◆31 王妃と若い男の密談①
異世界にバイトを派遣したからといって、すべての場面が映像として地球で映し出されるわけではない。
カメラで撮影しているのは、バイトの体内から発出したナノマシンである。
特に指示しない限りは、バイトがいる場所の近所が映し出されるだけだ。
だから、この王国を牛耳る悪女ーー王妃ドロレスの姿が、地球のモニターで映し出されることはなかった。
だが、ドロレスは、たしかに王国では強大な存在感を醸し出しており、悪役らしく、王宮政庁の一室に籠りながら、様々な策謀を行っていた。
手足となる男どもから、今日も新たな情報が入ってくるはずである。
ドロレスにとって、今日、情報をもたらしてくれる若い男は、他の凡百の男どもとは訳が違った。
コンコンと、彼女の私室のドアがノックされた。
「お入り」
ベージュのイブニングドレス調の着物をまとう、頬のこけた、痩せ細った女性が、返事をした。
全身の浅黒い肌を厚い白粉で覆い、唇を赤紫の口紅で彩ったこの女性こそ、王妃ドロレス・フォン・ドミニクである。
白髪の老執事が、静かにドアを開けた。
「軽食の支度ができておりますが、お運びいたしましょうか」
「そうね。アレックはまだかしら?
約束の時間は過ぎているのに」
「例の男爵家のご子息様でございますね。
もうじきお見えになるかと存じます」
本当なら、王妃が単独で貴族家の子息に面会することーーそればかりか、王妃の自室に上がり込ませることなど、あり得ないことであった。
なぜなら、貴族家の者だろうと、家族なだけでは、正式には貴族とはいえないからだ。
正確にいえば、爵位は貴族家の当主以外持っていない。
例えば、父親が公爵だとしても、その子供が跡を継ぐか独立して爵位を得るかしない限り、たとえ年齢的には成人していても、正式な貴族とは見做されない。
貴族家の子女はみな、準爵扱いなのだ。
だから、男爵そのものならともかく、その子息だからといって、本来なら王権代理たる王妃に目通りできる身分ではなかった。
執事や侍女、その他政庁官僚以外で、王や王妃に目通りできるのは、爵位を持つ貴族家当主だけである。
それなのにーー色香に狂った王妃の側が、強く面会を求めれば別だ。
彼女は齢四十近くだが、生娘のようにはしゃいだ声をあげ、執事に念を押した。
「ねえ、アレックの好きな琥珀酒も用意できているわね」
「はい。もちろんでございます。王妃様」
「では、こちらに運んで」
王妃は立ち上がると、大きな鏡の前に立ち、全身を映した。
王妃ドロレスは、紺碧の大きな瞳が美しい。
キリッとした口許が、性格の強さを表している。
「あら、目許にハリがないわ」
不満げに、頬に手を当てた。
若くて美しい外見をしているが、今年で三十七歳になる。
突然、ノックもなく、風のようにドアが開けられた。
意中の男がやって来たのだ。
ドロレスは喜色満面で、ドアの方を振り向いた。
「ああ、アレック遅かったのね。待ちくたびれたわ」
「なに言ってるんですか。ほんの三十分ほど遅れただけですよ」
囁き声とともに、アレックが用心深い表情を浮かべて入ってきた。
この世界も地球と同じ、一時間=六十分で換算している。
何度か地球からの転生者・転移者が出てきたため、文化・文明が移植されたという説があるが、正解は定かではない。
だが、人を待たすのに三十分は長過ぎることは、地球人であっても、この王国の人間であっても変わらない。
ドロレスはさっそく駆け寄ると、男の胸板にしなだれかかる。
「妾を三十分も待たす男など、この国には其方しかおらぬわ……」
全身黒装束の美男子は、懐中から小さな箱を取り出して開ける。
青く輝く宝石を嵌めた指輪が姿を現す。
「おお、これじゃ。これを待っておった」
指輪に嵌められた宝石は、魔石であった。
〈魅了〉の魔力が封じ込められている。
それだけではない。
「これと同じ魔石を持って来たであろうな」
「こちらに」
男は革鞄を運び込む。
開けると、幾重にも紙で包まれたモノが出てきた。
包装紙を取り外すと、黒と紫を混ぜたマーブル模様の巨大な石が姿を現す。
「おお、なんと見事な麻薬原石じゃ!」
王妃が指輪に愛用する魅了専用の魔石ーーそれこそが麻薬原石、麻薬の原材料であった。




