◆34 墓前の誓い
朝早く、ターニャ王女は白百合の花束を持って、実母の墓前に来ていた。
朝の清らかな澄んだ空気が、気持ち良い。
小鳥の鳴き声が、辺りの静けさをいっそう際立たせている。
彼女は、自分の周囲を見渡した。
青々とした芝生が豊かに広がり、木々の間に丸く縁取った花壇があって、季節の花が植えてある。
変わらぬ風景。
ここに来ると、ほっとする。
まるで時が止まっているかのようだ。
外界から遮断された空間。
すべてが安らかだ。
ターニャ姫は花束と小さな袋から、白いウサギのぬいぐるみを取り出し、墓前に捧げた。
白いウサギのぬいぐるみは、ターニャ姫が生まれた時の産衣を、実母が手縫いで作ってくれたものだ。
幼い頃は、そのぬいぐるみと一日中一緒だった。
夜、眠る時も。
怖い夢を見た時には、ぬいぐるみに助けを求めた。
幼いターニャ姫にとっては姉弟のような存在だった。
ターニャ姫は柔らかい芝生の上に膝をつき、墓前で両手を組み、目を閉じた。
彼女の心の中に、今も変わらぬ実母の面影が甦る。
「お母様、私ももう、婚礼を迎える年齢になりました。
でも、ちっとも大人の女性になりきれておりません。
王家を継ぐ女性として、これで良いのか不安です。
お母様のように、誰相手にも好悪を抱かぬ無私の境地になれません。
私、どうしても今の義母ーードロレス様が好きになれないのです。
その義母が推薦しているアレックも嫌いです。
その一方で、好きな人もいます。
公爵家のレオナルド様です。
アレックとレオナルド様ーー二人のうちのどちらかと結婚することになるでしょうけどーー私の気持ちはとうに決まっています。
自分の心に素直に従って生きることにしました。
私も、いつまでも小さな女の子ではありません。
ひとりの女性として決意しました。
ごめんなさい、お母様。
王家のために無私の献身をなさった貴女とは違う道を、私は進みます。
身勝手に思われるかもしれませんが、お許しください。
今の王家は、お母様が存命の時の王家とはまったく別物なのです。
あなたの娘は、こんなに大きくなりました。
ウサギのミミちゃんは、お母様にお返しいたします」
ターニャが亡き母と語らっていると、静かに近づく足音が聞こえた。
はっと、顔をあげて振り向くと、そこには公爵家のレオナルドが恥ずかしそうに立っていた。
「あら! なぜ?」
ターニャ姫が驚いて、顔を赤くした。
「いえ、昨日貴女から頂いた手紙に、相談したい事があるからお会いしたいと書かれていたものですからーーご迷惑でしたか?」
「そんなことありません。
こんなに早くお会いできるとは思いませんでした」
「朝いちばんにお屋敷を訪ねたら、ここだと教えられたので、来てしまいました。
この娘を伴って」
レオナルドは傍らに置いてあったケースから、人形を取り出す。
フリルがたっぷり付いた白い衣装をまとう少女人形〈永遠の約束〉ーー。
レオナルドは先代王妃の墓前に進み、人形を添えた。
白いウサギぬいぐるみの隣に寄り添うように。
レオナルドは墓前で祈るようにひざまずいてから顔を上げると、ふと想い出し笑いを浮かべた。
「ーーそれにしても、この人形を見せたときの魔法使いさんの顔ったら、なかったですね。ははは……。
ヒナさんはーーなんていうか、私のことをあまり好いておられないようでしたね」
レオナルドが楽しそうな顔をしているのを眺めて、ターニャ姫は肩から力を抜いた。
これから政治闘争に明け暮れる人生を送ることになるかと思い、彼女はこれまで気を張っていた。
でも、その道を進むのは、私独りじゃない。
彼、レオナルド様もいるーーそう思えて、安堵した。
彼に手を差し伸べて身体を引き揚げつつ、ターニャ姫は応えた。
「そのようね。でも、それも当然かも。
私だって、初対面で、いきなり女の子の人形を大事そうに持ち歩いている殿方を紹介されたら、驚きます」
「あはは。そうですね。
失敗しました。つい夢中になると……」
二人して手を握ったまま、改めて墓前に目を遣った。
「大切にしてくださってましたのね。
その人形……」
「ええ。〈永遠の約束〉という名前に相応しく扱うと、少年の頃に決意しましたので。
まさか、先代王妃様の想い出の品となるとは、当時は思いもしませんでした。
ーーでも、もう貴女のお母さまにお返しします。
もう、人形ではなく、直接、貴女を愛したいと思いましたので」
二人は、ウサギと人形が墓前で並んでいるさまを、眩しそうに眺める。
それから、黙って互いに見つめ合った。
言葉を交わさなくても、互いの気持ちが理解できた。
レオナルドは墓前に一礼し、手を合わせ少しの間、黙祷する。
それが終わると、少し離れた樹々の処のベンチを指差した。
「よかったら、あちらで、話しませんか?」




