戦すら始まっていない未来の話だ。でも君にやる気が有るなら、私が強くしてやろう。君が今のまま、練習に付いていけず集団から離れ、せっかくのタータントラックに立ち入ることを許されず、隅の芝生で走るだけの部活動に満足できるのならば、私はこのまま帰ろう。君の意志を尊重したいからね。」


 僕がこうしている間に今日の練習は始まっていた。同じ練習メニューをこなせない僕が、いようがいまいが部員は待たない。当然のことだ。いれば足手まといになる。チームの雰囲気も下げる。戻ってこないでほしいと思っている先輩もいるだろう。だったら、こんな状態なら、このコーチに教えてもらって、チームから離れたほうがいいんじゃないかと思った。


「ぜひ、よろしくお願いします。」

 気づいたらそう言っていた。

「それでは競歩コーチとして新年度からよろしくお願いします。」

 顧問がにこやかにコーチへ手を差し出す。コーチもその手を握りながら、

「新年度からなんて私は承諾した覚えありませんよ。」

 と返した。今度はアホ面が二人になったようだ。

「へ?」

「明日の朝からです。君、始発なら何時にグラウンドに着くんだい?」

 静かな笑みと共にそう言い放ったコーチに、正直に答えるしかなかった僕は、この名門校に単独で乗り込み自分の選手を欲しがるような人物が、甘いわけなかったと気づいた。


 強豪でなくても名門でなくても、朝練をやっている人は珍しくないだろう。僕の通っていた学校でも多くの人が朝練に勤しんでいた。でも午後の練習と同じ比重のメニューを、マンツーマンで教われた人は、なかなかいないんじゃないかと思う。朝はマンツーマン、夕方はメールで指示されたメニュー。といった形で月曜から日曜まで、長距離種目にありがちな、自分が何故こんな事してるのかという疑問を常に感じながら、僕は毎朝毎夕歩いていた。

 初めは競歩のルールも理解しないまま、コーチに言われた、つま先を上げて踵から着地する。という歩きを繰り返していた。普段使う筋肉とも走る筋肉とも違う筋肉を使うために、毎日筋肉痛に呻いていた。

 しばらくして筋肉痛がなくなり始めた頃、コーチが微笑みながら


「もう筋肉痛にはならなくなってきたんじゃないかな?」

 と聞いてきた。僕は筋肉痛になったことも、なりにくくなったことも言った覚えはないのだけれど、よくもまあ分かるものだ。尊敬というより畏敬の念を抱く。

「そうですね。最近動き易くなってきました。」

「見ていればそれぐらい分かるもんだよ。例え君が何も言わなかったとしてもね。」

 考えていることすら分かるようだ。

「それでは競歩の正確なルールを教えよう。君、英語は得意かい?」

「正直言って苦手です。中学一年レベルまでならなんとか……。」

「その程度で十分だよ。『ロス・オブ・コンタクト』と『ベント・ニー』を訳してみなさい。」

 その程度と言われてしまった。英検五級の意味が否定された気がする。

「『接さない』と『膝曲がり』?」

「そうだね。それが競歩のルールだ。」

「はあ」

「もっと細かく言うのなら『両足が地面に接していない瞬間があってはならない。』と『接地時から足が腰の真下にくるまでの間、膝が曲がってはならない。』だね。当然転んだりした不慮の場合は除くよ。」

「つまり腰より後ろでならば膝が曲がってもいいんですね?」

「でなければペンギンのような歩きが強いられるだろうね。人間の体の構造上後ろでは自然と曲がるから、意識して曲げる必要はないよ。」

 ペンギンのような歩きでトラックを歩き回る選手達を想像したらなんだか笑えてくる。

「それでは自分はこれからその歩きをすればいいんですね?」

 笑いをかみ殺しながら聞くと、

「君はもうその歩きをしているよ。ロス・オブ・コンタクトに関しては最初から指導していたし、その状態でより早くより遠くに、踵から接地しようとすれば自然と膝は伸びるからね。」

 いつの間にか競歩させられていたようだ。この人は魔術師か何かなのだろうか。

 「来週からの新年度、後輩ができたら教えるのは君だよ?私も本業が忙しくなるから、基本的にはメールでの指示になる。土日は一日中見ていてあげられるけどね。」


 コーチは微笑みながら僕の肩に手を置いた。僕は何からかは分からないけれど、逃げられないことを悟った。


 これは彼と出会う一週間前。

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