祝!ご懐妊です
翌朝フェリシアが目を覚ますと、朝の光が差していて、鳥たちが賑やかに囀っていた。
「リーシャ……」
「はい。」
「今日の予定は決まっているのか?」
「今日は、午後にミランダと次回のお茶会についての話をしようかと思っていますが、何かありますか?」
フェリシアは僅かに首を傾げた。
「なるべく早く、産婆に診てもらったほうがいいと思ってな。できれば、今日はあまり体調が優れないからと、出歩かないで休んでいてくれないか。」
「それはもちろんかまいませんけど……産婆さんを呼ぶと騒ぎになりませんか?」
アルベルトの提案にフェリシアは少し驚いて問いかけた。
フェリシア――王太子妃が妊娠したともなれば、国内貴族の勢力が大きく変わる。万が一知られたら騒動になるだろう。
まさか昨日の今日で産婆を呼ぶとは思ってもいなかった。とはいえ、早く知りたいのが本音ではある。
「そうか……そうだったな。だが、とにかく早く診てもらったほうがいい。ロイドと相談して、できるだけ早く手配するよ。」
「はい…よろしくお願いします。」
アルベルトは小さくため息を吐くと、上掛けをはねないようにそっと起き上がった。フェリシアは一緒に起き上がり、アルベルトの手を握った。
お互いに一抹の不安を抱えてはいたが、微笑み合うとベッドから起き出した。
「リーシャ、わたしは君をこれ以上の危険には曝したくない。そのためにどうするか、ロイドとも改めて相談し必ず君を守る。もし何かあればいつでも呼んでくれ。」
微かに震える声でアルベルトは言うと、フェリシアを抱きしめた。
「はい。」
アルベルトの碧色の瞳を真剣な眼差しで見つめ、フェリシアは頷いた。
アルベルトはフェリシアに軽くキスをすると扉に向かった。
◇◇◇
午後になって、フェリシアはミランダと次回のお茶会についての話をしていた。
そこに、控室から入ってきたロザリーが来客の訪れを告げた。
「フェリシアさま、実は今、薬師のイザベルがいつものように薬草を届けに来てくれたのですが、フェリシアさまに、お会いしたいと申しております。」
「イザベルが?」
「はい。ロイド補佐官からことづてを頼まれたそうです。」
「ロイドから……ええ、いいわ。では、通してちょうだい。」
「かしこまりました。」
しばらくして、イザベルがいつもの柔和な顔で部屋へ入ってきた。
「妃殿下には、ご機嫌麗しくお過ごしのことと存じます。本日は急な申し出にもかかわらず、このようにお目通りをお許しいただき、誠にありがとうございます。」
「ご機嫌よう、イザベル。でもそんなに畏まる必要はないから、顔を上げてちょうだい。それで、今日はどういった用件なのかしら?」
フェリシアはある予感を覚えていた。
「はい。先ほどロイド補佐官から、いつものように妃殿下の許へ薬草を届けにいった際に、妃殿下にお会いするようにと申しつかりました。」
「そう……それで?」
イザベルは満足そうに微笑んだ。
「私は薬師ではありますが、産婆でもございます。」
「まあ!そうだったの。」
「……殿下は、あなたのことを知っていたの?」
「おそらく本日までは、ただの薬師だとお思いでいらっしゃったようでございます。」
「なるほどね……」
フェリシアはロイドが事態を見越して備えていたことに思い至り、その用意周到さに瞠目した。
フェリシアは先ほどまで妊娠していることを信じて疑わなかったが、イザベルを前にするとその自信が揺らいできた。ドキドキしながらイザベルを見ると、優しい眼差しが返ってきた。その温かさに、フェリシアはホッと息を吐いた。
こういう生業の人たちは、人を落ち着かせる力でも持っているのだろうかと、感じ入ってしまう。
「妃殿下、診察をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「それじゃあ、お願いできるかしら? 寝室のほうがいいわよね?」
「さようでございますね。ロザリーさんはお湯を少しとタオルを用意していただけるでしょうか?」
「分かりました。」
フェリシアはイザベルと共に寝室に入っていった――
「妃殿下、おめでとうございます。ご懐妊でございます。」
イザベルは静かな口調でフェリシアへ妊娠を告げた。
フェリシアはミランダとロザリーと一緒に、満面の笑みを浮かべて喜び合った。
◇◇◇
その夜、いつもより早く寝室に訪れたアルベルトに、フェリシアは妊娠が確かだったことを告げた。
途端にアルベルトはフェリシアを優しく抱きしめた。
「ありがとう、リーシャ。」
「……アルビー、ありがとうございます。」
アルベルトの腕の中で顔を上げ、フェリシアはにっこり笑った。
アルベルトはフェリシアを抱き返すと、その愛らしい顔をじっと覗き込んで囁いた。
「リーシャ、愛しているよ。」
フェリシアは顔を赤くしながらも、幸せに満たされて微笑んだ。
アルベルトはフェリシアを抱き上げソファへと連れていった。フェリシアは、隣に座ったアルベルトにそっと抱きついた。
アルベルトはすぐにフェリシアを包み込むように腕を背に回すと、肩から背にかけて優しく撫でた。それから、少しだけ体を離してフェリシアのアイスブルー色の瞳を真剣に覗き込んだ。
「今のところ、リーシャの身体に負担はないんだな?」
「――はい。大丈夫です。」
アルベルトはフェリシアを目を細めて見つめた。
「…その、いつ頃生まれるかはもうはっきりかったのか?何か他に、わたしが知っておくべきことはあるだろうか?」
「イザベルが言うには夏の盛りのようです。今はまだ安定していないので、無理はしないようにと……でも、あとひと月もすれば安定期に入るそうです。そうすればまずは一安心だそうです。その頃にはお腹もふっくらとしてくるようです。」
フェリシアは絶対にこの子を守り生むのだと決意して、アルベルトに回していた手をお腹に当てた。
「夏の盛りか……きっと王宮中が賑やかになるな。」
「……そうですね。」
フェリシアの言葉を聞いて、一つ一つ丁寧に頷いていたアルベルトは、両手でフェリシアの頬を包んだ。
フェリシアに顔を近づけると、ふっと表情を綻ばせて呟いた。
「やっと、わたし達の元へ来てくれたんだね。待ち望んでいたよ。」
アルベルトはお腹に当てたままだったフェリシアの手に、自分の手を重ねて包み込んだ。
「本当に……ここにリーシャとわたしの子がいるのだな。」
「はい。」
「不思議な気分だ……」
こんなにも幸せでいられることが、フェリシアは嬉しかった。
「わたしはアルビーの子だからこそ、こんなにも嬉しくて、アルビーが喜んでくれるからこそ、こんなにも幸せなんです。」
「リーシャ……、わたしはリーシャとの子しか欲しくない。わたしの気持ちは言葉だけでは足りないが……少しでも伝えたい。本当に、君と出会えてよかった。」
「はい、わたしもです。」
二人でまだ平らなフェリシアのお腹に、しばらく黙ったままで触れていた。
まだ片付いていないことはたくさんある。これからやらなければならないこともたくさんある。それでもたった今、二人は幸せに満たされていた。
いつまでもこうしていたかったが、明日からのこともある。アルベルトはフェリシアに軽くキスすると、そっと抱き上げてベッドへと運んだ。そして、フェリシアの温かな身体を優しく抱きしめ、目を閉じた。
アルベルトはずっと、この幸せを守るためにどうするべきかを考えていた。
通常でも王太子妃の懐妊は大事であるが、王宮の中には、エリック派も少なからず存在している。十分な警戒が必要だ。決してフェリシアが危険に曝されるようなことがあってはならない。
やがて聞こえてきたフェリシアの穏やかな寝息を聞きながら、アルベルトはフェリシアと我が子を必ず守ると強く心に誓った。
ひと月が過ぎた頃、フェリシアは無事に安定期に入った。それはアルベルトはもちろん、ミランダやロザリー、王宮内で妊娠を知る人たちが、フェリシアの身体を気遣ってきてくれたからだ。フェリシアはその幸せを噛みしめていた。
しばらく経って、王太子妃の懐妊が発表された。
その吉報に王国中が喜びに沸いたのだった。