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切り裂きジャック

 世界はすべて似た景色だと、少年は思っていた。

 無数に建ち並ぶ高層ビルと、間を抜ける巨大なハイウェイ。そして草原のように広がる住宅街。

 生まれてこの方、紅一はこの広大な都市から足を踏み出したことはなかった。

 もっとも、それは踏み出す必要がなかったというだけで踏み出せなかった訳ではない。しかし特権階級の父親を持つ彼にとって、都市の外に興味を持つのは必然である。

 

「......鳥籠か」


 自身の境遇に不満があるわけではなかった。しかし決められた人生のレールを歩き、常に笑顔で外面が良く、それでいて常に優秀でなければならない。

 しかしその価値観と不自由は彼が大人になるにつれ、その心を確実に蝕んでいた。


「坊ちゃま、そろそろお時間です」


 寝室の向こうから響くメイドの声。ふと壁の時計に目をやると、既に起床時間を一五分も過ぎている。まだ眠気の残る目をこすりながらベッドから這い上がる。

 紅一は着替えを済ませ、簡単に髪を整えると薄暗い自室の扉を開ける。


「おはようございます」


 すかさず身体を折り曲げたメイドの挨拶を適当に受け流し、リビングへ降りる。既にテーブルには朝食とは思えない量の豪華な食事が盛り付けられており、幾人ものメイドや執事が一様に姿勢を整え周りを囲んでいる。


「朝からこんなに要らないって」


「旦那様からの指示にござりますれば、手を付けられてもよろしいかと」


 口元にちょび髭をはやした壮年の執事長ヘルマンは椅子を引いて座るように促す。いつも通りの短いやり取りの後で、紅一は言われるがままにその席に腰を落とす。

 大勢に見守られての食事はあまり好きではないが、五年前から続く習慣ともなれば身体もなれるものだ。味の分からなかった高級料理も今ではおいしいと感じられる。


「本日のスケジュールです」


 横から差し出された端末を、紅一はナイフを握る手を止めずに横目で確認する。

 普段と変わらないスケジュール。上から順に目を通していく彼は半ば流すように見終えると下げるように顔を振る。


「坊ちゃま、今日の放課後に何か予定は?」


「無いが今日は一人で帰る。迎えは結構だ」


「では一九時までにお戻りください。旦那様がお呼びでしたので」


 珍しい。母さんがいなくなってからは全く顔を出さなかったというのに、いい結婚話でも見つかったのだろうか。


「わかった」


 機械的に返事をすると、紅一は朝食を僅かに手を付けただけで席を立つ。それと同時に置物のように佇んでいたメイドたちは蜘蛛の子を散らすように一斉に仕事に戻る。それらはすべて紅一の登校前の準備を手伝うためである。

 念入りな髪のセットに身だしなみの確認。持ち物の用意など雑務の全てがメイドたちの仕事と化している。

 されるがままに準備を終えた紅一は大勢の見送りを受けながら玄関の外に出る。

 エレベーターを降り、すぐ外に待機している黒の高級ホバー車へ乗り込む。送迎は権力者の特権だと幼いころに父親が言っていたが、今ではあまり気乗りしない。

 だからこそ帰りは一人で歩いて、などという日も増えた。


「やっぱり外はいいな」


 狭く暗い室内の空気とは大違いだ。ビルの間から差し込む太陽光は腐りかかっている己の心と体をいつも癒してくれる。煌々と煌めく夜のネオンライトは沈む気持ちを忘れさせてくれる。

 どうせ学園に行ってもちやほやされるのは変わりない。放課後の自由が待ち遠しい。

 窓の外を流れる景色に思いをはせながら、紅一は都市の中央部へ続く高速で静かに揺られていた。


***********************************************


「よう! 朝からしけた面してんなー」


「朝から騒がしいよりマシだろ」


「朝から元気って言ってくれよな」


 学園でも一目置かれる存在の紅一に気前よく絡んできたのは彼の唯一の親友であるゾイド・マクミランであった。

 この青髪ショートボブの青年は他の同級生や先輩後輩と違い最初からため口で、今のようにフランクに喋りかけてきた人物である。

 もっともそれは彼が唯一の平民出身学生で無知だったということもあるが、紅一の素性を知った今でも変わらぬ態度で話す数少ない人間である。


「とーこーろーでー......見ろよ今朝の記事!」


 勢い良く顔の前に携帯端末を差し出すゾイド。その電子光に映し出されたのはハルフォニア一番の電子新聞『夢と希望』の記事であった。


噂のジャック・ザ・リッパ―、再び現る! 今度の標的は評議会か?


 本日未明、都市中枢地区にて殺人事件が発生した。

 被害者は政治家のキール・ウェストン評議会議院。

 身体を大きく切り裂かれた被害者の状態と殺人手口からして都市警備局は近年巷を騒がせている殺人犯『ジャック・ザ・リッパー』であると断定。

 今週に入ってからのジャック・ザ・リッパーによる事件は既に三件目となり――


「やべえよな! ひっさびさに興奮して徹夜しちまったよ!」


「お前はいつも徹夜してるだろ」


 でなきゃ毎日のようにゴシップやニュースを調べつくせるはずがない。

 窓際の座席に腰を落とすと、紅一は自分の端末でも記事について検索する。家であまりニュースを見ない紅一ではあるが、自身の住む中枢地区の事となれば話は別だ。


「かっこいいよなあ! 伝説の殺人鬼ジャック・ザ・リッパーの復活、一年前から記者の間じゃその話題で今でも持ちきりだぜ」


「ゾイドはこういう記事好きだよな」


「まあ数少ない娯楽の代わりだからな」


 特権階級の富裕層とは違い、一般市民に分類される人々は評議会による厳しい統制と管理の下で生活を送っている。もっとも記憶データを覗かれる、なんてことは滅多に起きないがそれでも警備局の見回りなどもあり情報雑誌と娯楽は特に制限が厳しいのだ。

 因みに先程の『夢と希望』はフリーのジャーナリストによって結成されたもので、ほとんどの記事は僅か数日で政府に消されている。


「今回の一件を受けて警備局も黙ってはいられないだろうからな」


「そりゃあそうだろ。評議会メンバーの暗殺なんて歴史上を見ても三件だけだ。本腰入れて動き出すだろうな」


 ゾイドは不満げに席に座る。彼の言う通り、この殺人鬼は近いうちに死亡するだろうというのは、紅一にも予感できることである。

 評議会メンバーが死亡したということは、警備局の特殊部隊であるアインザッツコアが動くのは間違いない。警備局長の息子である紅一は、一般には公になっていない彼らの恐ろしさをよく知っていた。

 今まで有名な事件を起こしてきた凶悪犯罪者も半分以上が事件の直後に命を落としている。

 そして降りかかる運命はこの切り裂きジャックも何ら変わらない。

 明日か、はたまた明後日か。

 いずれにせよ、事件の規模から近いうちにこの切り裂き魔が歴史から姿を消すのはほぼ決まったも同然であった。


「あーあ、どうせなら一度くらい会ってみたいなあ」


「会えたところで八つ裂きにされるのがおちだぞ」


「退屈と不自由の中で死ぬよりはましだと思うけどな」


「滅多なことは言わない方がいいぞ」


 誰がこの会話を聞いているか分かったものではない。紅一ならまだしもゾイドはただの一般階級市民。彼の事をよく思っていない人間などいくらでも存在する。

 そうこう話しているうちに予鈴の鐘が鳴り響き、朝の騒がしい教室は一瞬にして静まり返る。そして教室の扉が開かれると同時に、今日も退屈な学園の一日が幕を開けるのだ。


***********************************************


 月が綺麗な夜だった。

 こんな夜には年代物のウイスキーでも開けたい気分であったが、男はお気に入りのウイスキーの代わりに喉を流れ落ちる血の味を感じていた。

 男の腹部から滝のように流れ出る血はリュストである彼の再生能力をもってしても止まることはない。原因はわかり切っていた。腹部の奥で


「......どうやら、ここまでのようですね」


 強者程、己の死期を間違えることはない。そしてジャック・ザ・リッパーことウィル・フォルニーテは今が最期の時だと分かっていた。

 もっとも評議会メンバーの殺害を断行した時、すでに自分がこうなることは予感していたものの、僅か一日でその時が訪れるとは思っていなかった。


「ミリィ」


 ウィルはかすれた瀕死の声で相棒の名前を呼ぶ。すぐに彼の血濡れた胸ポケットがもぞもぞと動き出し、小さな一匹のネズミが顔を出す。

 手入れのされた灰色の体毛を覗かせたネズミは、かすれた声で自分を呼ぶ主人の胸を登り顔に張り付く。

 普段と違う様子の自分を心配しているミリィに、ウィルはたった今身体から取り出したあるものを見せる。


「これを......持って行って下さい」


 丁度ミリィの半分ほどの大きさもある小型端子。それはウィルの記憶データが詰め込まれた記憶端子であった。

 第二の心臓ともいわれるそれを、彼はミリィの差し出した小さな手の中に優しく落とす。


「決して......警備局の手に渡してはなりませんよ」


 ネズミとは言え、長年にわたりウィルと苦楽を共にしたミリィの知能はとても高い。人間のように小さく頷くと、ミリィはその端子を抱えたまま足元の排水溝の中に消えていった。

 もう少し別れの挨拶をかわしたくはあったものの、目の前に迫る脅威を前に悠長なことは言っていられないのが現実だ。


「随分と手こずらせてくれたもんだ」


 ミリィの姿が消えたその直後、低い男の声とともに強烈な光が正面からウィルに降りかかる。

 眩しく光る逆光の中、その中央に現れた黒い人影はゆっくりと座り込むウィルの元へと近づいてくる。抵抗しようにも、既に限界を迎えていた彼にもはや攻撃能力など残っていない。

 それをわかっているのか、徐々に小さくなる光とともに黒いボディーアーマーを身に着けた男はウィルの目の前まで進み足を止める。


「ハア......ハア......局長自らお出ましとは、私も有名人になったものですね」


「全くだ。ほんの数年前は下層の子悪党だった貴様が、今や世間を賑わす大犯罪者か」


 気がつくと、修次郎の周りには黒い仮面とアーマーに身を包むサイバーリュストが何人も並んでいる。アインザッツコアの部隊章である赤黒いXのマークが入った同じ仮面をつける彼らは一切の動作もせずにただその手に握られた武器を構え主人の合図を待っている。


「評議会は如何なる犯罪者にも選択肢を与えている。一つは容赦のない死、そしてもう一つは――」


「徹底的な更生、ですか」


 有名な話だ。実際に彼の後ろに控えるアインザッツコアのメンバーも、そのほとんどは凶悪な犯罪者から構成されているのだから。


「その通りだ。貴様も、本来であれば選択肢を与えられる、はずだった」


 いかにも残念そうな声とともに、彼は懐から一丁の拳銃を引き抜く。六発の弾丸が込められた旧式リボルバーの撃鉄を起こし、その照準を座り込むウィルの額へと定める。


「......貴様は少々やり過ぎた。その己の行動を後悔しながら死ぬといい」


「……後悔、ですか」


 項垂れていた顔をゆっくりと持ち上げるウィル。その顔には驚くほど吹っ切れた満面の笑みが浮かべられていた。


「ならば私は私自身の行動に満足して死ぬことになるでしょうね。少なくとも議会のメンバーを襲った時点でこうなることは分かっていました。ただその時が想定より早かっただけですから」


 欲を言うなら仲間達に別れの一言でも伝えたかったが、それは贅沢というものだろう。


「そして......私の記憶があなた方に渡ることはありません」


 最期の力を振り絞り素早く懐に手を伸ばす。ポケットの内側、ミリィがいた右ポケットとは反対側のポケットの中に仕込んだ自爆装置のリモコンに手をかける。

 しかしまさにそのスイッチを押そうとした瞬間、乾いた銃声とともに放たれた一発の弾丸が彼の額を貫いた。

 意識が一瞬で遠のき、身体中から力が抜けていく。

 しかし意識が切れるまでの数コンマ。その僅かな時間さえあればウィルにとってスイッチを押すことなど造作もなかった。

 銃弾の勢いで跳ね上がった顔は先程の笑顔を崩すことなく、そして一瞬の強烈な閃光があたりの視界を奪うと同時に、彼の意識は痛みを感じることもなく一瞬で弾け、そして消え失せた。

 

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