◆68 炎の中での苦闘
いつも子供たちの面倒を見てくれる、クランクさんとマイヤーさん。
兄弟姉妹を可愛がってくれる、助修士と修道女の白黒コンビだ。
孤児院の先輩でもある。
マオが奥へと進んで子供たちの居場所を発見すれば、あとは彼ら大人たちが、子供たちを抱えて外に出してくれていた。
でも、ゴホゴホと咳き込んでから、彼らの動きが止まった。
「どうしたの?」
問いかけるマオに、大人たちからの返答はなかった。
二人とも、目が血走って、口から涎が垂れていた。
「があああーー!」
「きいいい!」
助修士クランクさんが腕を伸ばし、いきなりマオの首を絞める。
く、苦しい……。
「や、やめてくださいーー!」
マオは必死にもがく。
クランクさんは窓から押し入ってきて、マオの身体に覆い被さる。
絶体絶命の危機だ。
背に腹は変えられない。
身体を洗うときに使う椅子を掴んで、マオはクランクさんの頭を殴った。
「ぐうう……!」
クランクさんは呻き声をあげて、浴室の床で転げ回る。
マオは急いで立ち上がり、浴室の扉から出て、距離を取る。
その頃には、もう一人の大人も、窓から浴室に上がり込んでいた。
そして、床にうずくまるクランクさんをいきなり蹴り上げる。
修道女のマイヤーさんも、おかしくなっていたのだ。
仲良しだった大人同士が、互いに殴り合い、噛みつき合う。
二人の身体から、黒い霧が滲み出ていた。
マオは目を見開いたまま、身を震わせた。
(この、黒い霧みたいなの、吸っちゃダメなんだ。
この霧ーー〈魔の霧〉は体内に入ると増えちゃうだけじゃなく、身体から染み出して、周りに振り撒かれるみたいーー。
だから、こんなふうに、おかしくなっちゃうんだ。
クランクさんもマイヤーさんも、普段は穏やかな人なのに……)
こんな霧を吸い込んだら、子供だっておかしくなるかもしれない。
急いで逃げなきゃ。
かといって、どうやってーー?
大窓がある浴室前方には、おかしくなった二人の大人がいる。
そして後方は、下への階段は塞がれ、炎が渦巻いているーー。
どうしたら良いんだ。
わからない。
しかもーー。
わああん、わあん!
残った五人の子供たちが泣いて、うずくまる。
彼らは動けなくなってしまった。
親代わりとも言えた大人たちが、いきなり目を血走らせて暴れ始めたのだ。
幼い子たちのショックは、計り知れない。
マオはなんとか彼らから距離を取ったが、大人ふたりが暴れているので、浴室の大窓に掛けられた梯子は、もはや使えなくなってしまった。
一方で、階段への出口は、とうに瓦礫で閉じられてしまっている。
しかも、懸命の努力を嘲笑うように、炎は自分達に迫ってきていた。
意志を持った、生き物のように、足元を確実に這いあがってくる。
(早く逃げなきゃ!)
残った子供たちを抱えたまま、マオは浴室を後にして、踵を返す。
浴室の隣には、脱衣所がある。
結構、広い。
だから物置にもなってる。
ヒナ様が造り出した化粧水やクリームなどの在庫があった。
他にも庭作業用の備品もある。
マオの目は、脱衣所の天井近くにある小窓に注がれた。
(ーー思い出した。
あれは『カンキセン(換気扇)の代わり』というヤツだ!)
〈聖女ヒナ様〉は、かつておっしゃられた。
「ヤバッ!
脱衣所にも、念のため、ちっちゃい窓をつけるね?
空気の入れ替えは、マジで大事だから。
小窓は、換気扇の代わりなのよ」
カンキセンとは何かわからなかったが、あの小窓は使える。
小さな子どもだったら、ちょうどすり抜けられる大きさだ。
「みんな! あそこの窓から外にでるよッ!」
マオは、小窓を指差した。
そして子供たちにホースを渡す。
ヒナ様が「掃除のために使うと良くね!?」とおっしゃって魔法で生み出した、グニャグニャした、水を通すための筒だ。
これを小窓の脇にある柱に縛りつけ、反対側の端を小さい子に渡す。
「ええっ!? あんなに高いところからーー?」
「こわいよー!」
またしても子供たちは、おびえだした。
マオは、子供たちをなだめた。
「大丈夫、これは聖女様がお造りになった〈ほーす〉というモノだよ。
こんなふうに柔らかいけど、頑丈なんだ。
聖女様の世界では消防車というのが火事を消すんだそうだけど、その際に使われる〈ほーす〉並に頑丈にしたんだって。
コイツを綱がわりにして、地面まで降りるんだ。
下は花壇だから、土がみんなを受け止めてくれる。痛くない」
「本当? いたくないの?」
小さな子が半信半疑の様子で、聞いてくる。
マオは小窓の下に立つと、
「さあ、おいで。急いで、急いで!」
両腕を子供たちの方へ伸ばした。
幸いなことに、窓は外側に押し開く造りだったので、なんとか子供たちは外に出られた。
ピッケとロコが最後だった。
ロコが、怖がってピッケから離れなかったので、手間取った。
「ロコ、君の番だよ。
さあ、ホースをもって、窓の外へ出て、ゆっくり降りるんだ。
それから、飛んでごらん。
大丈夫怖くないよ。みんな飛んでいったでしょ?」
「ロコ、がんばれ!
オイラもすぐ行くから。早く行け!」
マオとピッケで、ロコを励ました。
「うん。あたい、とぶ」
そう言うと、ロコはホースを腕にぐるぐる巻いて、小窓をくぐって外へ飛び降りた。




