第五十五話 ふたりとの約束
正式に、クロードとのお付き合いが始まった。
……と言っても、世界がひっくり返るほどの変化が起きたわけではない。
手紙の往復は相変わらず続いているし、月に一度か二度、王宮か学院か、どこかで会う機会を作る。
ただ、その『いつもの日常』の端っこに、少しずつ『私たちの関係』が積み重なっていく感覚がある。
積み重なるたびに、指先が落ち着かなくなるのが困る。
違いは——会う時の緊張が、前より少し『理由のある形』に変わったことだ。
以前は「もしかして惹かれてる?でも違う?でも?」という正体不明の緊張だったのに、今は「好きな人に会う」という、はっきりした緊張になった。
……はっきりしているのに、心拍数はきっちり上がる。
結局、大して楽にはなっていない。
転生前の世界でも、恋人たちはこんなやり取りをしてたんだろうか……
凄いな……私なら心臓が持たない気がする。
「マリアンナ、また変な顔してる」
「してない!!」
「してる。手紙を持ってから三分、固まってた」
「……返事を考えてただけ」
「殿下からの?」
「……うん」
「どんなこと書いてあったの?」
「来週、時間が取れそうだから会いたい、って」
「……それで固まってたの?」
「固まるでしょ」
「かわいい」
「殿下に向かってかわいいと言わないで」
「殿下じゃなくて、マリアンナがかわいいんだよ。その顔が」
「うるさい!!」
セリアがころころ笑う。
私の手の中の封筒は、王宮の印があるのに、内容はやけに個人的で、そこがまた落ち着かない。
字面は落ち着いているのに、最後に一行だけ、『無理はするな』とか、そういう余計な優しさが添えられていたりする。
(変わったな、と思う)
十七年間——赤ちゃんの頃から、ずっと『セリアを守らなければ』という緊張があった。
ゲームの知識を頭に詰め込み、次の事件を予測し、先手を打つ。
気づけば、息を吸うのと同じくらい自然に『警戒』をしていた。
でも今は、その緊張が少しほどけている。
それは、『影の教団』がほぼ潰れたからだけじゃない。
セリア自身が『自分の未来は自分で決める』という転生者の意志を持っていて、私の手からもぎ取るみたいに宣言してくれたからだ。
(もう、全部私が抱えなくていい)
その感覚が、思った以上の解放感を連れてきた。
肩が軽い。呼吸が深い。自分でも気づかないうちに、顔の力が抜けているらしい。
「マリアンナ、最近なんか顔が柔らかくなったよ」
「柔らかく?」
「うん。いつもちょっと緊張してた、みたいな硬さが取れてきた」
「……そうかな」
「そう。いい顔してる」
セリアがにこっとする。
その笑顔を見ると、つい反射で『守らなきゃ』と思いかけて、すぐに飲み込める。
今は『守られるだけの妹』じゃない。横に立つ相棒だ。
「殿下の顔も最近、なんか優しくなったって、ランベルトさんが言ってたよ。『王太子殿下、最近笑う回数が増えた気がする』って」
「ランベルトが……」
「うん。二人が落ち着いてると、見てるこっちもほっとする」
「……ありがとう、セリア」
礼を言ったら、セリアが少し得意げに言った。
「どういたしまして。——ちなみに、ランベルトさんにはちゃんと告白してもらったよ」
「えっ!?」
「『友人として大切にしたい』って返事した」
「待って。告白されたの!?」
「されたから、ちゃんとお断りした。傷つけたくなかったから、正直にね。『友人としてすごく大切に思ってるけど、恋愛としては受け取れない』って」
「……ランベルト、大丈夫だった?」
「うん。ちょっと落ち込んでたけど、『そっか。わかった。友人として引き続きよろしく』って言ってくれた。いい人だよ、やっぱり」
ゲームのランベルトルートの悲劇を思えば——
セリアに友人として大切にされながら、自分の夢である騎士団長への道を歩んでいく未来の方がずっといい。
彼がちゃんと『生きる方』を選べるなら、それが一番だ。
「よかった」
「うん。エリオットさんも最近は研究に全力投球って感じで、あんまり私に絡んでこなくなったし——」
「エリオットは禁忌魔術への関心はどう?」
「それが全然なさそう。自分の魔術で成果が出てきてるから、変な方向に行く余地がない感じ」
セリアが私を横目で見て、にやっとする。
「マリアンナが早めに『成功体験』を積ませてたのが良かったんじゃないかな」
「……どこまで知ってるの」
「だいたい。マリアンナ、こっそり先生に研究テーマの相談してたでしょ」
「してない!!」
「してた顔だ」
まさか。こっそりやっていたつもりなのに。
結局いつも隣にいる妹には、全部ばれている。
「アレクシスは?」
「政略結婚が決まったってタイミングで、『相手に会ってみたら悪くなかった』って言ってた。恋愛っていうより、尊重し合えそうな相手と縁談が整った、って感じ」
「……それぞれ、いい方向に向かってる」
「うん。マリアンナがずっと地道にやってきたことが、ちゃんと実ってると思う」
セリアが私を見た。
「報われたね、マリアンナ」
その言葉が、胸の奥にじんわり沁みた。
報われた——そうか、報われたんだ。
十七年間の転生生活、全部が。
「……うん」
「泣きそうな顔してる」
「泣いてない!!」
「目が光ってる」
「気のせい!!」
「マリアンナ」
セリアが私の手を握る指が温かい。
「泣いていいよ、ほんとうに」
「……泣かない。こんなところで泣いたら格好悪い」
「格好悪くない」
「うるさい、泣かない」
「意地っ張り」
「妹に言われたくない」
セリアがくすくす笑う。
窓の外が少しだけ赤くなって、部屋の中の影が伸びていく。
「いつかちゃんと、泣いていい場所で泣いてね」
「……うん」
「約束」
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