◆2〈魔法使いヒナ〉は、大丈夫なのか?
異世界に人間を派遣する際には、やはり誰でも緊張する。
飛行機で外国に行く以上のーーいや、ロケットを打ち上げて宇宙に行く以上の危険を伴うのだから、仕方ない。
モニター画面に〈魔法使いヒナ〉が映り込んで、ようやく三人は安堵したのであった。
私、星野ひかりは、赤色の通信ボタンを押した。
「ヒナさん、聞こえますか?」
「わっ、マジでびびった。
いきなりで、ヤバいっての。
そっちこそ、ヒナのこと、マジで見えてんの?」
「ええ。派遣先に着いたら、あなたの体内にいるナノマシンの一部が飛び出す仕掛けになってるの。
ソイツらがカメラになって、あなたの周囲を撮影してくれるのよ。
あんまりにも小さいんで、まったく目に見えないけどね」
「うえ〜〜。マジで、気持ち悪くね?」
「別に害はないわ。さっそく仕事に入るわよ」
「はぁい」
「まず、そちらの環境についてーー」
雛さんが派遣された先の基本データを、私は滔々(とうとう)と語った。
気温は18℃で、湿度は9、一日の時間が21・6時間、等々……。
黙って聞いていた雛さんだったが、ナノマシンによって調整された現在の身長が1m25㎝だと伝えると、彼女は驚きの声をあげた。
「ヤバくね? それ。子供の背丈じゃん!?」
「そこの世界の女性としては、その身長で普通だから気にないで。
それから、もっと様々な変化があるから、自分の身体で感じ取ってね。
念を込めたり、ステータス表をオープンすると、実感できるのもあるから」
ナノマシンによる調整には、身体改造の他にも、目に見えない能力付与がある。
〈身体能力向上〉〈各種免疫・耐性強化〉〈毒耐性〉〈麻痺耐性〉など、ステータス表には表示されない基礎能力が付与されるのだ。
これらのおかげで、環境が激しく違う異世界に転移しても、地球人が生きていける。
さらには、大怪我しても後遺症や障害が残らないようになっていた。
また、そういった肉体的な能力の他にも、〈恐怖耐性〉などの心理的強化や、ステータス表に特に表記される能力ーー例えば、意識を飛ばせば、遠隔地にある目的物や危険物などを察せられる〈探査〉といった情報系能力のほか、転送された人物その人ならではの能力ーー〈個性能力〉が付与されることになっている。
けれど雛さんは、そういった心身面での変化は、あまり気にしないようだった。
それよりも具体的な日常生活が、普通に異世界でも送れるかどうかが気に掛かっているようだ。
「言葉、使えなきゃ、ヤバいよね?
マジ、OKなわけ?
ワタシ、英語苦手だしぃ」
「どうせ異世界なんだから、英語も通じないわよ。
それに、派遣先の異世界で無事に適応できるように、どこの土地でも音声に変換された意味や概念を翻訳して、発話できる能力ーー〈世界言語〉が付与されているから、心配しないで」
「なんか、わかんないけど、OKってわけね。
ーーでもさぁ、マジでワタシ、チートな能力ってヤツ、あるの?
ちっとも実感が湧かないんですけどぉ」
「安心して。今回はヒナさんにとって初めての派遣仕事ーーしかも〈魔法使い〉になってるんだから」
雛さんが今回派遣された世界には、魔法はありはするけど、結構、稀有な能力となっている。
魔法の素となる魔素が、大気中にあまり存在しないからだ。
魔素がある場所は、ほとんどが生物の血液内で、その量は限られていた。
結果、貴族以上の血統者だけが、魔法使用をほぼ独占している。
というより、魔法行使ができるか否かで、身分が決定する社会になっていた。
しかも、血筋で、使える魔法が限定された世界である。
だから〈魔法使い〉自体が、希少な存在となっていた。
地球人はもともと魔力が皆無だが、異世界に転送する際に、身体が亜空間で分解・再構成される際に、豊富な魔力を身につけることができる。
私は、雛さんを元気付けた。
「ソッチの世界では魔力量で身分まで決められちゃうんだけど、安心して。
ヒナさんが優遇されるように、特別にサービスして〈魔力極限〉を付けといたわ。
これで付与された魔法能力を、ほとんどカンストにすることができるの」
特に敵襲があった際、敵から舐められないように、高くない設定の能力さえ、魔力量を一時的に最高数値の状態に跳ね上げることができる。
「ふぅん。カンストって、要するに、限度いっぱいいっぱいってことよね。
それ、ヤバくね? ホストクラブで、年間No.1になるくらいのこと?
マジで、これ、表彰もんよ。だったら、ワタシ、超ガンバる!
みんな、応援してね。ヨイショぉ!」
雛さんが、はしゃぎだす。
年間No.1っていうの、意味がよくわからないけど。
とにかく、はりきってくれることは、良いことだ。
結構、素直で、明るい性格をしているようね。
扱いやすくて、助かる。
私は、改めて仕事内容について、彼女に説明を始めた。
「ヒナさんは魔法使いとして、王国のお姫様の護衛をすることになってます」
「マジかぁ!? マジもんのお姫様に会えるってこと?
それ、ヤバくね!?
だったら、ホンモノの王子様や、お貴族様ってのにも……」
雛さんは、異世界の青空を見上げて、うっとりとする。
現実世界で、彼女が本物のロイヤルに間近で接することなどない。
まして普通の日本人である。
ちょっとした金持ち程度で「セレブ」などと称されてしまうほど、身分差のない世界の住人だ。
本格ロイヤルの仲間入りをして、お姫様や王子様、イケメン貴族たちに囲まれる自分の姿を夢想してるに違いない。
その様子をモニターで眺めた私は、先程まで安堵していた心が、ザワつき始めた。
(ヒナさんで大丈夫かな。
結構、厳しい仕事になりそうなんだけど……)
不安な心がもたげるのを抑えつけるように、私は雛さんに訴えた。
「単なるボディガードと思わないで。
いい?
派遣先の王国は国情が不安定で、お姫様は敵に囲まれている状況なの。
護衛期間は、お姫様が無事に意中の男性と婚約できるまで。
それまでヒナさんは全力を挙げて、お姫様を護らなければならないの」
「マジ!? 婚約ぅ? ヤバッ!」
雛さんは両手を合わせ、まるで敬虔な信者が神に祈りを捧げるように膝をつき、瞳を潤ませる。
またもや、彼女は何やら妄想を始めたらしい。
婚約を間近に控えたお姫様の護衛任務だといった仕事内容は、すでに派遣前に伝えてあり、彼女も「それ、ガチで楽しみなんですけどぉ!」と受け応えていた。
それなのに、どうして初めて仕事内容を聞き知ったかのように、感慨に耽るのか。
私は、彼女の大袈裟な振る舞いに動揺し、改めて注意を促した。
「いいこと!?
庶民の婚約とは、訳が違うのよ。
王族の婚姻は、ロマンスじゃ片付かないんだから。
無事、お姫様の婚約が成就しなければ、王国は大変なことにーー」
「マジ? 大変って、なにが??」
「お姫様の婚約がうまく決まらないと、下手すれば王国が滅びかねないの……。
ねえ、聞いてる?」
「お姫様のお相手ってなると、ガチのロイヤルーー王子様や、お貴族様なんでしょ?
きっとイケメンだしぃ。
どんな相手か知ってんの?」
「知らないわよ。
ヒナさんがヤキモキしなくても、すでに相手は絞られているそうよ」
「マジ? でも、それは、ちょっと残念じゃね?
恋のサヤアテを楽しめないじゃん……」
本当に白鳥雛さんを派遣して、大丈夫なんだろうか。
不安に駆られるのは私だけでなく、兄の新一も胃が痛くなってきたようで、お腹を抑えている。
私は湯呑みを手に取ってお茶を啜り、気を落ち着かせる。
そして、兄と一緒になって、依頼を受けた際に知った、王国の状況に思いを馳せた。




