◆20 王女殿下と侍女たち②
ドミニク=スフォルト王国の王女、ターニャ姫は、継母である王妃ドロレスが王権代理に就任して以来、絶えず嫌がらせを受けていた。
気を抜けば、いつでも毒殺される立場にあった。
当然、ターニャ姫付きの侍女たちも緊張が解けない。
毒味担当の侍女が、姫に向かってささやく。
「父王様がお倒れになったのも、王妃様お薦めのデザートを口にしてからのことでした。
あのとき、原因追及の手を緩めるべきではありませんでした」
姫は諦めたような表情をする。
「仕方ないですよ。
デザートを調理した料理人は、父王様のお気に入りでした。
そのうえ、どうして毒物が混入したのか、本当にわかっておいでではなかったのですから」
王家には代々、悪意を見抜く魔法が、血で伝えられているという。
一瞥するだけで、相手の悪意の有無を察知できるという。
それなのにどうして、父王様は現王妃ドロレスを排除なされないのか。
みなが不思議でならなかった。
じつは、父王サローニア三世は、王妃ドロレスの悪意も野望も承知の上で、彼女の身を立ててやることによっての改心を狙っていた。
もっとも、すっかり空振りに終わった結果としての現在であったがーー。
それでも、父王は今でも国政改善を諦めてはいなかった。
病床に伏せる格好で一線から退きつつも、政治状況を観察し続け、良く見張るためにも、あえて王妃の許に悪意を持つ者どもを集めて泳がせていた。
もっとも、そういった父王の思惑を、娘のターニャ姫も、侍女たちも知らなかった。
「やはり、あんな義母様でも、父王様相手には、本当に悪意も害意もないのかもしれませんね。
先代王妃の娘である私には、あれほど頻繁に毒物をたっぷりくださるというのに」
ターニャ姫は、美しい青い目に憂いを見せた。
「父王様は基本、お人柄がおよろしいですから……。
現王妃を疑いたくないのかもしれませんわね」
「とはいえ、いつまでも甘い態度でばかりはいられませんよ。
国中に麻薬をばら撒いているのが、王妃様の手によるものなのは、ほぼ間違いありません。
彼女が王権代理を務めるようになってから、麻薬の摘発量も流通量も十倍ほども膨れ上がっているのですから」
「それなのに、政庁や有力貴族の殿方は、〈確たる証拠がない〉の一点張りーー。
これに父王様も同調なさるばかり、と伺っております」
「それほど、お心が弱くなられたのでしょうか……」
やはり、父王様は病が深くなり、頭脳が働かなくなられたのか。
それでも、老齢衰弱病になるにはまだ若い。
ひょっとしたら父王様こそが、麻薬中毒に罹っておいでではあるまいか……。
そうした懸念は、娘であるターニャ王女をはじめとして、ここにいるみなが抱え込んでいたが、ハッキリと口にする者は誰もいなかった。
中毒患者と思うくらいなら、老化による衰えと見做す方がマシである。
それが、彼女たちの共通見解であった。
「父王様は、あれほどの魔力の持ち主であらせられますのに。
本当に若年性の衰弱病に罹られたのかもしれません。
お労しい」
「今現在のご様子は?」
「相変わらず、伏せっておられます」
「異世界から魔法使いを召喚し、護衛役とするよう、姫様に仰せになられたときは、以前のーー先代王妃様が生きておられた頃の覇気が、お戻りになられたのかと思いましたけど……」
「いきなりでしたからね。
てっきり、お義母様がなにか手を入れて、そう仕向けたのかと疑うほどでした」
「ーーそれにしても可愛らしい方ですよね。護衛の魔法使いさんは」
護衛役の召喚について話が及んだので、またもみなの意識がヒナへと向かった。
彼女たちにとって、異世界からの珍客である彼女の動向を窺うことが、近頃、唯一の楽しみとなっていた。
「異世界からの召喚と伺いましたので、いったいどのような方が来られるかと、内心、ヒヤヒヤしておりましたが……」
もっとも、騎士連中を個室に呼んで酒宴に及んだり、共に就寝しているのは、破廉恥このうえないことであった。
だが、べつに会話が成り立たないほどの、文化的相違は感じられない。
加えて、体内に宿す魔力量の物凄さの割には、普通の性格をしている。
「魔法使いなのに、ちっとも魔力を鼻にかけませんものね」
「そうそう。あたかも魔法なんか知りませんっていう感じで」
彼女たちが知る物語での〈魔法使い〉は、いつもプライドが高く、尊大な性格をしていた。
実際、王国では魔力量が身分を決定するのだから、もしヒナが王国に居着くとすれば、並の貴族を凌ぐ地位を保証しなければならない。
それなのに、ヒナはまるでそういった〈常識〉を知らないかのように振る舞う。
姫様はともかく、侍女たちにも平等に接し、騎士連中から失礼な態度をされても、意に介するところがない。
言葉使いが少々雑なだけで、王国貴族の常識からしたら、信じられないほどの腰の低さと寛容さだ。
「あの方には、裏がなさそうですものね」
「やはり、王妃ドロレス様の手の者ではない、と考えてよろしいですね」
「王妃様が懇意になさる方独特の霊波がございませんでしたから、おそらくは大丈夫でしょう」
魔石を使った〈魅了〉ーー。
ヒナを取り囲んだ騎士団から、その気配が強く漂っていた。
明らかに、無機質な質感。
肉体から発せられた直の魔法とは、明らかに異なる感触ーー。
普段からこの感触を漂わせているドロレスは、魔力を魔石から借りてばかりで、自らの体内に宿す魔力が弱いことを証明していた。
そして、じつはこれこそ〈魔石酔い〉ーー麻薬中毒になった者が醸し出す特徴でもあった。
「本来なら、あのような微弱な魔力持ちでは、王妃になどにはなれぬものを」
「そうですよ。王妃でも似つかわしくありませんのに、王権代理まで担われるとは……」
「ええ。父王様から請われても、辞退するのが筋というもの……」
シッ!
侍女長クレアが、口に手を当てる。
「どこに耳があるか、わかりませんことよ」
「はい」
静かにするよう促す際のジェスチャーは、なぜか地球と同じだった。
「あの義母には、もとより常識は通用しませんよ」
ターニャ姫は、それ以上の言葉を飲み込む。
そして明るい方へと話題を転じた。
「ほんと、同じように常識が通じないといっても、あのヒナさんは大違いですわね。
本当に、無邪気で素直……」
「ええ、お人柄の素直さが滲み出ておりましたね。
珍しく、信用がおける方かと」
貴族令嬢たちがみな、明るい表情になる。
ターニャにとっても、義母や現在の父親を信用ができないというのに、異世界人を信頼することが出来るなんて、皮肉なことであった。
「それにつけても、〈魔法使い〉という存在に、初めてまみえました。
凄まじい魔力量でしたね」
「ええ。壮健であられた頃の父王様をも凌駕する魔力ーーあたかも大河を思わせるほどの……」
「はい。伝説級ですね。まさに、今すぐにでも王位に就けるほどです」
「さすがは、異世界人というところでしょうか」
ターニャ姫は、自分の手に嵌めた指輪を撫でる。
これは護身用として、ヒナから貸し与えられたモノだ。
その際のことを思い出し、姫はクスッと笑った。




