◆2 さすがに、禿げはねぇだろうよ……
末期癌、ステージⅣーー。
診断結果の資料を見ながら、そう宣告する医者の顔をボンヤリ見ながら、東堂正宗は思った。
(要するに、この俺様が、余命幾ばくもないってことか!?)
いかに厚顔無恥の傾向がある彼であっても、さすがに動揺した。
「まずは、ご家族に連絡を……」
銀縁眼鏡をかけた白髪のお医者さんは、同情する表情をして、淡々と口にする。
が、正宗は大きく頭を横に振った。
「いえ、結構です!
もう立派に社会人ですので、自分だけで処理します」
「そういうわけには……」
長年、癌患者を相手にする医者であっても、二十代の患者には気を配るとみえて、窺い見るようにしながら、言葉を濁す。
だが、正宗は医者を正面から見据えて、キッパリと答えた。
「いよいよとなったら、自分の方から伝えておきますので、お構いなく」
両親を悲しませたくはない、と取り繕った。
実際、父親にも心臓に持病があり、いつ容体悪化となるかわからないほどではあった。
が、それよりも、家族には、変に同情されて、ガタガタ口出しされるのが嫌だった。
病院から地下鉄で乗って帰る時、正宗は思った。
(とにかく、残りの生命が短いってことらしいが……。
でも、死の準備を始めるって、何をどうすればいいんだ?)
まず、正宗は動画配信を停止した。
チャンネル登録者数4000人。
最高再生数6万回。
平均再生2000回ーー。
本人としては、まずまずの人気だったと自負していたが、べつに大した収益があるわけでもない。
趣味の手慰みにすぎないので、彼にとっては配信活動休止の一択だった。
ステージⅣ宣告を受けたことをチャンスと捉え、さらに動画配信に熱心になる手もあったが、そういった気分にはなれなかった。
治療に専念すると、正宗は決心した。
さすがに、どんな活動も、生命には替えられない。
会社には診断書を見せて正直に説明し、退職した。
会社に誘ってくれた大学時代の先輩が上司だったが、正宗以上に哀しそうな顔をして、別れた。
家族には会社を辞めたことだけを伝えて、貯金が底をつくまで、都内でワンルームを借りて、一人暮らしを始めた。
まずは三ヶ月、闘病に専念してみた。
が、抗癌剤治療を始めたら、瞬く間に、気持ち悪くなった。
さらに治療する気をなくすトドメを刺したのは、副作用で髪の毛が抜け、禿げてしまったことだった。
若いせいもあって、病状の悪化が速かった。
おまけに、「治療するなら、ガンガンやってくれ」と主治医の制止も聞かず、限度量一杯の抗癌剤を使ったから、副作用がきつくなって当然だった。
だが、そういった自分の判断は棚上げして、正宗はすっかり治療に嫌気がさしてしまった。
(さすがに、禿げはねぇだろうよ……)
東堂正宗は、ひどく幼稚な性格をしていた。
気恥ずかしくなって、かえってますます自分の病状を他人に伝える気が失せてしまった。
「このスキンヘッドは、ファッションだ。
会社を辞めたんだから、どんな髪型しようが勝手だろ!」
と嘯いてたら(実際、カミソリで綺麗に剃り上げた)、兄貴に
「いい歳して、反抗期か?」
と笑われた。
当時、正宗の兄は新婚で、賃貸マンション暮らしだったが、嫁さんを連れて帰省した際、弟に出喰わすやいなや、髪型の変化に思わず笑ってしまったのだ。
だから、やめた。
正宗は、抗癌剤治療自体をやめてしまったのだ。
たまたま、体質に合わず、恐ろしく身体が重くなったにもかかわらず、効果が薄かった。
それに、彼は、もとよりネットの影響もあって、抗癌剤治療に後ろ向きだった。
癌細胞のみならず、健康な細胞まで破壊するといった治療法自体、好きになれなかった。
オカルト治療法にまでは走らなかったが、自然治癒力を信じたい気持ちでいっぱいだった。
抗癌剤治療を拒否し、痛み止めだけでしばらくは様子を見たい、と告げたら、主治医の先生は哀しそうな顔をして、首を横に振るばかりだった。
「やっぱり、ご家族に連絡を……」
と言うが、正宗は、
「誓って、俺は治療を諦めてはいません。
必ず回復してみせます!」
と胸を張った。
主治医は諦めたような口調で、
「基本的には、一週間に一度は、顔出して欲しい。
いろいろと必要な薬を渡しておくから。
痛みが酷くなったら、痛み止めの注射も打つから」
と言ってくれた。
それから正宗は、ネットで情報を集めまくり、末期癌の治療法を検索し続けた。
保険適用外の治療にも目を配った。
だが、安心して身を任せられる治療法には辿り着けなかった。
(なんで、この俺様が、死ななきゃならないんだ!
理不尽すぎんだろ!?)
怒りに任せていたときは、自分のワンルームに帰らず、女の許を転々とした。
大学時代から、動画配信者であることを明かして知り合いになった女性も多く、学歴や職歴もあってか、それなりにモテた。
その夜に泊まる所に不自由しないほどには。
とはいえ、正宗の苛立ちは、募るばかりだった。
(今まで我慢して生きてきたから、これからは好きにさせてもらう!)
他人の目から見れば、そんなに我慢してきた人生のようにはみえないだろう。
だが、正宗本人がそう思うんだから、しかたない。
これからは好きに生きようと決心して、ワンルームを引き払い、実家で引き籠もりはじめた。
「余命宣告」を受けてから約半年後ーー病状が悪化する一方なうえに、貯金がこれ以上、少なくなることに危機感を覚えたからであった。
痛み止めの副作用か、ろくに頭が回らない。
だから、正宗はゲームとネット三昧になった。
親にも、兄妹にも事情を話していない。
おかげで、両親から、さらには兄夫婦から、顔をあわせるたびに小言をいわれた。
そして、間の悪いことに、正宗が引き籠った翌年、父親が心臓を悪くして亡くなった。
おかげで、「おまえを心配したあまり、心労が祟ったからだ!」と肉親から激しくなじられ、結局、兄夫婦によって実家から追い出された。
大学を卒業して就職し、無事に結婚までした兄に対して、ちょっとしたコンプレックスがあったから、さすがに応えた。
(ち、兄貴のヤツ、いっぱしに社会人ぶりやがって……)
いきなり追い出された正宗には、荷物はほとんどなかった。
(まったく、落ちるところまで落ちたな……)
いまさら、女のヤサで厄介になるつもりはなかった。
安いビジネス・ホテルや漫画喫茶を転々としながら、病院に通い、正宗は日々をやり過ごした。
期間にすれば、わずか数ヶ月ーー短かったが、正宗には激しい心境の変化があった。
死を前にした人が辿る、いくつかのステップのうち、「神様と取引をして延命を乞う」という段階を卒業し、「自暴自棄になる」段階も経て、次第に「諦めの境地」に突入し、おとなしく死を受け入れようとしはじめた、そんな頃だった。
スマートフォンは、いまだ手にしていた。
正宗は、久しぶりに自分の動画配信チャンネルを開いた。
(おお……!)
涙が溢れた。
心配する声で、コメント欄がいっぱいに埋まっていたからだ。
「どこいった?」
「生きてるの?」
などといったコメントを見ては、スクロールする指が震えた。
(随分、経ったからな……)
ちょうど、『人間ドックを受けてみた!』という動画の配信予告を最後に配信が停止していたから、視聴者たちも、それなりに予想できたようだった。
動画を見てくれてたのは、小中学生だけでなく、大人もいたようで、病院の紹介などが書き連ねてあった。
「もし癌にかかってるなら、○○病院!」
「脳機能障害だったら、××病院」
「糖尿病は食事制限して、体質改善するしか道がありませんよ。
そのためには、△△先生の診察を受けて……」
「酵素が効くんですよ!」
「いや、どの医者も頼りにならない。
◎◎は民間療法といわれているけど、じつは効果抜群の◎◎法を施術していて、何人も生命拾いをした人が……」
「やっぱ、最後は神様しかありませんよ。
□□教を信奉すれば、いかなる病気もたちどころに……」
正宗は苦笑いを浮かべた。
癌ブログ閲覧の常連である彼からすれば、たいがいがすでに知っている内容しか見当たらない。
しかも、その方法を試した人で、寛解した話はほとんど聞かないものばかり。
それでも、自分を心配してくれる人たちが、当てずっぽうで病名を探っては、お勧めをしてくれるのは、心に沁みた。
何百件とあるコメントを、手早くスクロールしながら、眺めていく。
(ん?)
その中に、興味深いコメントがあった。
「ひょっとして重い病気に罹っているなら、異世界に行くといいよ」




