薄気味悪い男
お茶会を終えたフェリシアは後宮までの帰路についた。お茶会の会場と後宮は離れていて、かなりの距離がある。正殿の廊下を通っていると、遠くの方からいきなり声を掛けられた。
「姉上!」
ハッとして声の方へ顔を向ける。廊下の先に、薄気味悪い笑みを浮かべた男がいた。エーヴェルト国で最も苦手な相手がこちらに向かってきている。
―――エーヴェルとト王国の第三王子であるエリック、アルベルトの腹違いの弟だ。
エリックの姿を見た瞬間、フェリシアの顔がピクリと引き攣った。エリックは今世界一関わり合いたくない相手。エリックがいそうな場所では遭遇しないように注意を払ってきたのに、今日は浮かれていて警戒を怠ってしまった。
踵を返し逃げだしたくなる足をぐっと踏ん張り、背筋をすっと伸ばしながら、気を引き締めていく。後ろを振り返って、その場で待つように小さな声で指示をした。侍女と護衛にエリックとの会話は聞かれたくない。
素早い足取りでこちらへ向かってくるエリックへ歩み寄る。フェリシアは口角を少し上げて笑みを作った。
エリックは自意識過剰でうぬぼれが強い性格。周囲への気遣いもせず礼節を欠いている。上位の相手にはヘラヘラ媚繕うが、下位の相手には高慢な態度をとる。その上、異性にもだらしがない。
王太子の座など荷が勝ちすぎているのだが、傀儡にするにはもってこい。そのため、国内にはエリック派も少数であるが存在している。
アルベルトに歪んだ感情を持っていて、アルベルトの傍にいる人間は気に入らない。フェリシアは攻撃する格好の餌食。フェリシア一人のときには、ここぞとばかりにしつこく絡んでくる。
「姉上。ご機嫌よう。」
エリックの瞳は獲物を見つけた獣のようにギラギラと揺らめいていた。
「ご機嫌よう、エリック様。お久しぶりでございます。」
顔に微笑みを張り付け、フェリシアは言葉を紡いだ。
「お久しぶりですね。最近は兄上とは上手くいっていますか?なんでも兄上は新しい妾女探しに勤しんでいるらしいじゃないですか。あんなにたくさんの妾女がいるのにまだ足りないんですかね。全く兄上も強欲なお人だ。わたしは兄上が姉上で満足できずに、どうしてあんなにたくさんの妾女をもつのか不思議で仕方がないのです。こんなにお美しい妃が傍にいるのにねぇ〜。姉上も本当にお可哀想に。異国の女性は珍しいから、今は気まぐれに愛でられているのでしょう。でもそれは一時のこと。すぐに別の妾女に興味が移すでしょう。そうでなければ、あんなにたくさんの妾女を召しませんよ。…このままでは兄上はいずれ別の女性へと離れていきますよ。これからのためにも少し距離をとられたらどうです?」
水を得た魚のように饒舌に捲し立てる。
フェリシアはこのまま延々と続きそうなエリックの嫌味に、心底うんざりしていた。
「お気遣いありがとうございます。お陰様でとても大事にしていただいています。どうかご心配なさらないで。」
「そんなことを仰っていても、兄上は色々と忙しいですからね。お二人で過ごす時間も取れないでしょう。最近は、お気に入りの妾女がいるようですからね。特に、夜は退屈で持て余しているのではありませんか。わたしが兄上だったらもっと大事にしますよ。――何ならわたしがお慰めしてあげましょうか?」
口元に下衆い笑いを浮かべながら、フェリシアの目を覗き込んでくる。
セクハラ発言と薄気味悪い表情にゾッとする。整っている顔をしているのに、こんなにも醜悪に見えるのには驚くばかりだ。
「まあ。ご冗談がお上手ですこと。わたくしも夜は色々と忙しいんですの。エリック様も色々お忙しいのではなくて?お相手しなければならない方が、たくさんいらしゃるのでしょう?」
微笑みをうっすら浮かべてフェリシアが返すと、エリックは苛立ったように目を細めた。
「姉上のためとあれば、わたしはいつでも参りますよ。お呼びくだされば、喜んでお慰めします。わたしは姉上が心配でならないのです。姉上は確かに美しい。でもそれだけでは兄上の心をずっと捕らえるのは難しいですよ。まあでも、兄上は異国の女性は好みでないのかもしれませんね。いずれ妾女から妃を娶るお考えなのでしょう。もしそうなれば姉上も王太子妃から解放されますね。お飾りの王太子妃は姉上にはさぞ辛いことでしょう。まぁ、そうなる前にお国へお戻りになるのも一つかもしれませんよ。」
少し落ち込んでしまったフェリシアは、表情を失くして目を伏せた。
フェリシアのその姿に満足するかのように、別れの言葉をかけるとエリックはその場を立ち去っていった。エリックの顔がわずかに紅潮し、恍惚とした表情を覗かせた。
エリックのように憎悪に塗れた人間は、相手が気にしていることを嗅ぎつける能力がある。的外れなことを言う時もあるけれど、時に鋭く心を抉ってくる。だから、エリックには会いたくなかった。
別れの挨拶を何とか返したフェリシアだったが、暫くその場から動けなかった。
フェリシアは、思ってもいない自分の反応に驚いていた。
――わたし、傷ついている……なぜ?
「フェリシア様?」
侍女の怪訝そうな声がかかる。
ハッとして顔をあげて表情を繕うと、侍女と護衛を呼んで再び歩き始めた。フェリシアは後宮に向かって足を早めた。
◇◇◇
レオンは王宮へと戻りアルベルトの執務室へ向かっていた。廊下で王太子妃とすれ違ったが、声を掛けられなかった。いつもは穏やかに微笑んでいるフェリシアが、悲しそうな表情をしていたからだ。
フェリシアも心ここにあらずか、レオンには気づかなかったようだ。レオンがそんな王太子妃の姿を見るのは初めてだった。
執務室へ入りソファに腰を下ろすと、アルベルトに尋ねた。
「アル、妃殿下と喧嘩でもした?」
「は!?喧嘩なんてする訳ないだろう。いきなりなんだ?」
苦々しげにアルベルトが答える。
「さっき廊下で妃殿下とすれ違ったんだけど、すごく悲しそうな顔をしていたんだ。僕にも気づかなかった。何か嫌なことがあったんだと思ってさ。」
「えっ!いつも微笑んでいるし、不満などなさそうだが……」
「それは表面上でしょう。妃殿下だって、ひとつやふたつ悩みがあるでしょう。この国には頼れる家族もいないんだ。夫であるアルが支えてあげなきゃ辛いだろう。」
レオンは小さく息を吐くと、哀れむような目を向けた。
「支えているつもりだ。」
「前から思ってたんだけど、アルはもっと女性の心情を理解した方がいい。」
「……つ、どうやって?」
「親身になって受け入れていれば、妃殿下がなにを感じ、なにを喜び、なにに哀しむのか、ちょっとした変化にも気づくはずだよ。」
アルベルトの心にさざ波が押し寄せ、ざわめき始めた。




