第二十五話 準備期間の終わり
十五歳の冬、私たちは学院入学前、最後の冬を過ごしていた。
春になれば、セリアと私は王立学院に入学する。
そこから先は、ゲームの本編が始まる場所だ。
私にとっての『準備期間』は、終わりを迎えようとしていた。
振り返ってみれば、この十五年でやれることは、かなりやってきた気がする。
やってきた、というより——やれることは、やらなければならなかった。
『影の教団』への対策は継続中だが、ヴェルナー家の警戒体制は強化された。
出入りの確認は厳しくなり、屋敷の裏口には必ず見張りが立つ。
クロードを通じて王宮でも監視の目が光っているから、少なくとも『気づかれずに攫われる』みたいな展開にはなりにくいはずだ。
カロリーナとは依然として緊張関係がある。
でも、あの夏のバルコニーで言葉を交わしてから、彼女の言動が少し変わってきていた。
以前ほど『セリアを排除しよう』という意思が露骨に見えない。
視線は冷たいままでも、わざわざ踏みに来る足音が減った。……それだけでも、前進だ。
クロードとセリアの関係については——正直なところ、成果は微妙だった。
二人の間に確かな信頼感は生まれているし、会えば自然に挨拶し、短い会話もしてる。
けれど恋愛感情とまではいっていない。
ゲームでは学院入学後に距離が縮まっていくのだから、そこは本編の展開に任せるしかないのかもしれない。
私の役目は、導線を整えるところまで。あとは二人の物語だ。
そして、私自身の問題については——。
(……考えないようにしよう)
クロードのことを『好き』なのかどうか。
それは、棚のいちばん上に置いて、手を伸ばさないことにした。
『好き』であろうとなかろうと、私の使命に変わりはない。
セリアを幸せにすることが最優先で、私個人の感情は二の次。
(そう決めたんだから、いい)
そう自分に言い聞かせながら、私は机に向かって学院の入学前課題を進めていた。
窓の外は白い息が出るほど冷えていて、インクが少しだけ固くなる。
ペン先が紙を擦る音が、部屋の静けさにやけに響いた。
「マリアンナ、勉強してる?」
ドアがノックもなく開いて、セリアが顔を出した。
頬が赤い。廊下が寒かったのだろう。
「してるよ」
「えらいね。私、全然終わってなくて……手伝ってくれる?」
「もちろん。こっちおいで」
セリアが机の隣に椅子を引いてきて座る。
肩が触れそうな距離。昔から、こういう距離感だ。
紙を広げた彼女は、眉を八の字にして溜息をついた。
「学院、楽しみ?」
「んー……楽しみで、でも怖くもある。新しい環境だし、色んな人がいるだろうし」
「大丈夫。私がいるから」
「そうだね」
セリアが笑った。小さくて、でも頼りきった笑い方。
その顔を見て、つい言い切ってしまう。
「そのつもり。というか、一緒にいるために色々と準備してきたんだから」
「準備?」
「……なんでもない」
「またそれ言う。マリアンナって、たまにすごく『計画してる人』の顔をするよね」
「そう?」
「うん。なんか、先のことを全部見えてるみたいな顔。信頼できるんだけど——」
セリアは言葉を探すみたいに、一度目を伏せた。
「……ちょっとだけ、寂しい気もする」
「寂しい?」
「うん。もっと頼ってほしいというか。一人で全部やろうとしないで、私にも言ってほしいな、って」
私は手を止めると、ペン先が紙の上で止まり、インクが一滴だけ濃くなる。
思ったよりずっしり、その言葉が胸に落ちた。
セリアは、守られる側でいるだけの子じゃない。
ずっと前から、私を見ていたのだ。
「……ごめん、セリア」
「謝らなくていいよ。ただ、覚えておいてほしいな」
「何を?」
「マリアンナが私のことを大事にしてくれてるのと同じくらい、私もマリアンナのことを大事にしてるってこと」
あまりにも真っ直ぐで、私は一瞬、返事が遅れた。
喉の奥が熱くなる。嬉しい、というより、眩しい。
前世の私には、こんなふうに言ってくれる人が、あまりいなかったから。
セリアは照れたように目を逸らし、それをごまかすみたいに課題のページをぱらぱらとめくった。
「さあ、勉強しようよ。この積分、全然わからなくて」
「見せて……あ、これはね——」
私は教え始めながら、さっきの言葉を何度も反芻していた。
(同じくらい、大事にしてる)
私がセリアを大事にするのは当然。最推しだから。
でも、セリアが私を大事にしてくれている。
その事実が、胸のどこかを少しだけ柔らかくした。
「マリアンナ、聞いてる?」
「あ、ごめん。えっと……この部分ね。まずここを整理して——」
窓の外では冬の星が静かに輝いていた。
春が来れば、すべてが動き出す。
私は最後の『準備』を胸に刻みながら、セリアと肩を並べて、黙々と勉強を続けた。
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