◆69 今日はありがとねー! イーヨイショ! ふふふ。面白かった……
換気扇代わりの小窓から、子供たちをなんとか外へと逃がしていく。
その間にも、火は、容赦なくマオとピッケに迫ってきていた。
倉庫塔が炎に包まれていく。
脱衣所の外では、すっかり炎が取り囲んでいたのだ。
一方、隣の浴室では、二人の大人がグッタリしていた。
息が吸えなくなってきたのだろうか。
それでも〈魔の霧〉はなくなっていない。
黒煙に混じって、脱衣所にまで広がってきている。
マオは叫んだ。
「ピッケ、急ぐんだ! 早く!」
「マオは?」
「ボクは大丈夫、早く逃げろ!」
「うん」
ピッケは、気掛かりだった。
小窓は小さな子は通れるけど、身体の大きいマオには無理だと思う。
ピッケの目から、涙が溢れた。
その涙を見たマオは、笑顔を作ってピッケに言った。
「ヒナ様に伝えて。
また、シャンパンタワーやろうねって!」
「うん。つたえる。」
そう言うと、ピッケはホースを身体に巻いて、窓からジャンプした。
ピッケのジャンプと同時に、マオめがけて火の柱が倒れてきた。
マオは避けた。
が、もうホースを巻く柱も炎上し始めていた。
もとより小さな換気用の小窓では、マオは潜れない。
でも、諦めない。
(これからも、ピッケとロコの面倒を見るんだ!)
子供たちを助けた綱がわりのホースとは別の、もとよりポンプの口に取り付けてあったホースから、水を全開に出す。
少しでも火を消そうと思ったのだ。
マオの必死の努力が実を結んだのか。
脱衣所に迫って来ていた火の手が弱まってきた。
(奇蹟だ!)
マオは再び水を被り、覚悟を決めた。
脱衣所から出て広間に戻り、いまだ火が燻る最中を走る。
そして暴れる大人を押しのけ、広間の大窓から飛び降りるんだ!
(行くぞ!)
マオは脱衣所から広間へと飛び出した。
思ったより、火は燃えていなかった。
(いける!)
マオは広間を走り抜け、無事に大窓に辿り着いた。
あとは飛び降りるだけだ。
二階だから地面に落ちるとき、かなり痛いだろう。
けれども、身体を丸めて飛べば、足を折らなくてすむはず。
マオは窓枠に手を掛けた。
「アツッ!」
熱を帯びていて、思わず手を離す。
そのときーー。
「うわっ!」
マオは足を取られて、倒れてしまった。
(な……!?)
いつの間にか、クランクさんの腕が、マオの足に絡みついていた。
昏倒状態から息を吹き返したクランクさんが、マオを追走してきたのだ。
クランクさんの状態は尋常ではなかった。
全身、大火傷をして、皮膚が爛れている。
目も白濁化しており、とても正気を保てているとは思われない。
ぐぶぐぶ……。
怪しげな唸り声をあげている。
身体から、ブワッと黒い霧が湧き立って来て、マオの身体を覆った。
(ダメだ。この黒い霧を吸い込んだら……!)
足に絡まった大人の手を解こうともがいたが、身動きが取れない。
息が出来ない。
「負けるもんか。聖女様、僕に力を!」
マオは渾身の力を振り絞ってクランクの手を振り解き、熱さにめげず、窓枠を握り締めた。
そして、空へ向かってジャンプした。
(よしーー身体を丸めて……)
厚い空気の層に阻まれる感覚がわずかにあったが、すぐに消えた。
やがて、強い衝撃がマオの身体を打った。
そのまま倉庫塔の二階から、地面へと落下したのである。
(に、逃げられた……あとは、みんなの所にーー)
マオは呻き声をあげる。
全身に電気が走ったかのような痛みが伝わる。
いくら身体を丸めて骨を折らなかったとはいえ、無傷とはいかない。
マオの口から泡が溢れた。
落下の際の当たりどころが悪かった。
背中に鈍痛が疼く。
しかも、クランクに絡まれた際に取り憑いた〈魔の霧〉が、いまだにマオの身体にまとわりついていた。
(苦しい……でも、みんなの所に帰るんだ……)
咳き込みながらも、マオは立ち上がる。
ノロノロとした足取りながら、歩く。
本人としては走っているつもりであった。
が、足が思うように動かない。
意識も朦朧としてきた。
(聖女ヒナ様ーーお力を!)
それでも、マオはなんとか孤児院本館の近くにまで辿り着いた。
本当は〈魔の霧〉を避けなければならなかった。
〈双頭の龍〉が蠢く場所に、近づいてはならなかった。
だが、強く身体を打った挙句、〈魔の霧〉にまとわりつかれたマオに、正常な判断はできかねた。
微かになった彼の視界に映った情景は、自分が拾われて育った場所ーー兄弟姉妹がいる孤児院であった。
今、現実の孤児院は、龍の化物が居座って暴れ回り、建物は崩れて瓦礫となり果てている。
だが、マオの目に映っていたのは、かつての孤児院だ。
ヒナがピッケとロコを連れてきて、たくさんのお料理を食べている情景であった。
(ああ、ヒナ様ーーいらしてたんですか。
ただいまです。
よろしいんですか、パーカー商会の方は……)
視界が次第に暗くなっていく。
黒い霧を多く吸い込んでしまったようだ。
マオの意識はいよいよ混濁してきた。
おかげで、巨大な龍が、孤児院の残骸から身を乗り出し、片方の首を伸ばしてマオを覗き込んでいることに気づかなかった。
マオには、迫り来る〈黄金龍〉の顔は見えていなかった。
開かれた大口に並ぶ鋭い牙も、目に入っていなかった。
彼の頭には、今までの短い十三年の人生が走馬灯のように映し出され、最後に〈聖女ヒナ様〉の笑顔が、脳裏に浮かび上がっていた。
(シャンパンタワー、楽しかったな。
今日はありがとねー!
イーヨイショ!
ふふふ。面白かった……)
マオは、色とりどりのジュースが流れる様子を思い浮かべた。
小さな炭酸の泡が、透明のグラスの中で湧き立って、グラスを満たしては、いく筋も流れていく。
飲んでみると、冷たくて、甘くて、美味しかった。
フルーツの香りが、部屋いっぱいに漂っていた。
(ヒナ様。ありがとうございました。
ボクの聖女様ーー)
マオは微笑みを浮かべたまま、目を閉じる。
動かなくなった小さな獲物を、〈双頭の龍〉は見逃さなかった。
左側の首を伸ばしてマオの身体を口に咥えると、天空に向けて大口を開ける。
そしてそのまま、マオを呑み込んでしまった。




