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「…」
セシ公は微かに溜め息をついた。
(『魔』か…)
金の少年が、他ならぬラズーンの第一正統後継者アシャだと知ったのは、後々のことだった。アシャが15歳になり、ぼつぼつと都の人々の噂に上がる頃、ラルは父の後を継ぐ者として、初めて『氷の双宮』に招聘された。その『氷の双宮』に、いつかのあの金の少年が、今度は紛れもなく生身の人間として存在した。
(アシャ・ラズーン)
セシ公は、その時から、この第一正統後継者について、疑問と困惑を消しきれない。
例えば、その他の正統後継者は父母が誰なのかよく知られていた。今もまだ存命中の者も多い。ギヌアのように、幼い頃父母に死に別れ、前後して『氷の双宮』に入ったにせよ、足取りは依然として明瞭で、彼がどこから来た何者なのかに悩む必要がない。
だが、『アシャ』にはそれがなかった。
アシャはまるで、『最初』から『氷の双宮』に居たようだった。私的な興味も手伝って、セシ公となってから得た情報網を総動員しても、掴めたのは『アシャ・ラズーンは「氷の双宮」にて教育された第一正統後継者である』と言う既成事実だけだ。
だが、アシャが、あの夜の金の少年であることは間違いがない。あれほどの美貌の持ち主が2人と居るはずがなく、アシャにそれとなく水を向けても、話題を逸らしはするものの否定はしない。
とすれば、あの7、8歳の頃から、アシャは既に『氷の双宮』に居たことになる。そして、『氷の双宮』に居たという事実は、そのまま、その頃から第一正統後継者であったという事実に他ならない。それほど幼い時から、資質を見込まれていたせいだとしか考えられない。
そこで、セシ公の思考は一層混乱の度合いを増す。
仮にアシャがそれらの理由で、僅か7、8歳にして第一正統後継者になっていた、としよう。
ならばなぜ、その統合府ラズーンの第一皇子にもふさわしい少年が、夜の夜中に『パディス』近郊の荒れた寂しい草原を駆け回らねばならないのか。または駆け回ることができたのか、供、あるいは監視や護衛の1人も同行せずに。
また、それほどの資質を認めた第一正統後継者を選びながら、『太皇』はどうしてわざわざ第二、第三、第四と正統後継者を選び続けたのか、混乱と闘争を引き起こすだけだっただろうに。
それとも、続く幾人もの正統後継者を選ばなければならないほど、アシャの即位には『不安定な』因子があったのか。
それは何なのか。
「………」
セシ公は、とん、とん、とん、とんと机を指先で叩く。視線は今や『パディス』から『氷の双宮』へと移っている。
セシ公が今ぶつかっている問題は、ラズーンの最高機密に当たるものなのだろう。これほどの動乱を迎えても、意固地に口を噤み続ける『氷の双宮』という二枚貝(これはジーフォ公の言い草だ)はそう易々と中身を見せてくれそうにない。ひょっとすると、その二枚貝が高熱に炙られ、死に瀕して初めて、含んだ秘密を吐き出すのかもしれないが。
(何れにせよ、私はアシャの方へ駒を置いた)
もちろん、どちらに置こうと危険な賭けではあるのだし、高みの見物を決めるのが一番被害は少ないだろうが。
「…」
セシ公は1人の少女の顔を思い浮かべて微笑した。
ユーノ・セレディス。
地味な装いの割に、なんと派手な予想外の動きをしてくれる存在か。
だが、その存在に安全を嗅ぎ取った。『生』の匂い、この混乱を生き延びられる微かな可能性を感じ取った。その自分の勘は、情報屋として生きて来た時間が培ったもの、疑うまでもない。
ユーノの側に立つことでセシ公の命も守られ、『ラズーン』の謎を知りたいと言う願いも叶うと教えてくれる。
コン…コン!
鋭く窓を突く音に、セシ公はそちらへ目を向けた。白々と明けて来ている空を背景に、なお白い一羽の鳥、額の紅十字がまるで燠のように光を放って見える。アシャのサマルカンドだ。
窓を開け放つとクフィラは軽々と舞い、一瞬、翼を縮めて部屋に入り込み、巧みに空中で体を捻ると、窓枠に降りた。
「クワッ」
「アシャからか?」
セシ公は脚の筒に手を伸ばし、中の手紙を抜き取った。一読する瞳に、朝日が差し込み目を細める。わかったなと言いたげに、クフィラが一声鳴くのに頷いた。それを待っていたかのように、サマルカンドは背後の空へ羽ばたいて窓から離れ、遥か高空に舞い上がって見る見る小さくなって行った。




