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学年末総合試験まで、残すところあと一週間。天璋院学園は、張り詰めた緊張感に包まれていた。放課後の教室はいつもよりずっと静かで、誰もが参考書やノートを抱え、真剣な面持ちで試験範囲の最終確認をしている。
図書館は連日満席で、誰もがこの一年間の集大成である試験で、最良の結果を出すことに全力を傾けていることが伺えた。天璋院の生徒にとって、学業成績はただの数字ではなく、名家の子息としての資質、そして将来を左右する重要な指標なのだ。
翠もまた、例に漏れず、日々の学習に余念がなかった。すべての教科を漏れなく網羅し、問題集を繰り返し解き続ける。その傍ら生徒会副会長としての仕事もこなしつつ、1日1日を大切に過ごしていた。完璧な準備こそが、どんな試験に対しても最善策だと信じている。
そんな学園全体の緊迫した空気とは裏腹に、巴と葛木桃の周囲だけは、相変わらず浮ついたままだ。
その日の昼休み、翠が食堂で智恵子と昼食を終えて、立ち去ろうとしていると、食堂の入り口付近から、ひときわ大きな笑い声が響き渡った。振り向くと、巴と葛木桃がトレイを片手に賑やかに現れたところだった。
食堂のテーブルはほとんど埋まっているが、皆、試験前のわずかな休息時間として、静かに食事を摂ったり、参考書を広げたりしている者が多い。そんな中で、二人の声だけが場違いに高らかに響いた。
彼らは入口近くの比較的広いスペースに陣取ると、周囲の視線も気にせず、まるで自分たちしかいないかのように振る舞い始めた。桃は顔を近づけて甘えた声を出し、巴もまた嬉しそうな表情でそれに応えている。
生徒たちは皆試験に向けて気を引き締めている中、彼らの周囲だけは、時間が止まっているかのように浮ついた空気で満ちていた。
周囲の生徒たちの中には、彼らを見るとあからさまに顔をしかめ、席を立つ者もいた。彼らの行動はもは学園全体の迷惑として認識され始めていた。
西條家の名が、ある意味では彼らを「守って」いたが、その守護も限界を迎えつつあるように見えた。
智恵子も、最近は巴と桃への不満を隠さなくなっていた。
「いくら何でも、あそこまで堂々とされると、こっちが恥ずかしくなるわね。西條家ってあんなに甘い家だったかしら」
智恵子の言葉に、翠はその通りだと深く頷いた。巴の行動は、学園の品位をも揺るがしかねないレベルに達している。それは、翠自身が理想とする「尊重」とはかけ離れた、稚拙で無責任な行為だった。
けれどこの光景を見ることも残り少ないだろう、と翠は確信していた。今既に事態が大きく動き始めていることを実感していたのだ。
その確信は、二週間ほど前の、あの日の父の言葉から始まった。あの日、翠は初めて父に巴の印象について尋ねられた。
父が普段、翠の学園生活や友人関係について口を出すことはほとんどない。ましてや、婚約者である巴の個人としての評価を尋ねるなど、初めてのことであった。
その会話以来、翠は、高城家と西條家の間で、何か重大な水面下の動きがあることを漠然と感じるようになっていた。
今まで沈黙を守っていた状況がようやく変わろうとしている。運命の歯車は、確実に動き出した。