第二十二話 義務と恋心
十三歳になった夏、私はカロリーナと二人きりになる機会を得た。
社交の場でのことだった。
広間では楽師の演奏が続き、笑い声とグラスの触れ合う音が絶えない。
甘い香と花の匂いが混ざって、息を吸うだけで少し酔いそうになる。
けれどバルコニーへ一歩出ると、空気がすっと冷えて、肩にかかっていた熱がほどけた。
セリアが他の令嬢たちと話している間に、私は水を求めて外に出たそのタイミングで、カロリーナも同じようにバルコニーへ現れた。
偶然。たぶん、本当に。……少なくとも私は、そうだった。
「……あなたが来るとは思わなかったわ」
カロリーナは手すりに指先を置いたまま、振り返らずに冷ややかな声で言った。
けれど、完全に突き放すというより、警戒の硬さが混じっている。
「偶然です」
「そう」
短い返事だけが返ってきて、沈黙が落ちた。
王都の街並みが見下ろせるバルコニーで、私たちはどちらも話すことなく庭園を眺める。
風がドレスの裾を揺らし、庭の噴水の音が、広間の喧騒を薄くしていく。
私は何度か息を整えた。
今日ここで、彼女に踏み込むべきかどうか。
正面からぶつかれば、反発されるだけかもしれない。それでも、いつかは避けられない。
なら、今、逃げ道のある場所で、まだ彼女にとって取り返しがつく年齢のうちに。
「カロリーナ様」
「なに?」
「いつから、クロード殿下が好きなのですか?」
言った瞬間、空気が一段冷えた気がした。
カロリーナが私を鋭く見つめる目の色が変わり、品のある微笑みが、すっと消える。
「……何が言いたいの?」
「別に。ただ、知りたかっただけです」
我ながら、ずるい返しだと思った。
でもあなたを救いたいと言えば、鼻で笑われる。言葉は選ぶしかない。
カロリーナはしばらく私を見てから、視線を庭に戻し、指先が手すりをきゅっと掴む。
「物心ついた頃からよ。幼い頃に殿下を一度見て……その時から」
「初恋なんですね」
「そんな柔らかい話じゃないわ。私にとっては義務よ。ボルドー家の娘として、殿下の隣に立つことが」
義務。
その言い方が、胸に引っかかった。
好きという感情の衣を被せた『命令』の匂いがする。
「義務と恋心は、別物では?」
「……ヴェルナー家は聖職者の家柄。こういう政治的な話は、あなたには理解できないかも」
「そうかもしれません。でも——」
私は一度、言葉を飲み込んだ。
本当に聞きたいのは、ここから。
彼女が何を望んでいるのか、彼女自身がそれを知っているのか。
「カロリーナ様が本当に望んでいるのは、『王太子妃の座』と『クロード殿下に愛されること』のどちらですか?」
カロリーナの目が揺れた。
ほんの一瞬だけ……けれど確かに、迷いが浮かんだ。
「……同じことでしょう」
「違うと思います」
「なぜそう言えるの?」
問い返す声は強いのに、足元がほんの少し不安定。
私はそこで、逃げ道を塞がないように、あえて視線を外して庭を見たまま言った。
「クロード殿下が別の誰かを愛しても、その人を王太子妃に迎えるとしたら——カロリーナ様はそれでも殿下の隣に立ちたいと思いますか?」
答えは返ってこない。
噴水の音だけが続く長い沈黙の後、カロリーナは私に真っ直ぐに目を向けた。
「……何が言いたいの」
「カロリーナ様には、カロリーナ様自身の幸せがあると思う、ということです。それは必ずしも、殿下の隣じゃなくてもいいかもしれない」
「あなたに何がわかるの」
「何もわかりません。ただ、思ったことを言っただけです」
「……余計なお世話よ」
その言葉は鋭い。
でも、震えていない。怒鳴りもしない。むしろ、どこか疲れたみたいに聞こえた。
カロリーナは足早にバルコニーを去っていった。
ドレスの裾が石床をさらりと撫で、香が一筋だけ残って消える。
私はその背中を見送りながら——これでよかった、と静かに思った。
ゲームでのカロリーナの最終的な描写を、私は知っている。
クロードルートでは、クロードとセリアが結ばれた後、カロリーナは王宮を離れ、別の人物と縁談が整う。
それは彼女にとって決して不幸な結末ではなかった。
むしろ、執着を手放すことで初めて自分を解放できた、という描写があった。
今の会話が、その『手放し』の最初の一歩になってくれればいい。
怒らせたとしても、刺さったなら意味がある。刺さらない優しさは、たぶん届かない。
(カロリーナ自身のためにも、早めに気づいてほしい)
バルコニーの手すりに肘をついて、私は夏の庭を眺めた。
遠くで鈴が鳴り、広間の音がまた少し近づいてくる。
そろそろ戻らなきゃ。セリアのところへ。
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