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 2階の角に位置する書斎は、カーテンが閉め切られていた。重厚なマホガニー製のデスクには、書類が整然と積まれ、一切の無駄がない。男は革張りの椅子に腰掛け、茶封筒に入っていた10枚ほどの写真を確認する。


 

 写真の中ではいかにも仲睦まじそうな男女の姿があった。手を繋ぎ、微笑み合い、楽しげに食事を楽しんでいる様子がくっきりと写っている。どれも、彼らが特別な関係であることを主張するような場面ばかりだった。


 男は別に探偵を雇った訳でもないし、正直彼ら2人が愛し合っていようがいまいがどうでも良かった。これらの写真は、西條家から送られてきたものだ。つまり、彼らも次男である巴の愚行を完全に把握しているということ。


 彼らに興味など一切ない。ただ筋は通してもらわなければならないだろう。うちの娘の婚約者であることを、西條家の次男にさっぱり忘れてられては困るのだ。


 

 それに葛木という男は余程頭が弱いのだろうか。自分の娘が人の婚約者と出掛けていることを、黙認しているとは。いやもしかすると、誇らしげに思っているのかも知れない。高城家の婚約者を奪ってやったと。


 どちらにせよ高城家が侮られていることに変わりはないはずだ。



 茶封筒の中には写真だけでなく、西條巴の成績表も添付されていた。最初の頃は悪くないが、彼女が入学してきてから、彼の成績は分かりやすく落ちぶれてしまったようだ。ありきたりで、目新しくもない、本当につまらない結末だと、男は一瞥してすぐに封筒へと仕舞い込んだ。



 

 デスクに置いていた携帯が鳴った。名前を確認すれば、ぴったりのタイミングだった。


「はい」

「学年末試験の結果が返却されるのは、最終日の2日後だ。その日に責任を取らさせてくれ」

 無駄なことを剥ぎ取り、用件だけを端的に伝える彼を翠の父 高城(たかしろ)(かおる)は好ましく思っている。下手な媚も愛想も一切ない。


「ああ」

「店は予約してある、当日19時に」

「分かった」


 5分もかからない短い電話だった。通話終了の画面を確認し、薫は携帯をそっとデスクに置いた。電話の相手は、西條家の現当主、厳格なことで知られる西條(さいじょう)智明(ちあき)。彼もまた、薫と同様、無駄を嫌う男だ。話は早かった。


 やっとこの長期に渡る計画に終止符が打てそうだと、薫は深く息を吐いた。巴が歳を重ねるごとに、翠への対応が雑になっていくのを知っていた。まぁ反抗期のようなものかと、あくまで遠目に見る程度で済ませていた。



 しかしどうやらそんな可愛いものではなかったらしい。西條智明は早い段階から、彼の今後を危惧していた。兄に比べて繊細で、辛抱がきかないタイプの巴は、将来軽率な振る舞いによって西條家全体の品位と信用を地に落としかねない、と。


 そして例のご令嬢が、入学する2月程前に今日のように一本の電話が入った。「もう半年程、翠さんには辛い思いをさせる」と開口一番そう言い、彼の計画を話し出した。


 

 実際智明の狙い通りに事は進んだ。巴は女に傾倒し、成績を落としただけでなく、公の場で婚約者の顔に泥を塗るような醜態を晒した。体裁も外聞もかなぐり捨てて、現実逃避を選んだのだ。



 娘、翠の婚約。それは高城家と西條家の未来にとって、極めて重要な意味を持つものだった。それが、このような形で幕を閉じようとしている。


「愚かな」


 薫は、巴の顔を思い浮かべ、静かに呟いた。才能がないわけではなかった。兄ほどでは無いにしても、容姿も能力も優れていた巴が、なぜここまで自分を貶めたのか。


 一時の甘い感情に流され、女に入れ込むことで責任を放棄した巴に、薫は静かな侮蔑を覚えた。


 高城家は、そのような未熟な人間に娘を嫁がせるわけにはいかない。そして、何よりも、高城家の名誉がこれ以上傷つけられることは決して許されない。



 もちろん、西條家の当主も、今回の件を重く見ていた。そうでなければ、これほどあっさりと「責任を取る」などとは言わないだろう。


 彼もまた、家門の存続と利益を何よりも優先する男だ。巴の処遇については、既に水面下で協議が重ねられていたのだろう。その最終決定が、学年末試験の結果と同時に行われる。最も効果的で、誰にも文句を言わせない形だ。





 薫は部屋に呼び出した時の翠の様子を思い出した。 

「最近婚約者とはどうだ」

 単純な質問だったが、翠はなんと答えるべきかと逡巡していた。何を考えているかは薫にとって手に取るように分かった。


 何を言ったとしてもこの婚約の決定は自分にはないと、自覚しているからこそ、冷え切った関係を正直に伝えるべきか否か悩んだのだ。


「以前と変わりなく」

「そうか、では西條家の次男としてはどう思う」

 

 薫がそう尋ねると翠は目を見開かせた。それも当然だろう、そんなことを聞かれたのは初めてだったのだから。


 巴のことを悪く言うのは忍びなかったが、翠は父はきっと全てを知っているのだと思い、包み隠さず口にした。


「未熟かと。まだまだ若くはありますが、西條家の次男としての自覚が些か足りないのではないかと思っております」

「分かった、下がってくれ」


 翠が部屋を出て行った後、薫は静かに書斎の窓辺に立った。遠くには学園の屋根が見えた。あの時、翠が口にした「未熟」という言葉に、薫は確かな手応えを感じていた。


 娘は、感情に流されることなく、冷静に状況を分析し、判断を下すことができる。それは、高城家の長女として、そして将来の妻として、何よりも必要な資質だ。




 もうすぐ西條家と高城家、双方のための計画が実を結ぶ。翠と同じ色の瞳が、静かなる光を宿していた。

 

 当日の会食のために、薫は妻に翠の支度を頼み、仕事へと戻っていった。

 

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