no.4 反撃の火種
2030年3月16日、神奈川県・相模原研究施設
朝6時。夜通し響いていた警報がようやく止まり、施設内に静寂が戻った。
床には割れたガラスとハチの死骸が散乱し、
自衛隊員たちが疲れ切った顔で片付けを行っている。宮本沙織と佐藤悠斗は、
研究室の一角で机に向かい合っていた。沙織の手元には、
ハチの針と顕微鏡スライド。悠斗の前には、
インセクト・トラッカーのデータが映し出されたノートパソコンが置かれている。
「ハチの針に微量の毒素が残ってる。神経系を麻痺させるタイプね。
人間が刺されたら即死もありうる」
沙織は顕微鏡から目を離し、データを記録しながら言った。
彼女の声は疲れを隠していたが、集中力は衰えていなかった。
悠斗は画面を見ながら頷く。
「トラッカーの解析だと、こいつらの飛行パターンはランダムじゃない。
群れで動いてるってことは、何かに反応してる可能性が高い」
「反応…?」
沙織が顔を上げ、悠斗と視線を合わせた。二人の間に、
思考が交錯する沈黙が流れる。
「音か、匂いか、あるいは…電波?」
悠斗の言葉に、沙織が目を細めた。
「もし外部からの信号に反応してるなら、
これまでの巨大化と関連があるかもしれない。まず、それを確かめる必要があるよ」
その時、自衛隊員の一人が慌てて部屋に飛び込んできた。
「宮本博士! 佐藤博士! 新しい報告が…大阪で巨大蟻が出現したそうです!」
沙織と悠斗は一瞬言葉を失い、やがて同時に立ち上がった。
隊員が持ってきたタブレットを手に取ると、
そこには大阪郊外の住宅街を映した映像が流れていた。
体長1メートルを超える赤黒い蟻が、アスファルトを掘り起こし、家屋を崩していく。住民が逃げ惑う中、蟻の顎が車を軽々と持ち上げ、粉々に砕いた。
「蟻の咬合力はそのままスケールアップしてる…数十トンの物を動かせる力だ」
沙織の声に、悠斗が呟く。
「こりゃ、ゴキブリや蚊とは別次元の脅威だな…」
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同日午前10時、緊急対策会議
沙織と悠斗は施設の通信室に移動し、政府との緊急会議に参加した。
画面には、防衛大臣、内閣総理大臣、そして全国の科学者や技術者が映っている。
総理の声が重く響いた。
「宮本博士、状況は悪化の一途だ。このままでは日本全土が壊滅する。
対策は進んでいるのか?」
沙織は一呼吸置き、冷静に答えた。
「現在、昆虫の巨大化原因として、
未知の微生物と外部信号の可能性を追っています。ですが、
解析には時間がかかります。それまでの応急処置として、佐藤博士と協力し、
対昆虫用の兵器開発を始めました」
悠斗が前に出て、設計図を画面に共有した。
「これが『インセクト・スレイヤー』のプロトタイプです。
音波と電磁波を組み合わせ、昆虫の動きを一時的に封じる装置。
ゴキブリの速度やハチの群れに対応できます。蟻には…まだ調整が必要ですが」
防衛大臣が頷き、質問を重ねた。
「実戦投入はいつになる?」
「試作品なら明日には完成します。ただ、量産には1週間はかかります」
悠斗の言葉に、会議室に安堵と焦燥が混ざった空気が流れた。
総理が最終決定を下す。
「分かった。宮本博士と佐藤博士に全権を委ねる。
必要な資源は即座に提供する。頼んだぞ」
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同日夕方、相模原研究施設・作業場
夕陽が差し込む中、悠斗は施設の作業場でスレイヤーの組み立てに没頭していた。
鉄骨と電子部品が散乱する中、彼の手は休むことなく動いている。
一方、沙織は隣の分析室で、ハチと蚊のサンプルを比較していた。
彼女の顕微鏡に映る微生物が、微かに脈動しているように見えた。
「これが…原因なのか?」
沙織が呟いた瞬間、作業場から大きな音が響いた。慌てて駆けつけると、
悠斗がスレイヤーの試作品を起動させていた。円盤型の装置から、
低周波の音波が発せられ、部屋の空気が振動する。
「どうだ、博士! これならゴキブリの脚を止められるぜ!」
悠斗の笑顔に、沙織も小さく微笑んだ。
「悪くないよ。でも、蚊や蟻にも効くか試さないとね」
二人はスレイヤーを手に、施設の外へ出た。夕陽の下、
試作用のドローンに装置を搭載し、テスト飛行を開始する。音波が広がり、
近くの草むらで小さな虫たちが一瞬動きを止めた。
「成功だ!」
悠斗が拳を握る中、沙織は遠くの空を見上げた。
「でも、これで終わりじゃない。次が来るよ」
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エピローグ
夜、施設の屋上で、沙織と悠斗はコーヒーを手に一息ついていた。
星空の下、遠くで不気味な羽音が聞こえる。悠斗が呟く。
「博士、俺たち本当に勝てるのかな?」
沙織はカップを手に持ったまま、静かに答えた。
「勝つしかないよ。負けたら、終わりなんだから」
二人の視線の先で、夜空に新たな影が動き始めた。