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凛乃の始まり

「凛乃ちゃん、どんな感じの人だった?」

「いいよ、文子さん。あの日、お礼はちゃんと言ったから」

「まあまあ、そう言わずに。どんな人か、私が見て見たいのよ。何か、特徴はないの?」

 2日後、朝の駅のホームで、文子さんが追及してくる。助けてくれた人を、見つけたいと言い出したのだ。

「もぉ……」

 凛乃は困ったと思いながらも、必死に「あの人」の情報を思い出す。

「えっと……、身長は170cmから175cmくらい。スーツ着てて、ビジネスバッグを肩から斜め掛けしてた。腕時計もしてたな……。金属製の。髪から少しワックスの香りがしたのと、あと……」

「ふむふむ」

「多分、イヤホンで音楽聞いてると思う」

「ほうほう」

 何だろう……。私まで少しドキドキしてきた。別に、関わらなくていいんだけど……。いいんだけど……、ただ、ほんの少し、ほんの少しだけだけど……。

 どんな外見か、知りたいかも……。


「あれかなぁ……」

 えっ、こんな情報だけで、見つかるものかな……。ホームには、きっと多くの人がいる。

「ちょっと、待ってて」

 相手の所に、行く気満々である。遠くから、見るだけじゃないの!?

「えっ、やだ、文子さん……」

 慌てて止めようとするが、既に足音は私のところから遠ざかっている。


「あの、すみません。つかぬことをお聞きしますが……」

 裕介は、あくびをかみ殺している途中で、見覚えのある中年女性に話し掛けられた。

「……はい?」

 あの目の不自由な彼女を、介助している人だった。人の良さそうな、ふっくらとした笑顔である。

 つい、彼女は今日は大丈夫なのかと、その中年女性がやって来た後ろの方を確認する。彼女は、少し離れた場所で、所在無げにポツンと立っていた。

「やっぱり!」

 はっ? 何だ?

「今、凛乃ちゃんのこと、確認しましたよね。一昨日、凛乃ちゃんのこと手伝ってくれた方じゃないですか?」

「あの、凛乃ちゃんって?」

 そうか、彼女の名前は「りの」というのか……。

「あそこにいる、目が不自由な女性ですよ」

 そういいながら、その中年女性は振り返って彼女を見た。どうやら、俺が彼女を確認する様子を、しっかり観察していたらしい。

「あぁ、娘さんが産気づかれたそうで……。無事、生まれましたか?」

「やだぁ、そんなことまで知ってるの? 生まれました。女の子! 写真、見る?」

 文子がおもむろにスマホを取り出そうとした時、ホームに電車到着のアナウンスが流れる。それを聞いた文子は慌てた。

「あっ、そんなことはどうでもいいわ。あなたに、お願いがあるの」

「はぁ、何でしょう」

「私がこの前みたいに居ない時、凛乃ちゃんのお手伝いしてもらえない?」

「えっ……」

「電車に乗る時と、降りる時に手伝ってくれるだけでいいの。ダメかな?」

「……」

 さすがに即答ができない。無責任には、答えられない。

「他の人にも頼むつもり。皆んなで応援してあげたいの。まずは、あなた」

 あぁ、なるほど。確かに何人かいれば、それほど負担に思うこともないかもしれない。

「そういうことでしたら……」

「やった! 来て」

 文子は裕介の腕を掴んで、ぐいぐい凛乃の方に引っ張っていく。凛乃の所に到着したと同時に、電車がホームに滑り込んで来た。

「凛乃ちゃん、大当たり。見つけたわよ!」

 取り敢えず、3人一緒に電車に乗り込んだ。


「……」

 移動を始めた電車内で、凛乃は口ごもってしまう。取り敢えず、お礼を……。

「あの……、先日は、ありがとうございました」

「いえ……」

 ぎこちない2人には、文子の存在がありがたい。

「こちらね、高畑凛乃さん。こちらは、えーと……」

「久保裕介といいます」

 裕介は自分から名乗った。

「私は、堀内文子です。よろしくね」

 まあまあ混んでいる電車の中での、小声でのあいさつとなった。


「えっ、いいんですか?」

 文子が、裕介をわざわざ連れてきた訳を説明する。凛乃はさすがに恐縮する。と同時に、やはり一抹の不安を抱く。相手は、若い男性なのだ。どんな人なのかも、まだ分からない。

「凛乃ちゃん、よかったねぇ」

 嬉しそうに言う文子の言葉を聴いて、凛乃はハッと小さく気が付いた。文子さんにも、これで少しは楽をしてもらえるかもしれない……。いや、でもなぁ……。

「じゃあ、LINEのグループ作らない? 連絡できると、私も安心だし」

 文子が無邪気にそんなことを言う。いや、それはさすがに……。

「そうですね。何かあった時、確認できますもんね」

「えっ」

 無難に断られるだろうと思った凛乃を横目に、裕介が乗り気なのに驚く。

 そんな凛乃を見て、何かを勘違いした裕介が、申し訳なさそうに呟いた。

「あっ、高畑さんはLINEできないか……」


「いえ、できますよっ!」

 凛乃は慌てて訂正する。目が見えなくても、私達はスマホもパソコンもガッツリ使える。

「えっ、できるの? どうやるの?」

「音声読み上げソフトを使うんです」

「へぇ、そうなんだ」

「ただ、スタンプは使えませんけど……」

「なるほどね。あれ、言葉で説明できないもんね。じゃ、俺も使わないようにする」

「……よろしく、お願いします」

 なぜだか、LINEを交換することになってしまった……。


 電車を降りてすぐ、ホームで裕介とは別れた。文子と駅の外に出るまでに、凛乃は少し確認をする。

「ねぇ、文子さん」

「何?」

「私、少し怖いかも……。男性だし」

「あの人なら、大丈夫」

 随分、確信に満ちた声が返ってきた。

「……」

 凛乃は黙り込む。そんなに簡単に、信用してもいいものだろうか。文子さんは、自分が「いい人」だから、性善説の生き方をしている気がする。

 目が見えなくなって、人の善意には裏があることもあるのだと、凛乃は否応なく知ることとなったのだ。

「彼ね、イケメンよ~」

「……そうなんだ」

「それに、優しいだけじゃない」

「……だけじゃない?」

「責任感も、ちゃんとある」

「……」

「私の目を、信用して」

 やはり、確信に満ちた文子の声に、凛乃は心を決める。文子の目を、いや、文子を信用しよう。

 私達は、疑い続けては生きていけない。失敗を恐れ続けられるのは、健常者の特権なのだ。

「うん、分かった」



 出会って2週間過ぎた頃には、3人で一緒に通勤する様になっていた。

 文子の言った通り、裕介からは迷惑がるそぶりは感じられず、文子と凛乃の会話を聞きながら、ただ側にいるというスタンスを取っていた。

「じゃ、昨日は、その同僚の人と一緒に帰ったんだ」

「うん。石橋さんは右足が義足だから、周りからは多分健常者に見えるんじゃないかな。いつもよく、助けてもらってる」

「凛乃ちゃんの会社って、色んな人がいるんだね」

「まぁ、ウチは『特例子会社』だから」

 それまで黙って聞いていた裕介が、珍しく話に入ってきた。

「特例子会社って、何?」

「ああ、それはですね……」

 凛乃は、説明を始めた。


 現在、民間企業では、全従業員のうち2.3%に当たる人数の障害者を、雇わなければいけないと法に定められている。具体的には、44人以上の会社ならば、必ず1人雇わなければならない計算になる。これを「法定雇用率」という。

 これは、障害者の雇用機会を確保するために、国が定めた制度なので、守らなければ「納付金」が徴収される。これについては、100名以上の企業に限られているが、なんと、基本月額1人5万円。

 その代わり、規定よりも多く雇っている会社には、「調整金」が支給される。超過1人あたり、月額2万7千円だ。

 つまり、達成できなかった会社から取り上げたお金を、頑張った会社に報奨金として与える制度といえば分かり易いだろうか。


 しかし実際問題、障害者を雇うとなると、その少人数のために設備を整えたり、専任指導者などが必要になったり、業務管理なども変更が必要になるため、時間や経費が膨大に増えることは、想像に難くない。

 企業からしてみれば、ハイリスク・ローリターンという、利益追求とは掛け離れた雇用ということになる。


 そこで企業側は、障害者を集めた子会社を設立することで、この問題を一気に回避するという方法を考え出した。子会社の雇用を親会社の雇用の一部とすることで、「法定雇用率」を達成しようというのだ。

 新たに会社を設立することで、施設の整備などの投資が集中できたり、親会社とは違った労働条件で雇用できるようにもなる。給与も独自のものとすることができ、雇用数も増やせることから、企業も障害者もWINWINの方法なのだ。

 ただ、この都合のいい「特例子会社」の認定を取得するには、当然多くの条件をクリアする必要もある。


「へぇ、そうなんだ」

 裕介が感心した声を出した。

「私達も、色んな障害を持った人達と接することになるから、相互理解が進むの。勉強になるし、大変なのは自分だけじゃないって、元気ももらえる。設備や環境も、とても整ってるし、私は週に2日、在宅勤務もさせてもらえてる」

「そうかぁ。大企業って、社会に対する責任も、大きいんだねぇ」

 文子が感心したように(うなづ)いた横で、裕介は眉根を寄せる。

「でもそれって……」

 裕介が言いにくそうに、言葉にした。

「障害者を隔離してるってことじゃ、ないのかな」

「……」

 凛乃は小さく瞠目した。裕介は……、本質を見極めている。

「そうですね……。でも、まずは第1歩なんじゃないかって思うの。今までは、私達が社会の一員として働くことそのものが、本当に難しかったから」

「でも……」

「実際、私達に健常者の人達と同じように働くことは、無理だから」

 きっぱりと言う凛乃の目を、裕介は見つめた。

「私達がやれることは何で、足らないものは何なのかを、企業や社会は知る必要がある。もちろん、私達自身も。そのチャンスを、やっと手に入れられたってことの方が、今は大事だと思ってる」

 凛乃の言葉は、1つ1つが強い想いに溢れている。裕介は、思慮が足りなかったと反省した。

「ごめん。なんか、分かった風なこと言っちゃって」

「ううん。久保さんの言ったことは、根っこにある大きな問題だから、少し驚いた。こんな少しの説明で気が付くって、もしかして、障害者のお知り合いでもいるんですか?」

「あっ、いや……。ちょっと、思い付いただけで。他意はなくて……」

 それ以上、裕介の言葉は続かなかった。少し慌てたように感じたのは、私だけだろうか……。


「じゃ、その石橋さんとは仲がいいんだね」

 裕介と凛乃の会話が終わったと踏んだ文子が、元の話題に戻った。

「うん。同期では1番かな」

 裕介は、まだ先程の「根っこ」の話を反芻(はんすう)しつつ、何となく凛乃の言葉に耳を傾けていた。

「でもね、彼もホントは車椅子で通勤したいみたい。まだ義足が完全にフィットしてないらしくてね。会社では、車椅子で移動してるもん。だけど、通勤はやっぱり義足の方が楽だって」

「えっ……」

 突然裕介が、へんてこりんな声を出した。

「何? 久保君」

 文子が裕介の顔を見る。凛乃も、裕介に顔を向けて言葉を待った。

「……いや、何でもないです」

「変な子ねぇ」

 カラカラ笑う文子の視線を誤魔化す様に、裕介は前髪を整えた。

 石橋って、女の子かと思った……。男なのか……。


 2人の会話は、まだ続く。到着までは、あと1駅である。裕介は、今度はしっかり耳を傾けた。

「ところで、その石橋さんって、凛乃ちゃんの彼氏?」

 わっ、文子さん、確信を突く……。裕介は思わず、凛乃の顔を見た。

「やだ、文子さん。彼は既婚者だよ。もぅ、自慢の奥さんでねぇ。石橋さん、事故で足を失ったんだけど、まだ子供もいないから、別れようって言ったらしいの。だけど、別れてくれなかったって」

「そりゃ、アツアツだ」

「そうそう。声がさ、ドヤ声だったから~」

 ドヤ顔ならぬ、ドヤ声か。なるほどな。そんなことまで、ちゃんと分かるんだ。

「じゃ、凛乃ちゃんの彼氏は、他の人?」

 文子さん、ツッコむねぇ……。

「彼氏なんて……、まだまだ夢のその先よ~」

「なんでー!? 凛乃ちゃん、綺麗なのに~。みんな、ほっとかないでしょ」

「もぉ、自分の事だけで、精一杯だって。みんなも一緒」

「そっか。ま、でも、出会いがある職場で、よかったわぁ。ウチの次女の職場は、出会いすらない……」

「ちゃんと彼氏できるって、娘さん。きっと選んでるところだよ」

「ならいいんだけどねぇ」

 裕介は文子の後ろから、凛乃の顔をじっくりと観察していた。「彼氏なんて」という言葉と共に歪んだ眉は、きっと、これまでの凛乃の苦しみを代弁したのだと思う。


 裕介は、そんな凛乃に提案をする。

「帰り、困るようならLINEしてみて。手伝える時もあるかもだし」

 石橋の話が出たのも、帰宅時、ホームで凛乃が困っているのではないかとの、文子の心配からだったからだ。

「久保さんは、帰りいつも遅いんじゃないんですか?」

「まぁ、あんまり役には立たないかもだけど」

「ありがとうございます。今度から、そうしてみますね」

 そう笑った凛乃の顔からは、決してLINEして来なさそうな空気が漂った。

 ちょうど電車が駅に到着し、裕介は2人と別れて会社に向かった。



「今、電車動いてないらしいけど、大丈夫?」

 裕介からLINEが来たのは、その日の夕方である。

「そうなの!?」

「今、会社に帰ってきた営業が、そう言ってる。乗用車とぶつかったらしいから、復旧に時間が掛かるって」

「大丈夫です。会社の皆もいるので」

「そう。じゃ、気を付けてね」

「ありがとうございました」


「タクシーにする?」

 しばらくして、今度は、LINEを見た文子が心配してきた。文子は、今日の午後のパートは休みだ。もう家にいるはずなのに、心配掛けてるな……。

 仕事中に、スマホの音声を何度も聞くわけにはいかないから、凛乃はトイレに移動し、会社の皆とも話し合ったことを返信した。

「みんなも電車は諦めるって言ってるから、私もタクシーにする」

「なら安心ね。また明後日ね」

「はい。ありがとうございました」


 えっ、タクシーにするの!? いくら掛かるんだよ!

 裕介は、文子とのやり取りを確認し、慌ててメッセージを叩く。

「今日定時で帰れるから、一緒に夕食でもして、待つ?」

「……」

 凛乃はその場で、立ち尽くした。


 この後、凛乃の日常が変わっていくことを、凛乃はまだ知らない。

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