第二十六話 王立学院編開幕
春が来た。
王立学院の入学式当日。
私は朝から鏡の前で、髪の結い目と襟元の角度を何度も確かめた。
落ち着け、と自分に言い聞かせながら、指先だけが忙しい。
制服は紺色に金のトリミングが入った、いかにも『貴族学校』らしいデザイン。
私とセリアは双子なので同じ制服を着ているのに、銀髪に菫色の瞳のセリアと、金髪に灰青色の瞳の私では、同じ布でも印象がまるで違う。
セリアは光を集めるみたいに儚げな美しさが際立ち、私は……うん、どちらかといえば『普通の貴族令嬢』。
(まあ、それでいい。今日はセリアを輝かせる日だ)
馬車を降りると、学院の白い壁が朝の光を跳ね返して眩しかった。
広い中庭にはすでに人が溢れていて、制服の金があちこちで揺れる。
笑い声、緊張で引きつった挨拶、香水の匂い。
私はセリアの手を一度だけ握って、すぐに離した。
子ども扱いされる年齢じゃない。けれど、放すのが惜しい。
王立学院に入学する生徒は、貴族子弟の中でも選ばれた百五十名ほど。
王族や大貴族の子息子女から、才能を認められた中貴族の子どもたちまで、視線の温度も背負っているものも、みんな違う。
「すごい人だね」
セリアの声が少しだけ上ずっている。
「うん。慣れるまでは大変かもね」
「マリアンナは平気そう」
「……慣れた顔してるだけ」
実際のところ、緊張はしていた。
なんといっても今日から、ゲームの本編が始まる。
この学院の中で、セリアは攻略対象たちと出会い、様々な事件に巻き込まれ、悲恋か、唯一の幸せなルートかへ分岐していく。
その全部に、私は『便乗する』つもりだ。
便乗、というより、絶対に離れない。
十五年分の準備を、ここで無駄にするわけがない。
たとえ本編がどれだけ派手に動いても、私は端っこで舵を握り続ける。
いい顔だけを残して、悪い予感の芽は片っ端から摘む。
(よし……)
私は深呼吸して、入学式の会場を見渡した。
そこには、すでに見知った輪郭がいくつかある。
まず、騎士団長の息子ランベルト。
黒髪の端正な青年で、立っているだけで背筋が正しい。
剣を持っていなくても、すでに騎士の気配がする。
次に、宮廷魔術師見習いのエリオット。
白金色の髪が目を引く、少し気難しそうな青年だ。
周囲と距離を取る癖が、すでに見える。
隣国の王子アレクシスはまだ来ていない。
彼は設定どおりなら転入生として後から合流する。つまり、嵐はあとから来る。
そして——。
「マリアンナ」
呼ばれて振り返ると、クロードがそこに立っていた。
入学式の場だから礼装をまとっている。
金茶の髪が制服に映えて、翡翠色の瞳が真っ直ぐこちらを見ている。
ゲームで見ていたスチルの『クロード様』の面影が、ここ数年でぐっと現実に重なってしまって、胸の奥が一瞬だけ変な跳ね方をした。
(……本当に成長してる)
「殿下、お久しぶりです」
「三ヶ月ぶりだね。入学式、おめでとう」
「殿下もおめでとうございます。今年が三年生でしたね」
「そう。まあ、学院に来るのはもう慣れているけどね」
クロードは私の隣のセリアに視線を移した。
「セリア嬢も、入学おめでとう」
「ありがとうございます、殿下。これからよろしくお願いします」
セリアが丁寧にお辞儀をする。よし、二人の交流は順調。
私はそのまま半歩下がって、影に戻るつもりだった……のに。
「マリアンナ」
また私の名前。二回目は反則だと思う。
「はい?」
「困ったことがあれば、いつでも言って」
「……ありがとうございます」
「特に、例の件については注意してほしい」
「例の件、とは」
「『影の教団』だよ。学院内にも目を光らせる者を置いてある。でも、万一何かあれば——」
クロードはそこで、ほんの少しだけ声を落とした。
周りの雑音が遠のき、私の鼓動だけが近づく。
「すぐに僕のところに来て」
その言い方が、私個人に向けられた言葉みたいに聞こえて、胸がきゅっと鳴った。
いや、これは業務。王太子としての判断。保護の確認。そう、確認。
「……はい、わかりました」
「いい返事だ」
クロードが小さく笑う。
(なんで今笑うんですか……)
心臓がうるさい。ほんとにうるさい。
「マリアンナ?」
セリアが私の腕をつついた。
「……あ、なに?」
「また変な顔してた」
「してない」
「してたよ」
くすくす笑うセリアに、私は取り繕うように咳払いして、彼女の背中をそっと促した。
やがて壇上に教員が並び、式の開始を告げる声が響いた。
背筋が自然と伸びる。
式が始まった大広間で、私は決意をひとつ新たにする。
(学院生活では、絶対に気を引き締めなければ)
セリアを守ることに集中する。
クロードへの妙な感情は、奥底に封印しておく。
それだけ。
でも、封印というものは大抵、封じれば封じるほど意識してしまう。
——そのことを、この時の私はまだ知らなかった。
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