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継ぎ接ぎサンドハート

作者: 九石 藜

ちょっとだけ暗いお話をどうぞ


 心というものは、肝心な時に異常となる。




「えぇっと……」




 心臓の鼓動を刻む音が鼓膜を通じて伝わってくる。全身に襲い掛かる震えはどうにも収まりそうにもない。ただ、先生に授業で当てられただけなのだが、自分でも異常だと感じるほどに心臓が早く動いている。


 名指しされた私は、机に置かれたノートを見つめている。言葉は、何も出てこない。




「高宮さん?」

「あっ、えっと……わかんない、です……」




 先生が心配そうに私の顔を見つめる。本当は、答えなどとっくにノートに書き記してあったのに。わからない振りをして沈黙を誤魔化す。


 気になってしまうのだ。先生の視線も、周りの同級生たちの視線も。


 自分を笑っているのだろうか。小さくて震えた声を小馬鹿にしていないだろうか。緊張する自分が馬鹿みたいに見えるのだろうか……。


 自分がどう思われているのか気になり続けてしまう私の自意識の塊は、中学の頃には全身を覆いつくしてしまうほどに膨張していた。


 すべてはあの時……小学五年生の時にいじめを受けたからだ。


 今になっては些細なことだと、そう自分に言い聞かせていても、私の心に侵入し今も侵し続ける毒であることに変わりない。


 記憶は毒だ。思い出してしまう限り私の体を蝕む毒。


 消そうとしても消えず、いい思い出に限ってなぜか思い出せなくなる。


 本当に、理不尽で、勝手で、気まぐれで、無性に苛々する。




「わかりました。じゃあ隣の相馬君お願いします」

「えぇー! ……ちょっと見してくんね?」

「こらー、自分で答えなさーい」




 羨ましいな、と心底思う。あぁやって、簡単に先生の前で後ろの同級生にそう言ってしまえるその心が、私にも備わってほしい。その強い心が欲しくて仕方がない。


 私にはできない。いや、する度胸も勇気もないだけだろう。


 断られるのが怖い。怒られるのが怖い。変な目で見られるのが怖い。


 恐怖心はいつも付き纏う。こびりついて離れない。


 答えられずに再び席に着いた私は、顔を真っ赤にして黒板の字をノートに写していく。


 夢中に、ただ只管に。今の時間の記憶を全部全部置き去りたいと願いながら……。








 いじめられていた理由は小さなこと。私の身長が周りより少し大きかった。それだけだ。


 小学校を卒業するころには160半ば、今現在は170を超えている。


 だが小学生でその身長だと本当に目立ってしまう。


 周りより身長が高いせいか身体の成長も早いことで男子の目線が私に一点集中する。ある日からはデカ女と呼ばれることも増えてきた。それは男子からも、女子からも言われたことだった。小学生にして、これほど自分の身長を憎んだ人間はいないのではないだろうか。


 視線は本当に苦手で怖くて嫌い。前髪を伸ばしているのも、見られないように視線を遮断するためだった。さすがに視界全てを覆うと前が見えなくなるので片目だけ出るようにヘアピンで留めているが。


 高校に入った今でも、他の女の子たちと比べれば身長が高い。私一人だけ、男子と同じ目線で話している。体育座りをしても、私だけぽこっと頭が出ている。


 目立とうと思わなくても自然と目立ってしまう。身長のコンプレックスは高い低い関係なく大半の人間が一度は感じるのではないだろうか。


 私はそれを早々から感じていて。何度普通でありたいと思ったか。


 それは贅沢な悩みだと思うけれど、悩みであることに変わりない。


 今でこそ友達も数人できてたまに会話するが、小学校のことを思い出すとその人たちを心から信用することができなかった。心の中で変に思っていないかと勘繰って勝手に勘違いしそうになる。


 何度も繰り返し何度も踏みとどまる。気づけばそれが普通になっていた。




「なぁ、今日俺と日直だったよな。よろしく」

「……え、あ……うん」




 日直になるのは毎回男女一人ずつ、基本は席が隣同士の二人である。


 ある日日直となった私は、隣の相馬くんと日直をすることになった。


 ただ声をかけられただけなのに、うまく返事ができた気がしない。


 身長は大きくても、声は震えて小さい。心も、相馬くんに比べれば遥かに小さい……。


 身長も性格も、私にとっては捨ててしまいたいものであり変えてしまいたいものだ。小学校からのトラウマからか、どんな人間に対しても心の中でバカにされていないかと、笑われていないかと、常に疑うようになってしまっている。


 臆病者で小心者の私は、人との距離を測りかねている。


 周りの突き刺す視線は私の心に穴をあける。陰口やいじめが私の心を深く裂く。


 私の心はまるで砂だ。水分量の少ない砂を使って必死に固めて形が形成されている。綻びや裂け目ができる度に、大丈夫、大丈夫だと言い聞かせ修繕作業をする。気づけば私の心はボロボロで、使い古されて継ぎ接ぎ状態、塞いだ穴は数知れず。外から何度砂をかけても、心は強固になってくれない。


 そんな心の状態を、私は誰にも打ち明けられずにいる。




「もうちょいシャキッと返事したほうがいいぞ。んじゃ、号令よろしくな」

「……え!?」

「練習練習。大丈夫だって。声小さくても誰か一人は拾ってくれるから」




 無理やり授業のあいさつを任された私は今日一日始まりと終わりのあいさつをすることになった。


 強引すぎて思わず反発するけれど、彼は笑って受け流してしまう。


 ほんとに勝手だけれど、その強引さに私は少しだけ救われたような気がしていた。








 その日から、相馬くんとの交流が始まって。


 朝は毎日挨拶するようになった。全部相馬くんからだけど。


 ノートの貸し借りもした。字が汚くて読めない部分があったけど。私のノートには落書きされていた。少しだけ笑ってしまった。


 何気ない交流を続けること、一年少々。半年が経過した頃には帰り道を一緒に帰ることも増えてきた。


 でも私の心は、救われていると同時に前より疲れているような気もしていた。


 きっとそれは、無意識のうちに自分の意見を押し殺して相馬くんの意見に合わせてきたからだろう。


 でも、初めてここまで仲良くなれた。分け隔てなく接してくれた唯一の存在なのだ。


 だから、嫌われたくなかった。ずっと一緒にいたかった。その思いはやがて、彼という存在を大切な友人から……想い人へと変化させていったのだ。




「わざわざ待たなくてよかったのに」

「いや、その……。帰りたかった、から」

「そっか。んじゃ行こうぜ」

「うん」




 ある日の帰り道、三年生になった私たちは変わらず二人で帰り路を歩く。今日は相馬くんが先生に呼ばれていたことで少し帰るのが遅くなってしまっていたが。


 なんてことない普通の道。けれど今の時間は周りに誰もいない。今だけは、私たち専用の道。




「あ、あの、ね……相馬くん」

「うん?」




 意を決して話しかける。声をかけられて首を傾げながらもこちらを向く相馬くん。私から声をかけることが稀だからだろうか。


 心臓が高鳴る。恐怖はある。震えもある。でもあの時とは違うのだ。私はこの一年ちょっとで、成長できたと思う。


 自然と……言葉は出てきてくれた。








「好き……です」








 一世一代の告白。耳も顔も真っ赤に染まっているだろうか。


 心臓はすごいスピードで鼓動を刻む。思わず握っていた手のひらは少しだけ汗が滲んでいた。


 風が頬を撫でる。桜が舞う中、相馬くんは顔を赤くしながら口を開く。








「……ごめん」








「……え」




 一瞬、何が起きたかわからなくなった。頭が真っ白になる。




「その……なんつーか……そういう存在として見てなかったって言うか……」




 彼の言葉が聞こえない。本能が拒絶しているのか。呆然としていて聞き流してしまっているのか。けれど数秒前の「ごめん」の一言だけは、あの時はっきりと捉えていた。




「……私だけ……だったんだね。好き、だったの……舞い上がっちゃってたなぁ……」




 少し時間が経って、彼の言葉を思い出す。私は……。




「私は……友達なんだよね……」

「いや、告白自体は嬉しいぜ。すごく……。でもほんと、吃驚したっつーか……」




 会話が噛み合わない。友達かどうかの返事としては不適切だ。


 勘違いしていた。好きだったのは私だけだった。どれだけ彼が弁明しようと、言い訳しようと、断ったことへのフォローをしようと……。




 振られた痛みは一瞬にして、砂の心を崩壊させる。




 気づけば私は走っていた。制止する彼の言葉を振り切って、がむしゃらに足を動かす。


 つーっと涙が頬を伝う。全力で走る私をすれ違う人々の視線も、もう気にならない。気にしている場合じゃない。



 もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ!



 走っているうちに自宅に到着し、自室のベッドへ勢いよくダイブする。


「どうすれば、よかったの……? どうすればいいの……!?」


 小学生の頃は女として見られる視線が嫌でそれは今も続いているのに、あの瞬間は女として見られていなかったことが嫌になっている。


 どうすればいいのかわからない。


 けれどもう、やってしまったのだ。あの場から逃げ出して、もうどうでもよくなってしまった。


 彼は結局、私を異性として意識してはいなかった。もう少し背が低ければそれが叶ったの……? 女の子らしい子のほうが好きだったりする……?


 考えはぐるぐる駆け巡るも、行き着く答えは見つからない。


 あんな逃げ方をすれば向こうも私に呆れてしまうだろう。もう普通には接せない。今まで通りなんてありえない。


 たった一年ちょっと。いや、時間など関係なく、作り上げた人間関係はすべて心と同じ砂なのだ。


 一つのきっかけですべて崩れてしまう。心も、人間関係も、私のそれは砂でできている。


 育みたかった関係は、残骸すら残っていない。


 こんな思いをするくらいなら、最初から作らなければよかった。気を許すべきではなかった。好きなんて感情は消してしまえればよかった。それならどれだけ楽だっただろうか。




「あは……もういいや」




 だからもういらない。そんな感情も、そんな関係も。どうせ崩れてしまうのなら、そんなものは捨ててしまおう。


 心はまた一から作ろう。今度は密度をもってもっと強固に。人間関係は断ち切ってしまおう。築くにしても上辺だけの最低限の関係のみ。私の心を触らせないようにしよう。


 同じ過ちを繰り返さないために、この痛みをもう味わわないように、私は心を閉ざしてしまおう。








 あれから数年。私は今でも、あの時のことを思い出す。


 あの時から彼とは目が合うことはあれど言葉は一切交わさなかった。彼も諦めたのか最初からそんな関係になっていなかったかのようにふるまっていた。


 二人でいることが多かったからか、一人になった途端に孤独の痛みが私を襲った。小学、中学の頃は一人でいることが多かったためにあまり苦ではなかったが、あの告白以降は蝕むように私の体に痛みが走っていた。


 やがて高校を卒業して、大学を卒業して、普通に就職した。成人式では身長のせいか何人かに声をかけられるが最低限度の会話にとどめた。二十歳になる頃には一人でいることに慣れ、痛みは自然となくなっていた。何度かあった同窓会には顔すら出さずに断った。


 これでいい。もう傷つきたくないのだ。あの時の痛みを二度と繰り返してなるものか。


 今構築されているのは職場の人間関係のみ。でも、それは砂でできていて、簡単に崩れてしまうことを知っていると上司の視線も女性社員の嫉妬の視線も平気でいられた。たとえ嫌われても一人でいることにはもう慣れたから。どうでもいい。


 私は一人でいる。そのことに何ら不安もない。気楽でいい。




「明日はお買い物に行こうかなぁ……」




 仕事から帰宅した私は、一日の疲れを癒すため一人暮らしの我が家の一室に敷かれた布団へダイブする。


 告白を後悔した日はない。あれでよかった。おかげで吹っ切れたのだから。


 お買い物を楽しみにしつつ、私はそっと目を閉じる。





 一人はもう、怖くない。




BADENDかどうかは皆さんで判断しましょう。


私自身も、心は砂だと思います。人間関係に関してもそうです。築こうと思えば簡単なんです。砂なんてどこにでもありますから。

でもそれは頑丈ではなくて、簡単に崩れてしまうほど脆くて弱いもの。それらをどうやって創り上げていくかが心を持つ我々の永遠の課題だと思います。

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