2話
自分の境界線が分からない。
どこまでも広がっていけそうなほどの解放感。
ドロドロに溶けているような、そんな微睡が一瞬ブレる。
自分が揺さぶられていることを意識すると同時に、ゆっくりと広がり続けていた輪郭が徐々に元に戻っていくのを感じる。
「――っ!――っ!」
もどかしいと感じるほど緩やかな覚醒。
そんなもどかしさすら、どこか気持ちよく感じる。
残念だ。
ずっとこのままで良かったのに。
「――ぃ、おい!起きろ!」
ゆっくりと目を開ける。
自分の肩を掴んでいる手を見る。
大きな青いグローブ、爬虫類のような硬くごつごつとした肌、トカゲの顔…
「っ!」
「うぉ!ったく、脅かすなよ」
一瞬で眠気も飛んだ。
それほどの衝撃だった。
その爬虫類の顔は被り物にしては妙にリアルで、驚いた顔はどこか愛嬌すら感じられた。
感情が伝わってくる表情の変化は、本物だと受け入れるのに十分だった。
「もー、遅いよヴェイグ!何やってんのさ……どったの、そいつ?」
彼の後ろから飛んできたのは、背中に羽の生えた小人、妖精だった。
なんてこった、もう間違いない。
夢か現実かは置いておいて、ここはファンタジーな世界らしい。
「おう、悪いなフィー。偵察は終わったぞ。ついでにこいつも見つけたわけだがな」
「知り合い?」
「いや、ここで寝てた」
「はぁ!?」
そんなに驚くことなんだろうか。
店のソファーで寝てただけ……
寝ぼけていたのだと思う。
起きていきなりトカゲ頭を見たことで頭が真っ白になっていたのもある。
でなければ気づくはずだ。
喫茶店のソファーで寝てたのに、どうして森の真ん中で寝ているんだ。
「んで、誰だよお前さん」
「ん、あぁ名前ね。クラゲだよ」
「えー、何それ、おっかしな名前!」
「おいっ、フィー!」
フィーと呼ばれている妖精は人懐っこい性格なのだろう。
フワフワ漂いながら人の名前を爆笑していが、どこか憎めない。
ヴェイグと呼ばれた彼が窘めているが、聞いてないようだ。
「ん?」
彼らは気づいていないが、彼らの後ろから一人歩いてくるのが見えた。
整った顔立ちに肩まで伸ばした金髪、尖った耳。
恐らくエルフだろう。
「ヴェイグ、フィー、何している」
「げ、教官」
声からして女性ってことになるんだろう。
名前を呼ばれたヴェイグたち表情が怯えているんだが、余程怖い人なのだろうか?
フィーに至っては震えているんだが。
「まずっ、ほらヴェイグ!謝って謝って!」
「おまっ、ずりぃぞ!」
「だってヴェイグが中々戻らないからじゃんか!」
「仕方ねぇだろっ、森の中で倒れてるやつがいたら確認するだろ普通!」
「二人とも」
「っ!?」
すげぇ、声をかけられた途端、直立不動になった。
フィーはもうブレているようにしか見えない。
「報告してもらえるか?」
「は、はい、取り合えず偵察は終わらせました。魔物の生息種族の変化は見られませんでした」
「そうか」
「えっと、僕の方も一緒かな。ただ全体的に数が多い気がするよ」
「なるほど」
「後はこいつですかね。戻る途中で寝てるのを見つけました。名前はクラゲというらしいです」
「ふむ」
淡々とした連絡が進んでいく。
俺の話題になった時にこちらを見たが表情が読めなかった。
小柄ではあるが、無表情なうえに端的にしか答えないから威圧感がある。
整っているだけに余計にだ。
「すまない、いくつか確認したいことがあるのだが」
「あ、はい。答えられることなら話します」
「まず、ここで寝ていた理由は?」
「分かりません。喫茶店で寝てて、起きたらここに」
「喫茶店の名前は?」
「ディープオーシャンです」
「……ふむ、ここがどこか分かるか?」
「森ですよね、どこかまでは」
「ここはウルドの森という。フリーランの東にある」
聞いたことのない森。
おまけに聞き捨てならない名称が出てきた。
「フリーランってあの自由貿易都市の?」
「そうだ」
「……」
言葉が出ない。
自由貿易都市のフリーランってイソギンさんが持ってきた「エンド・コンテンツ」の都市の名前だったはずだろ。
何が起こってる?
「ふむ、フリーランは知っているのか」
「はい、聞いたことはあります」
「行ったことはないと?」
「ええ」
「ふむ、ではフェザーバレーは?」
「同じですね。聞いたことはあるけど行ったことはないです」
「……」
まぁ、そりゃ疑わしいだろうな。
本当のことを言っているだけなんだが、彼らの警戒が強くなっていっている気がする。
エルフの彼女がゆっくりとこちらに寄って来る。
「君は、今の君の現状を説明できるか?」
「えっと、今言ったように喫茶店で眠くなったから横になったのは覚えてるんですけど、それがどうしてここにいるかまではちょっと」
「……そう、か」
別に嘘は言っていないが、自分が怪しく見えていることは自覚している。
こちらを探る様な目はどうにもなれないが、それでも目をそらさないほうがいいだろう。
すると彼女はふと視線を外し周囲を見渡した。
「ヴェイグ、フィー、とりあえず町に戻るとしよう。クラゲ、君には聞きたいことがあるから付いてきてもらうが、いいかな?」
「え、ええ。分かりました」
疑いは晴れてはいないだろうが、この誘いは俺にとっては非常に助かる提案だ。
まだ起きたばかりで現状把握すら満足に出来ていないんだ。
彼らの話だと魔物も存在するらしいし、この場所に居続けるのも危険だろう。
町まで案内してもらえるなら安心だ。
フリーランに着いたら今後の事でもゆっくり考えよう。
******
フリーランに向かう途中で自己紹介をしていく。
彼らはフリーランのギルドに所属している冒険者の様だ。
「へー、ヴェイグはリザードマンって種族なんだな」
「お、やっぱ知らなかったか。起こしたとき妙に驚いてたからな」
リザードマンのヴェイグ。
彼のジョブはモンクと呼ばれる格闘家のようで、主に魔物との戦闘や身体能力を活かした偵察を得意としているらしい。
「ねーねー、妖精は妖精はー?」
「いや、見たことないなぁ。初めて見た」
「えー!結構どこにでもいるもんだよ。今までどんなとこに住んでたの?」
妖精のフィー。
この子は精霊魔術師というジョブらしく、豊富な魔法でサポートする役割らしい。
「フリーランに戻ったらヴェイグとフィーは報告書の作成と提出。それからパンドラに集合するように。クラゲは私と一緒にギルドへ来てもらう」
「分かりました」
「詳しく事情を聴くだけだ。心配しなくていい」
教官と言われていた女性の名前はネリザというようだ。
種族はエルフでジョブは賢者。
冒険者ギルドの教員として、ヴェイグやフィーの面倒を見ているらしい。
今回はヴェイグとフィーの依頼に付き添いで来ていたらしい。
どうもここ最近、フリーラン周辺の魔物の被害が多くなってきていたらしく、彼らの依頼はその調査ということだ。
ただ、危険度も当然高かった。
そこでネリザも教官として付き添いとして来ていたようだ。
「でも良かったね、ヴェイグが見つけてくれてさ。あんな所で寝ているなんて自殺行為でしかないからね」
「いやぁ、ほんとに助かったよ。ありがとうな、ヴェイグ」
「なぁに、気にすんな」
ネルドの森は数か所ダンジョンが出来ているらしく、俺が寝ていた付近にもあったらしい。
ヴェイグは丁度そのダンジョンの調査を終わらせた帰りだったようだ。
魔物に襲われていた可能性もあったわけだから、感謝しかない。
ヴェイグとフィーが気さくで本当に良かった。
色々話しやすいし、今後困った時も相談しやすそうだ。
問題はネリザさんの方で、ギルドの職員という役職柄もあるのかもしれないが、相当疑われているようだ。
それが仕事なのだからしょうがないと思うが、気まずい事この上ない。
「おぉ、あれが」
「うん、フリーランだよ!大きいでしょ」
「なんでお前が自慢げなんだよ」
「えへへ、いいじゃん!」
森を抜けると、一気に視界が広がる。
真っ先に目に入るのは大きな塀と、大きな門。
魔物対策もあるのだろうが、大きな塀からところどころ屋根が見える以外に、中がどうなっているのかがこちらからは見えない。
すると、塀から外に飛び出して行く物体が一つ。
「飛行船?」
「うん!かっこいいよね」
「あれは確かパンドラ商会の船ですよね」
「そうだ」
あっという間に彼方に消えていった。
あんな移動手段がある事が分かっただけでも収穫だ。
俺よりも先に喫茶店にいたメンバーは、恐らくこの世界に来ているはずだ。
ただ、出身地をバラバラに書いたせいでそれぞれ別の場所にいる可能性が高い。
飛行船が手に入れば探しに行くのも容易になる。
「そろそろ門に着くな。クラゲは私に付いてきてくれ。身分は私が保証すれば入れるだろう。ギルドについたらゆっくり話を聞かせてもらう。身分証も発行してもらえるはずだ」
「すいません。助かります」
他のメンバーの安否、これからの生活、この世界の情報収集、やる事は多くある。
焦っても仕方がないし、出来ることから確実に進めていこう。
とりあえずは信用を得ることからだな。