博士の異常な発明《トンネル効果篇》
「博士! また何か作ったんですか?」
助手は博士の部屋に勢いよく入り込んだ。
「ああ、やっと来たね」
博士は助手の顔を認めると、手招きして呼び寄せた。
「この間のことで、まだ懲りてないんですか?」
頭に包帯を巻いて、松葉杖をついた助手は、いつも通り足の踏み場もない博士の部屋を進んでいく。前回の博士の発明では、大金が舞い込んでくるなどと言っていたが、まさか空から金塊が降ってくるとは思わなかった。お陰で、散らかってこそいたが堅固だった研究所は、べこべこになってしまった。至る所穴ぼこだらけで、その修理も金がないので、間に合わせで板を張り付けただけの状態だ。
金塊は降ってきたが、結局然るべきところに回収され、保険も適用外だったために、こちらには修繕費と医療費として、雀の涙ほどの金しか入ってこなかった。
「あの装置はバタフライ効果の応用だったからね。カオス理論に頼るところが多くて、無作為的な結果を起こしてしまった。まったく、想像もしてなかったよ」
博士も助手同様に怪我を負っていたはずだが、何をどうやったのか、もうすっかり良くなってぴんぴんしていた。
「落としたものを拾ってやったんだから、一割くらいくれてもいいものなのにな。あんな金じゃ研究の足しにもならん」
「じゃあもうそろそろまともな研究をしましょうよ」
うんざりしたように助手は言う。
「いやいや、これしきのことでめげては、研究者として一人前とは言えないよ。私を研究に駆り立てるものが何か、わかるかね?」
「科学への探究心ですか?」
すると、博士は蔑むように噴き出した。
「科学への探究心! よくぞ臆面もなくそんな恥ずかしいことが言えたものだ。そんなんじゃ腹の足しにもならん。いいか、金だよ。金。金への執着心こそ、私を突き動かす動力源なのだよ」
助手はこれ以上ないほど、引いていた。
「わかりました。それで、発明はどれです」
博士は例の机の上に置いてあった、立方体の装置を指し示した。
「いつものように、見た目では全くわかりませんね」
「まあ、これは、なんというか、すり抜け装置だな」
「すり抜け?」
「そうだ。理論的には量子力学のトンネル効果を、エヴァレットの多世界解釈を用いてマクロな世界で適用した、巨視的トンネル効果を95%の確率で発生させる装置、とでもいうべきかな」
「巨視的トンネル効果なんて、オカルティズムの良い例ですよ。それは流石に無理があるでしょう」
「またそうやって、理解できないものを、疑似科学だといって否定する。君の悪い癖だよ」
「量子は波でもあるからこそ、トンネル効果を起こすんですよ」
「身近な例で言えば、声のような音波だって、トンネル効果を起こしているし、我々の身体だって、それぞれ固有の振動数で振動しているんだ。ただ物体自身の大きさと比べると、振動が微弱すぎるのが問題なんだ。この装置はそれを解決するためのものだ。とにかく、ここで話していても生産性がないから、これから実証実験をしに行くぞ」
「行くってどこに?」
助手の質問には答えず、博士は装置を持って外へ向かった。
*
二人は、車で町まで行くと、博士は銀行の近くで車を停めた。
「そういうことですか」
助手は呆れたように溜息をついた。
「そう言うな。これはただの実験だよ。……まあ、偶々成功して、入った先が偶々金庫の中で、偶々中の金塊が懐に入ることもあるかもしれないが」
「世間では、それを強盗というんですよ」
「私は、世間から隔絶された身だからね。そういう事はわからん」
惚けた様子で、博士は装置を車から出し、着実に準備を始めた。何やら、地図を見ながら、装置の位置を微調整している。
「何ですかそれは」
「銀行の設計図だよ。昔手に入れたものだが、いくら改装を繰り返していても、金庫の位置は滅多なことじゃ変えないだろうからな。これでも十分だ」
盗る気満々じゃないか、と助手は心の中で再び溜息をつく。その間に、博士は準備を終えたようだ。
「さあ、あとは装置を作動させるだけだ。頼むよ」
「我々が観測してない金庫の中ですからね。もしかしたら中身は空っぽかもしれませんよ」
「コペンハーゲン解釈を持ち出して、止めようとしても無駄だよ。私が中に入れば、その瞬間に観測可能となって、波動関数が収束し、金庫の中身が出現するはずだ」
諦めた助手は装置のスイッチを入れた。
博士は何のためらいもなく、銀行の壁に向かって進み、まるでそこに何もないかのように、壁を通り抜けていった。さながら、魔法学校を舞台にした、某ファンタジー小説の主人公たちのように。
「まさか、本当に成功するなんて」
助手は目の前で起こった現象を信じられずに、口をあんぐりと開けたまま呆然と立ち尽くしていた。
*
金庫の中に無事侵入した博士は、
「我ながら素晴らしい発明だ。まさしく大成功だ」
金庫の中を満足気に眺めると、軽い足取りで物色を始めた。
しかし、金庫の中は、かなりすっきりとしていた。ロッカールームのように、大量の小さな金庫があるが、カギがないので当然開かない。奥のほうには、中に金塊を入れるための檻が設置されていたが、中身はもぬけの殻だ。
「金がないじゃないか。こんな小さな町の銀行に、そんな大金預ける奴などいないか……。残念だが、他の銀行を当たるか」
博士は諦めて戻ろうと、壁に向かって走って行ったが、壁は博士を拒絶するように、跳ね返した。勢いで床に倒れこんだ博士は、ようやくその問題に気づいた。
「しまった。あの装置がなければ、こっちから外へ出られないではないか! おおい、装置をこっちに持ってこい!」
ガンガン、ガンガン。
壁を叩くものの、音は金庫の中に反響するだけで、外へは全く聞こえない。
*
壁の外では、相変わらず助手が呆けた顔で博士の帰りを待っていた。
その背後で、二人の通行人が話をしていた。
「そういえば、あの銀行潰れたんだな」
「そうなのか? 知らなかったよ。それで、何か新しい店が入るのかな」
「いや、数日後に取り壊すらしいよ。金庫は無駄に立派だったけど、それもスクラップ工場送りさ」
「へえ、まあ、仕方ないな」
*
「おおい、出してくれえ! 誰かあ! 誰かいないのか!」
博士は続けて、金庫の入口を叩き始めたが、やはりその音は、外へは聞こえてこない。聞こえたところで、それに応えてくれる人は、誰もいないのだ。博士は焦りを感じて、冷や汗を垂らしながら必死で声高々に叫んだ。しかしながら、その音波がトンネル効果を起こすことはなかった。
再び滅茶苦茶理論の話です。深夜に勢いで書くのがいけないですね。