◆98 とにかく、無事に終わってよかった、よかった……
東京異世界本社では、星野兄妹、東堂正宗が、〈大聖女ヒナ様〉こと白鳥雛が異世界から帰還するのを待っていた。
「お帰りなさい。無事に戻って来れて良かった」
ひかりが、笑顔で雛を迎えた。
円筒型の転送装置から出たばかりの雛は、少しボウっとしている。
一種の時差ボケである。
「一時はどうなることかと、ヒヤヒヤしたよ。大変だったね」
新一も温かいお茶を差し出して、雛を労った。
「あのまま、ずっと異世界に住み続ければ良かったのに。
聖女様だし、化粧品売って大儲けだし、なんで帰って来たんだよ?」
あれほど帰還を強く勧めていた正宗が、憎まれ口を叩く。
でも、今回の雛の反応は薄かった。
「みんな、心配してくれて、マジで、ありがとう。
でも、ワタシ、ガチで疲れたからさ。
とりま、寝るわ」
雛は力無く話すと、そそくさと自室に行ってしまった。
その背中を三人は、静かに見送った。
そして、当事者不在のままで、今回の派遣任務の総括を始めた。
まず、東堂正宗が口火を切った。
彼は雇われバイトの身でありながら、管理職のように振る舞うのが常になっていた。
「それにしてもーーつくづく、あのタイミングで、ヒナのヤツが〈緑色に輝く聖女様〉に変身したのが良かったよな」
ひかりはペンで手帳をトントン叩きながら、つぶやく。
「結局、どうしてヒナさんは急に〈変容〉したのかしら?」
ここで、新一が椅子の上で、前かがみになる。
長く話すときの癖だ。
「それを理解するためには、そもそも、最初に派遣した際、なぜ、ヒナちゃんの肌色が変容しなかったのか、を読み解く必要があるのかもね。
ーーそこで、考えたんだけど。
ひょっとして、ヒナちゃんが黄色い肌のままだったのは、以前、推測したように、ナノマシンたちが、
『いつもの|ヒナ様(ご主人様)、素敵。そのままでいてください!』
って望んだからかもしれないけど、それだけじゃないかも。
じつは、あの偽聖女マダリアが、魔力で干渉してきたからかもしれない」
「なになに? どういうこと?」
新説の登場に、ひかりは手帳をめくり、新しいページを開く。
兄の推論を、書き留めるためだ。
「思い出してごらんよ。
ラストに、ヒナちゃんが緑の肌に変容したとき、同時に魔女マダリアの身体も変容してただろ?」
「たしかに。
でも、マダリアの方は、本来の魔族の姿に戻っただけのようだけど……」
「そうだね。
でも、それと同時に、ヒナちゃんが本来、変容するはずだった〈緑の聖女様〉になってるわけだから、それにも何か理由があるんじゃない?
だから、さかのぼって考えてみたんだ。
そもそも、最初の召喚のとき、マダリアのせいで、ヒナちゃんが〈変容し損ねた〉んじゃないか、って思ったんだ」
そこで、正宗が割って入って、相槌を打った。
「なるほど。
聖女召喚の際、割り込んできたマダリアは、魔族から人間に化けた。
そのときの変身魔力が、ヒナのヤツにまで影響を与えたってわけか」
ひかりは走り書きしながら、合点する。
「そっか。だから人間に化けていたマダリアが、魔族の姿に戻るのと同時に、ヒナさんがあっちの世界に相応しい姿に〈変容〉した……と」
「うん。本来、あの緑の姿になって、召喚されるはずだったんだよ」
兄が語り終えると同時に、妹も手帳を閉じる。
「はぁ。召喚時のタイミングを狙って干渉してくるなんて。
魔族ってのも、面倒なことをしてくれたもんね」
一区切りついたところで、正宗は話題を変える。
「それからヒナのヤツが放った、緑化変容の大魔法ーーありゃあ、メチャクチャだった。
まさか王都全域規模で発動するなんてな」
「ちょっと魔力を付与しすぎたかな」
新一が苦笑いを浮かべる。
妹のひかりも紅茶を口に含みながら笑う。
「まあ、痛々しい差別が減ったのは、良かったんじゃないの?
たとえ表面的にであっても」
兄の新一もコーヒーを片手にうなずく。
「そうかもね。
あれが再現できないってのは、やっぱりマローンの爺さんが推測する通りなんだろうな……」
どうして緑化変容魔法が発動したのか、理由はよくわからなかった。
ただ、魔法の大家であるマローン閣下が、
「緑化変容の魔法は、大聖女様の〈聖魔法〉が発動なされた結果です。
そして〈聖魔法〉の効果は、聖女様を慕う者たちの信仰内容が大きく関わりますゆえ、その者どもの強い願いが反映したのでありましょう」
と推測していた。
新一はコーヒーを飲んでから、解説を続けた。
「聖魔法は、その地での信仰形態や、信仰する人々の願いを反映する。
〈白い悪魔〉と対峙するヒナちゃんが緑に輝く姿を見て、『王国民が、みな、緑に輝けば良いのに』と強く願った者が、大勢いたんだろうね、あの〈謁見の間〉に」
ひかりが目を見開く。
「意外よね。
高位貴族や騎士なんて、ハリエットさんたちを除けば、みんな差別主義者かと思ってた」
「そうかもしれないけど、自分たちが〈魔族女に騙された〉と知った衝撃がよほど大きかったのかもね。
だから、彼女に対抗するために、〈王国民みんなを動員して、戦うんだ〉と意気込んじゃったんじゃないの?
まさか、その結果、みなが緑の肌になるなんて思わなくてさ」
「だったら、これまた、えらい皮肉ね」
ひかりは一息入れてから、さらに新たな話題を振った。
「あと、よくわからないことといえばーー。
マオくん、どうして〈卵〉から出てきたんだと思う?」
今度は、正宗が即応した。
「やっぱり、〈黄金の双頭龍〉の本体だからだろ、あの〈卵〉が。
あの〈卵〉は龍の胃袋で、〈魔の霧〉が食道みたいなもんで、繋がってたんじゃないかな。
それに、あの〈卵〉、『マダリアの子宮』とも言ってたよな?
実際、子供たちが宿していた聖魔法で、内側から喰い破られて〈卵〉は割れちゃったし、マダリア本人も泡吹いて死んだ。
そう考えると、〈魔の霧〉ってのは、人間を狂わせる神経毒になってるのは副作用みたいなもんで、本筋は、様々な生物の生命エネルギーを〈卵〉へと運搬する、文字通り〈食道〉だったのかもしれない」
新一が心底、安堵したように言う。
「マオくんの身体に聖魔法が宿っていて、ほんと良かった。
おかしくなってたり、溶けちゃってたら、ヒナちゃんが、ショックで立ち直れなかっただろうね」
正宗がいつもの軽口を叩く。
「なんだかんだで、ヒナのヤツは飛び抜けて運が良いんだよ。
いつも、行き当たりばったりなくせに、事態がうまく転がっていく。
マジで神様から愛されてんじゃないのか?」
ひかりが、からかうように問いかける。
「へえ。だったとしたら、その神って、どういうの?」
正宗も冗談混じりに、受け応えた。
「そりゃ、地球だけじゃない。
〈三千世界〉とも称される異世界全体に渡る、真に遍在する神様さ」
ひかりは、楽しそうに肩を揺らす。
「もし、そんなお方がおられるんなら、ぜひヒナさんだけじゃなく、私たちも救っていただきたいものね。
ほんと、異世界派遣業界にとっちゃ、本当に信仰すべき神様ってことになるわ。
もし、いるとしたら」
新一がコーヒーを啜りながら、苦笑する。
「徹底した無神論者だった先代(親父)が聞いたら、鼻で笑うだけだろうけどね」
ははは……。
三人はいっせいに笑う。
笑顔を浮かべつつ、正宗はしみじみと述懐した。
「とにかく、無事に終わってよかった、よかった……」




