◆5 お散歩の催促
星野ひかりは椅子を回転させると、操作パネルをいじり始める。
彼女が転送装置の設定を完了すると、晴れて俺、東堂正宗は異世界へと派遣されることになる。
でも、やっぱり心配だ。
前回の派遣に比べて、あまりに能力設定が貧弱な気がする。
釣られるように、俺も設定装置に目を遣った。
実際に転送される際には、俺は大きな透明筒の中に潜り込まなければならないが、まだ設定段階だから、俺もパネルを覗き込むことができた。
見れば、〈探索〉〈索敵〉〈鑑定〉〈肉体強化〉といった能力をインストールできるよう、文字を打ち込んでいた。
そして、すべての能力値を、ほぼ最大限まで引き上げている。
100/100のカンストが大半だが、〈肉体強化〉だけは92/100になってる。
なぜかは、わからない。
おそらく、訊いても、ひかりちゃんにもわからないんだろう。
ちょっと振り向いて、彼女は念を押すように言った。
「これで安心でしょ?
向こうの世界では、王国騎士団所属の〈魔術師〉が召喚してくれるってことだから。
あとは、そこで所属する冒険者パーティー、〈青い眼旅団〉だっけ?
そこに入って、いろいろと訊いてみて」
彼女は椅子の上で、一仕事終えた、とばかりに伸びをする。
そのとき、異変が起こった。
転移室内に、シュー、シューといった空気が抜けるような音が響き渡った。
音の方を見れば、ドアが開き、ビーグル犬を抱えた白鳥雛が立っていた。
俺とひかりちゃんがアレコレ話し合ってる隙に、彼女は部屋の外へ出ていたらしい。
「もう! ヒナさん。
ベスに構わないでって言ったでしょ?」
「ごめんごめん。
でもさ、玄関でガチ目に鳴いてるからさぁ」
ヒナがしゃがんでおっ放すと、犬は一目散に主人の許へと駆け出した。
飼犬のベスが星野ひかりの足許にまとわりつき、散歩を要求してきたのだ。
やたら哀しそうに、鼻を鳴らしている。
「こら、ベス!
今は仕事中なんだから、入ってきちゃダメでしょ!?」
いつもは、兄の新一が散歩に連れて行くのだが、今日はいない。
だから、ベスが待ちきれずに、ひかりの許に散歩の催促に来たらしい。
「もうー。お兄さんは町内会に出かけてるんだから……」
ひかりは、飼犬のベスの頭を撫でてやる。
嬉しそうに、ベスは尻尾を振っている。
二本立ちの脚でひかりのお腹のあたりを、細い前脚を揃えて押してくる。
(早く、散歩に行こうよ!)
というベスの心の声が、聞こえてくるようだ。
この声を無視することは、飼主のひかりにはできない。
子供の頃、犬を飼った経験がある俺様は気を利かせた。
「いいよ、ひかりちゃん。散歩に行って来なって。
あとの作業は、俺とヒナだけで出来るから」
いきなり仕事を振られた白鳥雛は、文句を言う。
「え~~、ワンちゃん連れてきたのに、この仕打ち。
あり得なくね? ったく、マジで面倒くさ」
そんなふうに悪態つきながらも、ヒナはひかりが座っていた椅子に近寄って待機する。
散歩をせがむ犬の可愛さに抗うことはできなかったようだ。
「仕方ないわね」
妹の星野ひかりは席を立ち、あらかじめ身近に用意していたリードを持ち出し、ベスの赤い首輪に装着した。
兄の新一が不在だったから、俺を転送させた後、もとより、彼女はベスの散歩に出るつもりだったようだ。
「ごめんなさい。
ちょっとベスの散歩に行ってくるね。
あとは二人でお願いね。
出来るよね? そんなに難しくないから」
転送装置は複雑な構造をしている。
が、操作パネルは見やすく、使い方は簡単。
能力付与も転送実行も、操作方法はシンプルだ。
おまけに、すでに付与すべき能力も、派遣先の異世界の時空座標も、設定し終えている。
あとは、俺が円筒の中に入って、雛が転送装置の実行ボタンを押すだけだ。
「おおよ!」
「いってらぁ!」
俺と雛の返事を受け、ひかりは飼い犬に引っ張られる格好で、部屋から出て行った。




