◆76 あなたたちは悪くない。悪いのは戦争。
ワタシ、〈聖女ヒナ様〉による突然の離職宣言に、周囲を取り囲んでいた騎士たちは激しく動揺した。
「そ、そんな。
今、聖女様に異世界に帰られては困ります」
「私どもの、この世界がどうなっても良いというのですか!?」
「貴女様以外、いったい誰が〈魔の霧〉を祓うのですか!?」
騎士たちの悲鳴にも似た叫びを、ワタシは冷然と受け止め、答えた。
「ふん、なにを今さら。
王宮には〈白い聖女様〉がいるんでしょ?
彼女がお偉いさんから〈聖女様〉って認められたんだから。
ワタシ、マジで、知らねーし!」
ワタシは頬を膨らませて、むくれる。
と同時に、ハリエットら、反王子派の騎士たちは、唇を咬み、うつむく。
彼らは、今まで王族や貴族が、いかに〈白い聖女様〉を崇め奉り、反して、ワタシをいかに冷遇してきたかを知っている。
ワタシを王宮から追放し、街の店先に立たせるまでに落ちぶれさせた(もちろん、ワタシ自身はパーカー商会で働くことを『落ちぶれた』などとは思っていない。が、王宮にいた者はみな、そう思っているはず)。
かたや〈白い聖女様〉は、王家や貴族たちから丁重に扱われ、王子に至っては、夜毎に自室に招いき入れ、共に過ごすほどに〈歓待〉していた。
〈白い聖女様〉は、少女のごとき可愛らしい外見に似合わず、他に何人もの貴族とも肌を重ねたと噂されている……。
本来なら、王宮勤めの騎士が〈黄色い聖女様〉に顔向けできる道理がなかった。
それでも、ハリエットは喉を震わせる。
「聖女ヒナ様ーー私どもの力不足、恥入るばかりです。
ですが、この度のヒナ様のご活躍、我々はしかとこの目で見ました。
貴女様こそ、真の〈聖女様〉です。
誓って、あの偽物の聖女を王宮から追い払い、ヒナ様を改めて王宮に迎え入れますから、是非とも我ら王国の民をお見捨てなきよう……」
こいつ、わかってない!
ワタシは顔を真っ赤にして、腕をブンブン振った。
「ワタシ、別に王宮になんか、招かれたくねーし!
あんなとこ、大嫌い!
それに、第一、〈聖女様〉として利用したいから大事に扱うって言われても、ちっとも心に響かなねーし。
〈霧を祓う聖女様〉ではなく、ワタシ、〈ヒナ・シラトリ〉自身を見てよ。
愛してよ、マジで!
ほんと、イケメン揃いのくせに、ヤバくね!?
女心のわかんないオトコばかりでウンザリだわ、この世界!」
緑騎士による必死の懇願も、さらにむくれさせるだけだった。
そこへ、パーカーさんとエマが駆けつけてきた。
パーカーさんらは、今まで大勢の王都民を教会に誘導してきていた。
王城に逃げ込んだものの、冷遇された者もいた。
さらには、〈街中の聖女様〉を慕う者たちもいた。
そんな一般市民を、引き連れてきたのである。
パーカーにしてみれば、隣国が攻め込んできたのなら、断固として戦うべきであり、商人として騎士団に物資を供給するのは当然、と思っていた。
だが、〈双頭の龍〉が出現し、〈魔の霧〉が王都を覆い始め、〈滅びの予言〉が成就しようとしているなら、話は別だ。
もはや人間同士の争いを超えた、人類滅亡の危機であった。
そんな危機を救うために召喚された人物こそ〈聖女様〉なのだ。
だったら、即座に〈真の聖女様〉のもとに集うべきである。
そして、共に祈りを捧げ、聖女様の聖魔法を強化すべきだーー。
そう信じる者が、特に平民の間では多くなっていた。
さらに、『〈聖女ヒナ様〉を信じる者は、〈魔の霧〉に取り込まれない』ーーそうした〈都市伝説〉がまことしやかに語られるようになっていた。
だからこそ、パーカーらの誘導に従って、大勢の人々が、大挙してワタシの周囲に押し寄せてきたのだ。
パーカーは前に進み出て、大声をあげた。
「ヒナ様。貴女様が王宮の連中を嫌うのはわかる。
正直、俺も好きじゃねえ。
ハリエットの兄貴も騎士なんか、辞めりゃ良いのにって思ってる。
でもな、ヒナ様が居てくれなきゃ困るのは、あの威張り腐った連中だけじゃねえんだ。
俺の商会に来てくれるお客様もーーそして、孤児院の、王城にも匿ってもらえない子供たちもいるんだ。
ピッケとロコはいいのか?
忘れたのか?
マオのやつは、ピッケとロコの二人を『ヒナ様に任されたんだ』って喜んでいた。
マオが生命を張って守り抜いたあいつらを、このまま放っておくつもりなのか!?」
ワタシは両目を見開き、両手で顔を覆う。
涙が溢れてきた。
そして、路地で拾った子供たちの笑顔を思い浮かべた。
(ワタシが、ピッケとロコと別れるーー?
そんなことを言ったら、あの子たち……)
容易に想像がつく。
彼らは走って来て、ワタシに縋りつくだろう。
「ヒナ様、帰っちゃうの?」
「いなくなるの? ヤダー!」
二人して泣くに決まってる。
そしてーー。
「あたいがいけないの。
すぐに窓から飛ばなかったから、マオが死んじゃった」
「ヒナ姉ちゃん、ごめんなさい。
マオ兄ちゃんが帰って来ない……」
二人は心が綺麗だから、そんなふうに自分を責めるに違いない。
だから、ワタシはキッパリと言ってあげなければいけない。
「あなたたちは悪くない。
悪いのは戦争。
そして龍の化け物なんだから!」
ーーそこまで想像して、ワタシは両目から溢れ出た涙を拭う。
そして、ようやく我に返った。
「あれ? ピッケとロコーーそれに、他の子供たちは?」
パーカーさんは首を横に振る。
居所を知らないらしい。
今度はエマの顔を見るが、彼女も目を閉じる。
「私どもが同行した者たちは〈市民〉ばかりで、孤児は……。
〈聖女ヒナ様〉のお力で、見つけることはできませんでしょうか」
そこでワタシは思い出した。
龍との格闘を前に、孤児たちをライリー神父に頼んで避難してもらったことを。
「そーだった!
神父様が『安全なところ』へ連れていくって言ってたわ。
どこだっけーーああ、そうだ。
ワタシにはナノマシン(ナノちゃん)たちがいるんだった。
待ってて、エマさん。すぐ見つけるから」
ナノマシンに命じて、ピッケとロコを探してもらう。
マオが亡くなったからって、いつまで嘆いていてはいられない。
マオの遺志に応えて、彼らをキッチリと保護しないと。
ワタシは両頬を打って、気合を入れる。
感覚を研ぎ澄まさせる。
すると、ナノマシンたちが自分の体内から飛び出して、四方八方に飛び去ったことが、なんとなくわかった気がした。
もちろん、すぐには映像は届かない。
発見されるまでの辛抱だ。
(それにしても、マジで神父様、どこへ子供たちを連れて行ったと?)
いまだ王都から危険は去っていない。
霧に狂わされた人々が、方々で暴れ回っている。
敵軍からの砲丸も飛び込んでくる。
そんな混乱の最中、いったい、どこへ?
孤児は、城にも入れてもらえないのにーー?
「やっぱ、ワタシ、ナノマシンの活躍を待ってられねーわ。
ジブンで探しにいく!」
ワタシは、龍と戦った孤児院跡から駆け出した。
そして、まずは街中への出入口に当たる、教会へと向かった。




