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会場の入り口をくぐると、甘やかな香りと軽やかな音楽が翠たちを包み込んだ。星見の会は立食形式で、中央には豪華なビュッフェが用意されている。色とりどりのデザートや和洋中の料理などが美しく並べられ、生徒たちの楽しそうな話し声が会場を満たしていた。
「見て、翠! あのローストビーフ、美味しそうじゃない?」
智恵子が目を輝かせ、翠の腕を軽く引いた。二人は好みの料理を皿に盛り、テーブルへと乗せた。
「それにしても、このイベントの会場は素敵ね。毎年装飾が変わるしデザインもよく考えられてるわ」
智恵子が感動したように目を細める。翠も静かに頷いた。学園での出来事や、将来の夢について語り合ううちに、グラスの中のジュースはあっという間に空になった。
その時、近くを通りかかったらしい、中等部の女子生徒が翠に気づき、はっとしたように目を丸くした。
「あの、高城先輩でいらっしゃいますか?」
恐る恐るといった様子で声をかけられ、翠はにこやかに頷いた。
「ええ」
「わぁやっぱり! 私、中等部一年の桜田ななみと申します! 先輩の入学式での司会、本当に感動しました! 凛としていて、それでいてお優しい声で。それから私先輩に憧れてるんです!」
桜庭ななみは、目を輝かせながら訴える。その真っ直ぐな憧れの眼差しに、翠は少し照れくさそうに微笑んだ。隣で智恵子も「翠は昔からみんなの憧れなのよ」と、嬉しそうに付け加えた。
「ありがとう、桜庭さん。そんな風に言っていただけて光栄だわ」
和やかな時間が流れる中、智恵子がふと会場の奥の方に目を向け、小さく「あ、彼だわ」と呟いた。振り返ると、智恵子の婚約者がテントから出て来るのが見えた。彼は智恵子に気づくと、笑顔で手を振りこちらに向かって歩いてくる。
「ごめんね、待たせちゃって。委員会の打ち合わせが長引いちゃってさ」
智恵子の婚約者は、頭をかきながら謝った。智恵子も「待ちくたびれちゃったわ」と拗ねてみせる。二人の間には、温かく確かな愛情が溢れている。その光景はまさに理想的なパートナーであった。
「じゃあ翠、私、彼と合流するから。また後でね!」
智恵子はそう言って、婚約者と共に再び中央へと戻って行った。生徒会のメンバーとの挨拶も済み、翠は一人グラスを傾けながら、会場を見渡す。
その時、人の波の切れ間に、見慣れた後ろ姿が目に入った。巴だ。
やっと来たのね。翠はグラスをテーブルに置き、吸い寄せられるように、その人混みを縫って巴のもとへと近づいていく。
そして、彼の姿がはっきりと見えた瞬間、翠の足はぴたりと止まった。
巴の隣には、見慣れない女子生徒が立っていた。ほとんど見覚えがない、おそらくは同じ学年だろう。身長は巴の頭二つ分ほど低い。
腕を組んでいるわけではないが、その距離は限りなく近い。肩と肩がほとんどぶつかっているようだ。巴は、今では翠には決して見せることのない、優しい顔をしていた。
女子生徒にばかり気を取られていた翠は、彼らの服装をようやくしっかりと認識した。そして息を呑んだ。
巴が身につけていたのは、確かにグレーのスーツだった。だがそれは、厳密に言えばグレーチェックの生地。差し色の青が華やかな印象を与えるものだった。そして、その隣の女子生徒は――。
彼女が纏っていたのは、巴のスーツと全く同じ、あるいは完璧に合わせたかのような、グレーチェックの膝丈のドレスだった。色もデザインも、完璧に調和している。明らかに偶然ではない。
翠は、あまりの衝撃に言葉を失った。全身から血の気が引いていくのが分かった。星見の会に相応しい華やかなドレスを、と自分で選んだはずのチャコールグレーのドレスが、途端に虚しくそして滑稽に見えた。彼がグレーと言ったから色を合わせたのに。
これはあんまりじゃないか。あんまりにも惨めだ。私たちの関係を知らない人は、絶対にあの二人がパートナーだと勘違いするだろう。
仲睦まじい彼らを翠は呆然と見つめるしかなかった。