◆1 謎の王子様
白鳥雛は、今日も新宿歌舞伎町を歩いていた。
少しでも暇な時間ができると、メイクして、旧コマ劇前のあたりをブラついてしまう。
ヒナにとっては、博多中洲の繁華街もお気に入りだったが、歌舞伎町はさらに規模が大きい、大好きなテーマ・パークのように感じていた。
中央の大通りから少し外れただけで、雰囲気がガラッと変わる。
黒服の男たちが黒塗りベンツの前で整列する姿が見られたりする、ご機嫌な世界だ。
彼女にとって、歌舞伎町は日常を忘れさせる、一種の異世界であった。
◇◇◇
白鳥雛は、福岡博多の富豪の娘であった。
いちおうは名家出身。
某戦国大名の末裔と祖父は自慢していたが、本当はどうだか、彼女は知らない。
それ以前に、祖父とは違って、孫娘である雛は、歴史にまったく興味がなかった。
お嬢様系の女子大に通っていたとき、政略結婚で名家の嫡男とお見合いをした。
名前は剛。
父の会社を継いで、いずれは政治家という触れ込みだった。
でも、イメージと違う。
小太りで眼鏡をかけ、いつも視線を泳がせ、オドオドしている。
ハッキリいって、趣味じゃなかった。
(完全に名前負けってヤツ?
やっぱ、男は強引に女を奪い取るくらいの気概がないと。
頼ることもできんと……)
天神や博多でのデートの際、些細なすれ違いを繰り返した。
その後、突然、付き合うのが嫌になって、雛は東京に逃亡した。
「自立した女性を目指し、自活を始めるっちゃ!」
ーーと、意気込みだけは立派な雛であった。
保険会社に保証人になってもらい、なんとか外国人が多いアパートを借りることができた。
行動力はあるのだ。
当座の生活資金は、カードでキャッシング。
80万円まで、限度いっぱい借りまくった。
が、わずか一週間で、カードの使用状況が、両親に伝わってしまった。
おまけに、下宿先の住所も押さえられてしまった。
さすがに家族カードを使えば、借金がバレて当然。
でも、そんな当たり前のことが、当時の雛にはわからなかった。
彼女の両親はいまだに備え付け電話を愛用する、ヘンなところで保守的な性格だった。
母親が電話口で叫ぶ。
「いいから、強情張ってないで、帰ってきんさい!」
「やだ」
「福岡で楽しく暮らせばええとよ。ミーコも待っとるけん」
「いつまでも猫を構ってらんない。もうワタシは大人やけんね!」
雛が言い返した、そのタイミングで、お父さんが受話器を奪い取ったようだ。
突然、野太い声に変わった。
「雛、悪いことは言わん。帰ってきんさい。剛君も心配しとるけん」
「なしてね? なんで、そげなつまらんオトコのことば、ワタシに話しよーと!?」
「許婚者じゃなかか!」
「そげんこつ、パパが勝手に決めただけやけん。
ワタシはワタシで生きていくけん!
じゃ!」
プチ。
携帯を切った。
それからも数分おきに電話が鳴ったが、無視した。
着信拒否の設定をしたのは、翌日すぐのことだった。
着拒の仕方を教えてくれたのは、バイト仲間の女性である。
彼女も訳アリの娘らしく、幾つもバイトを掛け持ちしていた。
二人とも派手好きで、はじめは揃ってコンビニバイトをしていたが、いつもお金が足りないと思っていた。
結局、彼女の勧めもあって、雛はガールズバー勤めを始めた。
キャバクラ嬢になることも考えたけど、さすがにそこまでディープになると、パパが東京にまで押しかけて来そうだったから、一応、避けた。
金欠極まったときには、短期バイト的にキャバ嬢をやったりはしたが、メイン業務にはしなかった。
歌舞伎町の外れにある店で採用され、店長からも常連客からも歓迎された。
雛は顔が良かったし、性格的に水商売が向いていた。
それでも、やり出し当初なため、稼ぎが足りない。
しかも、仕事柄、嫌な客に絡まれることが多かった。
おかげでストレスが溜まり、買物で発散するから、お金がない。
ネットで仕入れた節約術で乗り切ろうとするが、お風呂の残り水でトイレや床の掃除をする程度では、派手なブランド買いの出費には追いつかない。
しかも、太客がついている先輩やキャバ嬢の娘から、服装やバック、化粧品などについて、上から目線で自慢されると我慢できない。
男からの指名数を競うように、どちらが最新流行のブランド品を持っているかを競争し始めたら、もういけない。
一緒にバー勤めを始めた友達とも疎遠になった頃、借金がかさみ、雛は危うい状況になってしまっていた。
そこを助けてくれた「太い客」が登場した。
いつも雛だけを指名して、大金を稼がせてくれる「お客様」である。
その「太客」(外見では三十代前半?)は、スーツをピシッと着込んで、静かにカクテルを傾ける。
彼は、およそ歌舞伎町には似つかわしくない、優雅な雰囲気を漂わせていた。
白く綺麗な肌をしているだけでなく、端正な顔立ちをしたイケメンだった。
ちょっと日本人離れした風貌で、実際に、外国人なのかもしれなかった。
彼はじかに名乗ることはなかったし、日本円で支払わず、驚いたことに、金塊をじかに持ち込んで決済していた。
「マジで、誰なの、このヒト?」
と、雛がひそかに店長に問うても、
「まるで知らないヒト」
と、首を横に振る。
店長がゴールドでの支払いを受け付けているのは、実際に、近所の換金ショップで現金化しても、ボロ儲けさせてくれるからだという。
その「謎の太客」は、いつもお付きの老人から「王子」と呼ばれていた。
彼は老人ひとりを従えて来店すると、脇目も振らず、雛の前のカウンター席に着く。
そして、雛の手を取り、流暢な日本語で愛をささやいてくれた。
「キミは綺麗な瞳をしている。
自分の心に正直に生きているんだね。素敵だ」
「お名前は?」
「私のことは〈王子〉とでも呼んでくれ。
耳慣れた言葉なんでね」
ガールズバーでは、お客が一生懸命、気を引こうとして話しかけてくる。
とはいえ、あくまでお客は「お客様」であり、どんなにお客が気を使っているようにみえても、実際にお客側が気持ち良くならなければ、商売にならない。
雛の側からいえば、「お客様」が気持ち良く自慢話をしたり、説教をかましてくるのを、うまく流さなければ、次回から指名を受けることはできない。
でも、彼を相手にしたときは、そういった商売上の気遣いを一切しないうちに、気持ち良く会話が進んでいく。
まるで、彼の方が、雛の性格を、遠い昔から熟知しているかのように、話のネタも、会話の呼吸も合わせてくれた。
雛にとって、初めの体験だった。
彼は、黄色に輝く石が嵌められた指輪までくれた。
レモン・クオーツという石らしい。
ダイヤモンドとかエメラルドに比べたら、安そうではあった。
でも、白鳥雛にとっては、家族以外からの初めてのプレゼントだった。
それに、「王子」は言っていた。
「これにはボクの魔法が込められているから、キミの身を護ってくれるはず。
それに、その魔力が発動したら、ボクにはキミがキミとして、すぐにわかるんだ。
たとえ、どんな姿になっていようともね」
謎めいたセリフだった。
雛が首をかしげていると、その「王子」は身を翻して店から出ていった。
「またの再会を楽しみにしてるよ」
といった言葉を残して。
「……」
雛は指輪に手を当てて、「王子」の後姿を見送った。
白鳥雛にとって、初めての「本格的な恋」であった。




