第四十話 命令ではなく、個人的な頼み
事件から一週間後、クロードから手紙が来た。
業務報告への返書として届いた封筒は、王宮の印章が押されているだけで、いつもより少し重く見えた。
指先が紙に触れた瞬間、胸の奥がそわつく。
嫌な予感じゃないのに、落ち着かない。
開くと、最初の数行は事件の後始末の報告だった。
捕縛した者の処遇、学院側への通達、警備の再編。
淡々としていて、いかにも王太子の文章——なのに、途中から筆圧が変わった気がした。
後半に、こんなことが書かれていた。
『事件の夜に言いそびれたことがある。
マリアンナが無事だったことが、何よりも嬉しかった。
セリア嬢のためにいつも身を張るマリアンナのことを、僕は心から尊敬している。
同時に、心配でもある。マリアンナは自分のことを後回しにしすぎる。
次に何かある時は、必ずすぐに僕に連絡してほしい。
これは王太子としての命令ではなく、個人的な頼みだ』
読み終えた瞬間、呼吸の仕方を忘れた。
心臓が勝手に早くなる。手のひらが、じんわり熱い。
(個人的な頼み……?)
私は手紙を握り直して、文字をもう一度追った。
命令じゃない。頼み。しかも、個人的。
言葉の形が、妙に柔らかい。だから余計に、受け取り方が分からない。
ふと顔を上げると、向かいの椅子でセリアが、手紙と私を交互に見ながらにこにこしていた。
「なに?」
「なんでもない。ただ、マリアンナが手紙を読んでる顔、好きだなって思って」
「……何の顔?」
「嬉しそうで、でも困ってる顔」
「……見ないで」
「見ちゃう」
セリアがくすくす笑う。
私は誤魔化すように手紙を畳み、机の端に寄せた。
……寄せたのに、指が離れない。
返書の内容を考える。
正しいのは、きっとこれだ。
『個人的な頼みを受け入れます』
そう書けばいい。余計なことは書かない。感情は入れない。
なのに、便箋を前に筆を走らせると、勝手に文章が伸びていった。
『受け入れます。ただ、殿下も無茶はしないでください。殿下が無事でいることが、セリアにとって——』
書きかけて、止まる。
消して、また書く。
同じところで、また止まる。
『殿下が無事でいることが、セリアにとって』という文の続きは——
『私にとっても』だということに、書きながら気づいてしまったから。
(……ちょっと待って)
筆を置いくと、インクの匂いがやけに濃い。
部屋の静けさが、逆にうるさい。
(殿下が無事でいることを、私が心配している?業務的な意味ではなく?)
セリアの幸せのため、クロードルート上の人物として、彼が無事であるべきだというのはその通りだ。
でも今の気持ちは、それとは少し違う。
焦りに似ているのに、焦りだけじゃない。
胸の奥が、柔らかく痛む。
「マリアンナ。ちょっといい?」
「うん」
セリアが私の隣に移ってきて座り、静かな顔で私を見た。
笑っていない。いつもの軽さもない。だから、逃げられない。
「……マリアンナ、最近どう?」
「どうって?」
「クロード殿下のこと」
「……それは」
言葉が詰まる。
セリアは、ためらわず続けた。
「私は殿下と仲良くしてるよ。手紙のやり取りも続いてる。でも、殿下が気にかけてる人は——私じゃないと思う」
「え?」
セリアは声を荒げず、淡々と言った。
淡々だからこそ、彼女の真剣さが伝わってくる。
「殿下の手紙には、いつもマリアンナのことが書いてある。マリアンナはどうだ、マリアンナは元気か、マリアンナが最近……って。私への近況報告なんだけど、内容の半分はマリアンナの話だよ」
「……そんな」
「そんな、じゃなくて本当に。マリアンナ、気づいてなかったんだね」
言葉を失った。
否定も肯定もできない。私はただ、便箋の白さを見つめた。
「それとも、気づかないふりかな?」
「でも、殿下とあなたを——」
「マリアンナ」
セリアが穏やかに割り込む。穏やかなのに、はっきりしている。
「私はね、ずっとマリアンナを見てたよ。殿下のことが好きなのに、私のためって言い聞かせて、ずっと自分の気持ちを見ないようにしてるの、ぜんぶわかってた」
「……」
「なんで私のために自分を犠牲にするの?」
「犠牲じゃない。セリアのためなら——」
「私はマリアンナの幸せが見たい」
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