こどものひ
「もしもし? 勇人くん? 私メリーさん。今あなたの家の前にいるの」
ケータイを取るや否や、元気な声が耳に入ってくる。今日休日だろ? なんで朝8時に電話かけてきてんの? しかも俺の家の前から。暇なの? 阿呆なの? 俺ら恋人ってわけでもないし。じゃあ何なんだよ。うーん、ともだち……と言い切るには親密すぎる気もするし。
「今何時だと思ってんだ……」
とりあえず、こう返す。カーテンを開けて(俺の部屋は2階にある)下を見ると、ピンク色のカバーをかけたスマートフォンを耳に当てた、やや小柄な少女がぴょんぴょん跳ねている。赤いゴムで縛った黒いツインテールもぴょんぴょん跳ねている。メリーさんこと里香は今日も元気そうだ。
この後ずるずる引っ張り出されて、どこかに一緒に遊びに行かされることは目に見えているが、ささやかな抵抗をしてみようと思った。レコンキスタも700年くらいかかったし、継続するのは大事だよ。
「日付変わってから8時間経ってもうお日さまもちゃんと上がってるじゃん! ねえ、あーそぼー」
いつの間に語尾にハートマークがつきそうな声の出し方を覚えた……電話越しでもわかるって相当だな。窓の外ではこっちにウィンクしてきてる。
でも、今日は外に行きたくない。家でぽけーっとしたい。
僕は!!! 君が!!! 折れるまで!!! 抵抗を!!! やめない!!!!
「せっかくの休日だし外行きたくない。家でのんびりしてたい」
「そんなんだから妹さんに『ニートにぃ』って呼ばれるんだよ……ほら、着替えて出てきてよ」
仕方ない、屁理屈こねてみよう。
「いいか、里香。今日は何の日だ?」
「勇人くんとお出かけする日! いえーい!」
「いや、法律上で」
「こどもの日……だよね。 はっ!? 勇人くんに襲われる!!」
「どうしてそうなる」
脳内お花畑かよ。
「と……とにかく、今日はこどもの日だ」
「で、勇人くんは何が言いたいの?」
「いいか、日本語で『こ』と言ったら、必ずしも『チャイルド』を意味するわけじゃない」
「……?」
精一杯かっこよさげな声で、こう言った。
「孤独の『孤』を意味することもある。英語だとアローンだ。つまりだな、『孤ども』の日、ぼっち達の日でもあるんだ、今日は」
「な、なんだってー……かっこぼうよみ」
おお、いい返し。
「だいぶ返し方がわかってきたじゃないか。と、いうわけで。俺は今日は外には出ない。ぼっちを貫く」
休息は大事だよ。
「もう……話の分からない勇人くんにはお仕置きです!」
と言ったきり、電話が切れる。怒らせちゃったかな……
次の瞬間、我が家のインターホンが鳴った。えっ。
あっけにとられていると、また鳴った。ピンポンピンポンうるさい。たぶんあのままだと親が起きちゃう。まずい。
と、思っていると、階下で人の歩く音がして、インターホンが沈黙した。親が出ちゃったとすると後で俺が叱られる。
あーだこーだ言っていても仕方ないので、様子を見に階段を下りていく。
「鳴らしたってことは結局お兄ちゃんは電話出なかったんですかー、残念ですねー……」
妹がいた。
「いや、出たし」
「あ、お兄ちゃんだー、おはよー」
「なんだそのレアモンスターを見るような目は」
「だってニートにぃがこんなに休日の朝早くから起きてることってないじゃん」
「誰がニートだ」
「あー、お姉さん? 今お兄ちゃん降りてきましたー」
無視された。妹に無視されるとかかなしいよお兄ちゃん。
というかお姉さんって呼んでんのかよ、今知ったわ。
「……はい、あーじゃあ鍵開けますので入ってきてください、どうぞ」
……え? ちょっとまっていまこのひとなんていったのやばくねもしかしてぼくのへやあがるのたんまへやかたづけてないぐちゃぐちゃのままねえちょっとまっておい
「おい何してるんだよ」
「お兄ちゃん、あとでお茶持って行ってあげるからそれまでは我慢しなよ?」
「何をだよ」
色々と、か。色々となのか。
「改めて、おはよー」
「おう、人の家に上がりこんでまずそのセリフか」
「あ、ごめん……」
少ししょんぼりして伏し目がちになる里香。あれ、こいつ可愛い。なんかそそる。そそられる。
「すまん、きつく言い過ぎたかもしれん」
「ううん、いいの……お邪魔しまーす」
こやつ、一瞬で切り替えやがった。かわいくない。
「ねーねー、勇人くんの部屋どこ?」
「2階に上がって正面ですよー、札かかってるのでわかると思います」
「ありがとねー」
ちょちょちょ、ずけずけ上がってくな、ずけずけ。
話を逸らそう。
「それで、本日はどちらへお伴すればよろしいのですか、里香さま?」
「勇人くんの部屋ー」
ダメだった。
* * *
先に行ってしまった里香を追って自分の部屋に入ると、里香は俺のベッドの上にうつぶせになっていた。
「勇人くんのベッド……イイ……」
おい、今なんか片仮名で発音されたような感じがするのは気のせいだよな。
「おい、ベッドに座るのは許すから寝っ転がるのはやめろ」
主に俺の理性的な面で。
「ん、わかった」
やけに素直に、里香が起き上がってベッドに腰掛けた。そして、俺の方を向く。
「さて、勇人くん。私からお話があります」
精一杯、強がって見せている声は細かく震えていて。
「きょ、今日はこどもの日――『孤どもの日』、ひとりの方だよ、なんだよね?」
「あ、ああ」
「じゃあさ、勇人くん。今日はひとりぼっち同士だったふたりが、一緒になってもいい日なんじゃないかな……」
強引な論法な気もするが、ここはそういった茶々を入れる場面ではないのは分かっていた。
「だからさ、勇人くん――私と、付き合ってくれませんか?」
精一杯、真っ直ぐにこちらを見る目はえらく真剣で。
断る、なんて選択肢は存在しなかった。
「ああ、俺からも。里香、俺の恋人に――俺と恋人同士になってくれるか?」
「うん!」
あの瞬間、里香が見せた満面の笑みを、俺は生涯忘れることはないだろう。
二人して見つめ合ってぼーっとしていると、部屋の扉が開いた。
「おにーいちゃん♪ 飲み物持ってきたよー」
うちの妹がこんな声を出す時は、決まって何か企んでいる。
見ると、お盆の上に載ったコップは1つ。ストローが2つ差さっている。
「それじゃあ、二人とも楽しんでねー」
手近なところ(俺の勉強机)にコップを置くと、妹は出ていった。
それにしてもあいつ……分かってるんだか分かってないんだか。
「えっと……それ……どうする?」
「そ、そうだな……まあせっかくあいつが持ってきてくれたんだし飲もうか」
「そ、そうだね……」
立ち上がって、机からコップを持ってくる。
直角に折れ曲がったストローが2つ入っている。
「じゃ、じゃあ飲もう」
べべべ別に、ぜぜ全然恥ずかしくなんかないし! 恋人同士なんだからこれくらい普通だし!
コップに顔を近付ける。里香の顔も近付いてくる。そして……なぜかストローではなく、もっと柔らかいものと唇が触れる。
ぷにゅっとしてて、柔らくて、ほんのり甘かった。
……へ? 今キスしたの? 俺と? 里香が?
認識した瞬間、顔が真っ赤になる。ふと見ると、里香の顔も真っ赤になって、そっぽを向いてしまっている。
どうやら同じストローを目指していたようで。
「ご、ごめん……」
「もっと」
「へ?」
「もっとキスして……」
俺の彼女の――里香の瞳は心なしか潤んでいて、世界一かわいかった。