後編
「結局のところ、その鍬ってなんなの?」
そんな事を千野に向かって面と問いかけてきたのは、千野が仲良くしている村の子供だった。
様々な用途に使われる鍬は、子供たちの目から見てもとても特別なものに見えたのだろう。まぁ、事実特別なものだが。
それは、いつものように村でご飯を食べて、子供たちと遊んでいる中で交わされた会話だ。
「私の一部だよ!」
千野の答えはそんな簡潔なものであった。
別に大切な鍬がどういうものなのか、というのは千野にとって隠す事でもなかった。
「一部?」
「うん、私がキノコの娘としてこの世界に体現した時にはもう持っていたんだよ」
にこにこと千野は相変わらず人を元気にさせるような明るい笑みを浮かべている。千野がキノコの娘としてこの世界に体現したのは、もう随分昔の事である。
長い時が経過し、自身がこの世界に生まれてどのくらいの時が経過したのか、千野は自分で正直覚えていないほどであった。だけれども、生まれたその時から今も愛用する鍬はずっと自分の側にあった。
キノコの娘の発祥の原因は正直よくわからないものだ。だけれども、キノコの娘たちは生まれたその時から自分たちがどういう存在か知っている。自分たちがキノコをよりどころとするキノコが何か知っている。自分にどういうことが出来るのか知っている―――。そういうものなのだ。
そして千野はずっと自分の側にあった鍬がどういうものなのかももちろん知っていた。
「本当に特別な鍬なんだね」
「うん、特別な。私だけのものだよ」
にこにこと笑って、千野はそんなことを言った。
その翌日、鍬が盗まれた。
千野が眠っている間に鍬を持って行かれたのに気付いてなんていなかった。だけれども、千野の目には焦りはない。
「何で盗むんだろうね。あれは、私の一部なのに」
なんて口にしながらも、自分の大切な”鍬”の気配がする方へと歩いていく。そこに一切の躊躇いはなく、真実千野は自分の鍬が何処にあるのか知っていた。
歩いた先――そこは、いつも千野が訪れている村の一角だった。
離れにある家の中を、窓からのぞく。そこには、千野の鍬が置かれている。その目の前には、げへへと怪しげに笑う商人と村人の一人が居た。その村人は、先日子供に鍬の説明をしている時に近くに居た若い男だった。
どうやら千野の鍬を売ろうとしているらしい。
”キノコの娘の、特別な鍬”。
そういう付属的な名前がついているだけでも、値段が跳ね上がるだろう。なんせ、キノコの娘は、本当に特別な存在だ。人間とは異なり、それぞれが特別な能力を持ち合わせていたりもする。
そんなキノコの娘の持ち物というだけでも、他にないものであるのだ。
千野はその様子を見て、苦笑を浮かべる。
怒りはそこにはない。別に、お金が欲しいから鍬を持っていくとか、千野自身を売ろうとするとか、そういう人間が今までにいなかったわけでもないから、特別怒ることでもない。
人間には、善い人も、悪い人もいる。
千野はそれを知っている。だから、人間全体を憎むなんてそんな面倒な真似なんてしない。そもそも千野は人間が基本的に好きなのだ。短い人生を精一杯生きている人間が。
商人と村人は千野が見ている事に気づいていなかった。
だけれども、次の瞬間彼らは見開いた。
鍬が、一人でに動いたのだ。
宙に浮いたそれを見て、得体のしれないものを見る目を鍬へと向けている。鍬が振り下ろされる。びくりと二人は反応して鍬から距離をとる。
千野は扉の前に立つ。鍬は徐々に上下しながらドアへと向かっていく。
千野が扉を開けた時、それは自然な感じで千野の腕の中へと納まった。現れた千野を見て、商人と村人は青ざめた。だけど、千野は怒りも何もせずに相変わらず笑ってる。
「残念だったね! これ、私専用で、何処にあるかすぐにわかるし、勝手に私のもとに戻ってきたりもするんだよね! だから盗んでも意味ないからやめてね?」
にこにこ、と笑っているのが逆に恐ろしいのか二人はそれに必死にうなずくのであった。
―――千野の鍬は、彼女専用。他の人は使う事は出来ない。
「紫蜘、聞いて! 私の鍬盗まれそうになったんだよ」
「え、そ、それ大丈夫だったの?」
「うん、問題なし、だって、これ、私にしか扱えないもん」