未熟な騎士
ある騎士の卵は焦っていました。世の中は平和で、彼の力を発揮できる戦いは起こりそうもありません。昔から、英雄譚に憧れていた彼は、いつの日か自分も英雄となることを夢見ていました。
訓練こそ続けているものの、このまま平和に暮らすだけで一生を終えてしまうのではないかと、日に日に焦りは強まっていきます。
とうとう決心した彼は、家を飛び出し、自身の力と馬だけを頼りに生きることにしました。もちろん馬も、戦いに出たことなどない、騎馬の卵です。
数日歩き、立ち寄った村の住民たちが、彼に助けを求めてきました。
「騎士様、近頃この辺りの森に大きな蛇が現れるのです。私たちなど一呑みにしてしまう、大きな蛇です。どうか退治してください」
「もちろんだ。皆を守るのが、騎士の務め」
力強く頷いた騎士に、丸々とした住民たちが口々に感謝の声を上げます。
早速、森に向かおうとした騎士に、住民の一人が声を掛けました。
「実は、少し前にも一人の旅人が蛇退治に向かったのです。無事なようでしたら、協力できるかもしれません」
騎士は頷くと、馬を森に走らせました。
森にはすぐに着きました。暗く、湿った、深い森です。
獣や虫の鳴き声が響く森を、ゆっくりと、周囲を警戒しながら進みます。
しばらく進むと、曲がりくねった木の杖を手にした者が、木の陰に腰かけているのが見えました。彼が近付くと、木の杖を地面について立ち上がります。彼と同じ年頃のようです。
「騎士様も、この森の蛇を退治しにいらっしゃったのですか?」
「そうだ。君が、蛇退治に来たという旅人か?」
「おっしゃる通りです。蛇を見つけることは出来たのですが、戦いなど初めてなので、恥ずかしいことに逃げ出してしまいました」
「あとは私に任せて、君は村に戻るといい」
「いえ。私にもお手伝いさせてください。私は魔法が使えるのです」
「なんと!」
彼は驚きました。魔法使いの卵など、大変に珍しいのです。彼も見るのは初めてです。
「分かった。助力を頼もう」
魔法使いは頷きました。
「では、蛇の居る場所に案内してくれ」
彼は魔法使いも馬に乗せ、蛇に向かって進みます。
「君はどのような魔法が使えるんだ?」
「私は火の魔法が使えます。と言っても、一つだけですが」
「見せてもらえるだろうか?」
魔法使いは頷くと、何やら呟き始めました。
しばらく呟いたかと思うと、魔法使いの杖から火の玉が飛びました。火の玉は岩にぶつかり、岩に焦げ跡を残して消えました。
彼は初めて見た魔法に感心しました。
「これならば、蛇に当たれば退治できるのではないか?」
魔法使いは首を振りました。
「一度は当てたのです。ですが、蛇は倒れず、逆上するばかりでした」
魔法使いの言葉に、彼は、それほど強い蛇を本当に退治できるだろうかと不安になりました。
「同じ魔法でも、もっと時間をかければ、強くすることができます」
「分かった。では、私は囮となって時間を稼ごう。蛇への攻撃は、君に任せる」
魔法使いは緊張した面持ちで頷きました。
しばらく進むと、とうとう蛇の姿が見えました。彼どころか、馬もまとめて一呑みにされてしまいそうな大きさです。
蛇はとぐろを巻いて、こちらを睨んでいます。
幸いなことに、周囲に木は少なく、彼と馬の力を充分に発揮できそうな場所でした。
彼が魔法使いを見て頷くと、魔法使いは馬を降りて、呟き始めました。
彼は馬上で槍を構え、蛇に突進します。
蛇は彼に噛みつこうと、素早く頭を伸ばしました。彼は槍で蛇の頭を強く叩いて、何とか軌道を逸らします。彼の腕に、石を叩いたような痺れが走りました。
蛇はひるむことなく、彼めがけて素早く尾を横薙ぎにします。彼は槍を寝かせることで受け流し、辛うじて避けることが出来ました。
そのまま蛇の周囲を回るように馬を走らせ、蛇の攻撃の合間を縫って、槍で何度も突きます。しかし、蛇の固い鱗は貫くことが出来ません。
彼は蛇の攻撃を何とかしのぎ続けますが、慣れない実戦の疲れで、段々動きが鈍くなってきました。蛇の攻撃が、体を掠めるようになっていきます。
その時、ようやく魔法使いから火の玉が放たれました。先ほどのものよりはるかに大きな火の玉は音もなく飛んで、蛇の胴体に命中すると大きな爆発を起こしました。
彼は油断してしまいました。蛇の尾が薙ぎ払われましたが、避けることが出来ません。辛うじて槍で受け止めることが出来ましたが、その勢いで馬から投げ出されてしまいました。
地面に彼が転がります。彼の割れた体から、どろりと液体が流れました。
蛇は怒りに燃えて、魔法使いに向かいます。
彼は槍を支えに立ち上がると、走る勢いのまま倒れこむように、蛇の焼け焦げた胴体に槍を突きたてました。
蛇はすぐに胴体を振って、突き刺さった槍を弾き飛ばし、彼を睨みました。
彼は剣を抜くと、魔法使いを背後に庇うように立って叫びます。
「もう一度だ! 蛇の頭に火の玉を!」
魔法使いは頷き、再び呟き始めました。
睨みあう間もなく、蛇が彼に噛みつきます。
彼の体力は限界を超えていますが、研ぎ澄まされた集中により、蛇の動きが緩やかに見えます。剣を立て、最小限の力で蛇の動きを逸らしました。尾による攻撃も、剣を寝かせて見事に受け流します。
蛇の必死の攻撃を、彼は次々と防いでいきました。
ですが、とうとう彼を立たせていた精神力にも限界が近付いてきました。剣を構えるのも難しい状態です。
「私のことは気にするな! 噛みつく瞬間に放つんだ!」
彼に蛇の頭が迫ってきます。力の抜けた手から剣が弾き飛ばされるのと同時に、彼の背後から飛んだ火の玉が蛇の頭を直撃し、大きな爆発を起こしました。
爆発が収まった後、動くものはありませんでした。
魔法使いと馬は彼に駆け寄りました。爆発に巻き込まれた彼は、全身が黒く焦げています。
その時、彼の全身にゆっくりとひびが走り出しました。
ひびが彼の全身に広がり、黒く焦げた殻が剥がれ落ちていきます。
殻が全て剥がれ落ちると、中からは丸く滑らかな純白が現れました。
彼は、完熟した騎士となったのです。