4話
ゆったりとした動きで差し出された彼女の腕を握り返すと、不思議な感覚にとらわれた。
ここに入ってから感じていた違和感。
そういうものかと無理矢理納得していたものがクリアになっていくような感覚。
足元の床が滑りながら広がっていくのに、自分たちは全く移動せず、空間が迫ってくるように狭くなっていく。
「ぐっ」
急な吐き気を堪える。
目の前がグラグラと揺れる。
足元の感覚もどこか曖昧で、浮遊しているようにすら感じる。
「あー、ごめんごめん。大丈夫だよ、すぐ治る」
「こ、れは?」
「君の体が適応しようとしているんだね」
何に対して適応しているのだろう。
広がっているのに狭くなっている、気持ち悪い動きをしている空間全体だろうか。
「無理をしなくていい。目を閉じて」
ネリザさんからの声でパニックになりかけていた頭が静かになる。
彼女に言われた通りに目を閉じる。
「ゆっくりでいい、深呼吸」
言われた通り、ゆっくりと深呼吸をする。
すると、それまで気づかなかった感覚に意識が向く。
(暖かい)
体を暖かい何かが、ゆっくりと巡っているのが分かる。
それと同時に、先程まで感じていた吐き気が治まっていた。
部屋の全体のうねるような動きも止まっている。
「どうだ?」
「はい、楽になりました。体が暖かいんですけど、これは?」
「体内に内包している魔力だ」
これが魔力か。
俺も学べば魔法を使えるのだろうか。
面白くなってきたな。
「ゲルダ?」
ゲルダさんが顔をしかめていたからだろう。
ネリザさんの声も無視して、じっと俺の腕を見つめている。
しばらくするとゆっくり息を吐き、手を離す。
そして先程の笑顔でこちらを見て話しだした。
「うーん、どうやら君はハーフらしいね」
「ハーフ、ですか?」
「うん。人間と天狗かな。魔力の質を見ただけなんだけどさ、多分そうだよ」
「はぁ」
「あれ、自覚ない?」
「ええ、まあそうですね」
自覚があるかと聞かれれば、無いとしか言いようがない。
正直、人間か天狗かのどちらかだと思っていた。
そっかー、ハーフになっちゃったかー、という感想しかない。
「いくつか質問してもいいですか」
「構わないよ」
「それじゃぁまず、俺が人間と天狗のハーフって点について」
「そこからか、もしかして知らなかった?」
「そうですね」
知ってる訳がない。
天狗の知識にしたって、精々本や図鑑で見たことがある程度の知識だ。
(ってか、この話をこのまま続けていいのか?)
ハーフということは親のどちらかが天狗だということで、当然の流れとして親から何か聞いていないのか聞いてくるだろう。
「親から何も聞いてないのかい?」
「ええ、まぁ」
ほらきた。
悩ましい所だ。
馬鹿正直に言ってもいいものだろうか。
つい先程まで、別の世界にいたのだと。
その世界では魔力も無く天狗なんて存在も実在してはいなかったのだと。
ただでさえ疑われているというのに、そんな荒唐無稽な話を信じてもらえるだろうか。
これ以上余計なことを言って疑いを増やしてしまうのは得策ではない気も…。
(いや、ここで疑われるのは仕方がない)
よく考えたら疑われて当然だ。
自分ですら今の状況を信じられていないんだ。
それに、疑われたところでやましい事はないのだから特に問題はない。
信頼はこれから得ていけばいい。
「ネリザさんには話したんですけど、俺は昨晩喫茶店で寝てたんですよね。で、目が覚めたらあの場所に居たんです」
「らしいね」
「俺の記憶に間違いが無ければ、喫茶店にいた時の俺は人間でした。天狗と人間のハーフなんて事はなかったはずです」
「うんうん」
「魔力なんてものもありませんでした。だから今、魔力の質と言われてもあまり実感ないんですよね」
「ふむ、魔力がない、ねぇ。じゃあ当然魔法も見た事はないって事かな?」
「そう、ですね」
「そりゃまた、随分気の毒な世界にいたんだね」
「はい?気の毒、ですか?」
どういう事だろう。
「魔法という便利なツールが使えない世界」という意味での気の毒という言葉なのだろうか。
「まぁ、世界も変わればルールも変わるか。しかし、なんともまたーー」
「ゲルダ」
ゲルダさんが色々と呟いていたが、唐突にネリザさんが遮って名前を呼ぶ。
「ん。まぁいいや。って事は別の世界にいたってことになるかな。この世界に魔力のない場所なんて存在しないからね。一部のダンジョンを除いてさ。あ、もしかしてダンジョンで暮らしてたなんて事は」
「ないです」
「だよねぇ。さっき言った魔力の質の話だけどね、君の魔力からは風と大地の香りがするんだ。草原を連想させる様なとっても良い自然の香り。昔会った天狗がそんな香りさせててね。気のいいやつでさ、そいつもハーフだったんだ。だから君もそうかと思ってね。そうだ、鑑定してもらうといいよ」
「鑑定ですか?」
「あぁ、そうか。知らない訳か。下の受付で出来るよ。ま、そこまで詳しく調べられる訳じゃないけどね。冒険者でなくても鑑定出来るから、帰りにして貰うといいんじゃない」
「そうしてみます」
帰り、か。
さて、どうしたものか。
ある程度自分の設定が分かっても、何一つ問題が解決していない。
「さて、他に質問は」
「えっと、住む場所をどうしようかと思ってまして、今から泊まれる場所ってありますかね」
「あーそうだね。ちなみにお金もってる?」
「持ってないですね」
そうなのだ。
確認したが、所持品は着ている服以外何もなかった。
だから早めに金を稼ぐ必要がある。
「そっか、じゃあネリザ」
「分かった。スタッフフロアに空き部屋があった。今日はそこに泊まるといい」
「いいんですか?」
嬉しい提案だ。
正直不安だった。
慣れない環境に放り込まれて仕事探して宿も探さなくてはならないのだとおもっていたから。
「別に構わない。後でこの世界の資料も持ってくるから見ておくといい」
「ありがとうございます」
本当に面倒見いいなこの人。
ものすごい助かる。
こんな事になるとは思っていなかったから、ゲームブックはざっとしか読んでいなかったし、この世界の設定を殆ど覚えていなかった。
「うんうん、他は何かあるかい?」
「いえ、他には特にないですね」
「そうかい。まぁゆっくりするといい。分からない事があればネリザに聞けばいい。ネリザ、後は頼んだよ」
「...分かった」
そう言うとネリザさんは出口に向かって歩いていくので、俺もそれについて行く。
部屋を出る時、ゲルダさんに頭を下げると一言、
「良い旅路を」
そう言って笑って手を振り送り出してくれた。
それが少し嬉しかった。
******
その後、ネリザさんに部屋まで連れてこられた。
室内は狭くもなく広くもなく、ベッドと机のみという無駄な物のないシンプルなデザインだ。
トイレはついているが、風呂場は共同の場所があるらしい。
この世界でビジネスホテルの様な施設で過ごせるとは思わなかった。
「さて、説明は以上になるが、何か分からない事はあるか?」
「いえ、特には。色々教えてくださりありがとうございました」
「私は隣の部屋だ。何かあれば言ってくれ」
「分かりました」
一通り説明が終わるとネリザさんは部屋を出て行った。
今回ネリザさんには、場所の案内や部屋の確保などでかなりお世話になった。
直ぐには難しいかもしいれないが、落ち着いたらお礼しよう。
「…はぁ、ひとまず、安心だな」
部屋のベッドに身を投げ出すと同時に、それまで意識してなかった疲れが一気に押し寄せてきた。
「流石にこれは予想外ですよ、イソギンさん」
いつも通りの日常が来ると思っていたし、疑ってはいなかった。
今まで通り、いつもの喫茶店で、いつものメンバーで、いつものようにボードゲームをするつもりだったのに。
「全く、どうなっているのやら」
おそらく、転移しているのは俺だけじゃない。
あの時喫茶店に誰もいなかったのは、俺よりも先に転移したという事だろう。
「どう、するかな…」
今後、合流を目指して行動するのか。
それ以外、特に目的はない。
クリアを目指すのなら合流したほうがいいだろう。
「会いたいしな」
最期だと思っていた。
それがこんな面白い事になってくれたんだ。
楽しまないなんて損だ。
『良い旅路を』
そう言いって笑って送り出してくれた彼女言葉を思い出す。
暖かい言葉だった。
(そう願いたいもんだ…)