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 仁和(にんな)三年 三月三日 丁丑(ひのとうし) 巳四刻(みのしこく)


 大内裏(だいだいり)内裏(おおうち)の西、(えん)の松原と呼び慣わされる松林の中に、二十個ほどの烏帽子(えぼし)がにょきにょきと林立(りんりつ)している。

 「――ここへ来たからというて、次にまた来なければならぬ、ということはない。なにか代料(だいりょう)を取ることもない。ああ、これは特に気をつけられたい。(さき)に幾度か例があって――」

 お辞儀(じぎ)のような格好をした、(たけ)の低い黒松に尻を預けて、菅原道説(すがわらのみちとき)はよくとおる低い声を張り上げていた。

 大男をやや遠巻きにして囲んでいる烏帽子の群、その下の顔はいずれも(さんじゅう)を数えまい。ほとんどは六衛府(りくえふ)衛士(えじ)であったが、多くを占める麻の(きぬ)の中には、陽光をはねかえす練絹(ねりきぬ)の光沢もちらほらとうかがえた。まさか五位とはいわぬにしろ、おそらくは道説のような七位や六位の下官が、興味本位に顔を出しているのだろう。

 「――場所はこの松原(まつばら)を使わせて頂いておる。武徳殿(ぶとくでん)使(つこ)うてもよいとのお達しがあるにはあるが、もしどなたかにそう言われたとしても、特に固辞(こじ)するように。これは道説が一存であるが、これを守らずんば魚腸(ぎょちょう)の席に加うることあたわぬ。主催者の我儘(わがまま)とあきらめてもらいたい」

 (淑野(よしの)め、返すがえすもろくでもないことをしてくれたわい)

 道説が羅城門の鬼を退治したという噂がたってより、一月(ひとつき)と半ほど。もともと数人の同好の士だけで内々(うちうち)にやっていた剣術のつどいには、うわべだけの名声を求めて来るものか、いまだに十、廿(にじゅう)の志願者が絶えない。大勢の前で話すことが好きではなく、大人数に効率よくものを教えるこつも知らない道説にとっては、降ってわいた員数増加は迷惑きわまりない災難であった。

 「本日は挨拶まで。各々(おのおの)お役目に(さわ)らぬ程度に、ほどほどを心がけて努まれよ」慣れぬ微笑を彫りのふかい顔に貼り付けて、道説は早々に話を切り上げにかかった。背後の黒松を後ろ手にしめし、「この妙なかたちをした松、みなは辞儀松(じぎまつ)などと呼んでおるが、大抵はこれの近くで適当にやっておる。この道説がおらぬこともままあろうが、仲間内で相助(あいたす)()うてやるもよし。虚空に向こうて太刀を振るっても力はつく。そのあたりは各々の裁量(さいりょう)にまかせるが、松を損ずることだけは避けるように。――各々方、なにか質問はあろうか」

 「管少尉(かんのしょうじょう)どの、ひとつお聞きしたいことがある」

 声と共に手が上がり、てらてらした絹の長袖(ちょうしゅう)が、周囲の烏帽子をかすめてひらめいた。ややあって人垣から押し出されるように、若い男が道説の目の前まで歩いてくる。

 「じつを言えば今日この場で、(さき)の鬼退治の腕を見せていただけようと思っておった。残念なことに、本日は挨拶まで、とのことだが」隠そうとしても隠しきれぬ軽蔑の色が、男の(かお)をつかのまよぎった。「そこもとの腕を信用して(つど)った我らに、せめて剣の極意のひとつなりとご講義ねがえまいか。お話如何(いかん)によっては、辞儀松を目指す人足(ひとあし)もさだめて(しげ)くなろうほどに」

 言葉の内容とは裏腹に、男の顔には敬意のかけらも見いだせない。まわりの者より格段に様子の良いところをみれば、まず官人であることは疑いない。絹の狩衣に金柄(きんぺい)細太刀(ほそだち)などを吊った態は、ひょっとすると五位以上の殿上人(てんじょうびと)であろうか。

 いずれにせよ、彼は武官には見えなかった。

 「ご説、ごもっとも。うむ、剣の極意と申されるか」微笑の裏から浮かんできた本物の笑みを抑えきれず、道説はえくぼを隠すようにして(かたわ)らの男に顔を向けた。「長恭(ながよし)どの、魚腸の()くところの奥義、必勝の極意をこの方に」

 長恭と呼ばれた青年が、道説の(ふく)みに薄い唇の(はし)をあげる。ひとつ頷くと、帝の寵姫(ちょうき)もかくやという白い麗貌(れいぼう)を人垣に向けた。

 「お答えしましょう。魚腸剣(ぎょちょうけん)における必勝の極意とは――常に弓を手放さぬこと、これに尽きます」

 高らかな声に、はたして二十数個の口腔(こうくう)がむなしく半開きになる。中天(ちゅうてん)にかからんとする太陽の下で、どこからかカラスの間抜けた声が響いた。


 「あの間抜け面ときたら! 金柄(きんぺい)どのもざまを見ましたね、妙法先生(みょうほうせんせい)虚仮(こけ)にするからばちが当たったのです」

 美貌の青年、藤原長恭(ふじわらのながよし)がさもおかしげにそう言った。

 数日前から雲ひとつない快晴が続いている。近頃では珍しいほどの陽気で、晩春(ばんしゅん)にしてようやく衣内(ころもうち)のぬくまる心地(ここち)よい季節が巡ってきた。早々に魚腸を解散したあと、尻に根が生えてしまったようで、道説は辞儀松にもたれかかったまま長恭と長話に興じていた。

 (あの金柄どののような方が、たびたび来てくれればよいのだがなあ)

 松葉を透かす、千々(ちぢ)に切れた陽光に目を細めながら、道説は肺のしぼむほどに太い溜息をついた。剣術のつどい――魚腸に集まる人間は、少なければ少ないほどいいと彼は思っている。といっても別段、修練の質が下がるからとか、いさかいが増えるから、などといったたいそうな理由はなく、

 (めんどうだ。どだい人にものを教えるようにはできていないのだ、おれは)

 つまるところはこれであった。

 「あのような軟弱者は、木陰(こかげ)弓弦(ゆづる)を鳴らしているのが関の山です。――剣は弓箭(きゅうせん)()かず、妙法先生も奥の深いことをおっしゃる。なるほど、(かな)わぬものを常に念頭に置いておく、その謙譲(けんじょう)の心を持って修練に当たらねば、よろず(おご)りが生まれるのも当然。これは他のどのようなことにも言えますよ。まあ、黄金(きがね)の太刀を吊っているような(やから)には、額面通りにしか受け取れぬでしょうがね」

 長恭の好都合な解釈にはいつも感心させられる。これもまた特に深遠な意味などなく、道説はごく単純に「剣は弓箭に如かず」を地で行っていた。撃剣(げきけん)よりも飛矢(ひや)のほうが(すぐ)れているなどということは、子供でもわかる簡単な理屈である。

 (さき)金柄公卿(きんぺいくぎょう)のような輩は、志願者の中にたいてい一人はいた。ありていにいえば冷やかしである。

 武官文官を問わず、武芸において重視されるのは、ふつう「騎」と「射」であり、太刀は護身用、ないしはちょっと重い装飾品くらいにしか認識されていなかった。

 剣の先生まがいのことをやっている道説ですら、こと考え方においてはその例に漏れないのだが、常に斬新でめずらしい(もよお)しを探している若い公卿たちは、どうもそのように考えないらしい。ちょこちょこと顔を出しては、やっかみ半分に難癖をつけ、溜飲(りゅういん)を下げに来た。

 道説としては、頼みもしないのに露払(つゆはら)いをしてくれるので大歓迎なのだが、十人来れば九人去る、廿人来れば三人残る、といった具合に、結局魚腸はじりじりとその構成員を増やしつつあった。

 「妙法先生、今宵は宿直(とのい)ですか」

 太刀を抜いてえいやあと素振りをしていた長恭が、ややあって薄く汗の光る白面(はくめん)を振り向けてきた。

 (いまさら言うても(せん)ないが……面映(おもは)ゆきかぎりよ、このおれがよりにもよって妙法先生などと)

 この呼称にも辟易(へきえき)していた。いくらやめろと言っても長恭だけは聞き入れないのである。いわく「弟子が師を先生と呼び習わすのはけだし自然(じねん)」なのだそうな。

 「……なぜ『魚腸』なのだろうな、なあ、蘭夕郎(らんせきろう)

 「いきなりなんです、蘭夕郎はおやめ下さいと――」

 道説に苦手な呼称があるように、長恭にもそれはあった。夕郎(せきろう)とは彼の役職たる蔵人(くろうど)(いい)である。

 「なぜ『さかなのはらわた』なのだろうな。それほどに生臭(なまぐさ)いかね」

 「……さて、わたしにはなんとも判じかねます。と言っても、おおかた物珍しい名前をつけてみたかったとか、そのようなところでしょう。それはだれもつけませぬでしょうよ、『はらわた』だなどと」

 「魚腸」の名は、道説がつけたものではない。始めた当初は、もっぱら隠語(いんご)の意味合いで「剣ノ妙法」とか、単に「妙法」と呼んでいたのが、とある人の(つる)の一声で「さかなのはらわた」という珍妙(ちんみょう)な呼称になってしまったのである。

 (てっきり「御朝(ぎょちょう)」だとばかり思っておったな。もっとも、おれの剣にさよう(みやび)やかな名など似合おうはずもないが)

 「それで、おれが宿直だとどうかするのか」

 長恭の細い眉が困惑げに寄り、一拍おいて開いた。どうやら自分で振った話題を忘れていたようである。

 「あ、はい。少し相談事が」

 「そなたに解決できないことが、おれなどに解決できようかな、籐蔵人(とうのくろうど)どのよ」

 欠伸(あくび)まじりに呻いた。道説の体は徐々(じょじょ)に松の根元からずり落ち、ほとんど地べたに寝ころんでいるような(なり)になっている。

 歳こそ廿そこそこではあるが、父親が高位であるを(もっ)て、藤原長恭は道説よりも位の高い従六位上(じゅろくいじょう)を授かる身であった。毛色の違いは氏素性だけでなく官職にも及び、内裏は校書殿(きょうしょでん)にあって帝に近侍する、蔵人(くろうど)を任じている。衛門検非違使尉えもんけびいしのじょうなどと比べてどちらが見栄えがするかは、誰の目にも明らかであろう。

 そのうえ容姿端麗(ようしたんれい)詩歌(しいか)を吟じては達者、舞楽に非凡な才覚をみせ、興ずれば今様(はやりうた)まで(うた)って女どもの熱視線を一身にあつめた。ちなみに長恭(ながよし)の名は、彼の父が息子の麗質(れいしつ)をことのほか喜んでつけたもので、唐は北斉(ほくせい)の美貌の名将、蘭陵王高長恭らんりょうおうこうちょうきょうに由来する。

 腕っ節しか誇れるもののない道説にとっては、はっきり言って完璧人間である。そんな彼が、似つかわしくもない剣術に熱を上げ、「妙法先生」を(けい)して格下にあらたまることが、道説にはしごく不可解(ふかかい)に思えてならない。

 「妙法先生には、懇意(こんい)陰陽師(おんようし)がおられるとか」

 道説の頭の中にたちまち、泰佑(はたのたすく)知者然(ちしゃぜん)とした肖像が結ばれた。

 「まあ、おるが」

 「……話が前後して申し訳ありませぬが、わたしの相談事を聞いてもらえましょうや」

 握っていた抜身(ぬきみ)を鞘に納めて、長恭は辞儀松に語りかけるようにして語り出した。


 二、三日前、彼の父良世(よしよ)朝議(ちょうぎ)の果てたころ、太政大臣と左大臣がある話をしているのを耳に挟んだ。

 朝議とは、八座(やくら)の参議、および納言(なごん)、大臣などの公卿が、大内裏は東の外記庁(げきちょう)において日毎に執り行う閣議(かくぎ)のことである。長恭の父である藤原良世(ふじわらのよしよ)は、正三位大納言しょうさんみだいなごんという雲上(うんじょう)の位をもって、国政に参与(さんよ)する資格を有していた。

 「いわく、太政大臣(おおきおとど)が最近、立て続けに奇妙な夢をごらんになられるそうで」

 夜ごと、枕中(ちんちゅう)に弓弦の音を聞くという。弓鳴(ゆみな)りは邪をはらうと()われており、当初は大臣も吉祥(きっしょう)のしるしかなどと楽観していたのだったが、日を追うごとにその音には、風を切るような鋭いものが混じるようになっていく。

 それがどうやら矢音(やおと)であるらしいことに気付いたのが、二、三日前、左大臣に話をした日のことである。

 「どうも陰陽寮にことをお(はか)りになられたようなのですが、よりにもよってただの一人も手を空けられぬとのこと。大臣(おとど)はそれきり夢解(ゆめと)きなどなさるでもなく、あまりお気に留めておられぬご様子で、左大臣(ひだりのおとど)にお話をされたときも、なかばは冗談まじりであられたそうです」

 話を聞いた左大臣が、せめてもと身につけていたお守りを大臣に渡したところで、良世は図々(ずうずう)しく割り込んでこう切り出した。

 「太政(だじょう)(きみ)におかれましては、御憂悩(ごゆうのう)ありのご様子。ここはひとつ、それがしめにお任せ下さりませぬか。いやなに、二、三の策もござりますゆえ」

 実はそんなものはどこにもなかったのだが、こういった出世の糸口を逃さずに掴まえてきたからこその正三位なのだった。ほどなく良世にも陰陽寮の手を借りられぬことがわかり、はたして蹌踉(そうろう)と家路についた彼のかんばせは、

 「真っ青でした。まったく、左大臣におかれては、さだめしご不快であられたことでしょう。父はいつもそれなのです。外では調子のよいことばかり吹聴(ふいちょう)して、自宅に一歩踏み入ればたちまち、ああどうしたものか、とか、成らねばお(とが)めぞ、とかわめいてうろうろまごまご。ちっとも学習しないのです。わたしもああはなりたく――」

 「……長恭どの、話がずれてきた」

 「あ、申し訳も……」

 これほどに父親をこきおろしておきながら、つまるところ長恭の相談の(かなめ)とは、父親の吹いたほらを実現させることであった。

 (口ほどにもなく、父御(ててご)を好いておるようだ。しかし……)

 泰佑も、陰陽寮に属することに違いはない。官師ではないにしろ、道説としては安請け合いはできなかった。

 「聞くことは聞いてみようが、実を言えば、その懇意の法師も陰陽寮のひとでな。しかとは請け合えぬのだ」

 いちど立ち上がって尻を払い、邪魔な太刀を外して立てかけると、道説はふたたび辞儀松にもたれかかって眼をつむった。

 「わたしも当たれるかぎりの(つて)を当たってはみたのですが……正直、八方手詰(はっぽうてづ)まりです。どうにも陰陽師という輩は融通(ゆうずう)が利かない、理屈ばかりこねるし……」

 融通が利かない、という意見には、道説も賛成であった。

 陰陽師の位はごく低い。七位(しちい)がせいぜいの下官であるのだが、怪力乱心(かいりきらんしん)を語るものの常として、彼らはあまねく長袖者(ちょうしゅうしゃ)に受けが良かった。その人数の少なさも(あい)まって、近年の僭上(せんじょう)のふるまいにはやや眼に余るものがある。

 「で、急いだほうがよいのかな。明日あさってにでも――」

 「相すみませんが……上巳(じょうし)約定(やくじょう)の日です」

 「上……今日ではないか、それは!」

 「まことに申し訳も……わたしも話を聞いたのが一昨日(おととい)で、なにもかも父が――!」

 道説は耳を塞いで長恭の()り言をさえぎった。

 (ええ参った。今日いきなり尋ねて、そうそう都合よく引き受けてもらえようか)

 「致し方ないが、事情が事情だ、そなたにも来てもらったほうがよかろうな――しかし、それほどの緊急事であるのに、陰陽師どもはなにを考えておるのだ。(かしこ)くも太政大臣の御懇請(ごこんせい)を無下にするとは、まさか多忙など理由にはなるまい」

 「ええ、わたしも――」

 長恭が何か言いかけて、ふと口をつぐんだ。すばやく道説の傍らに滑りより、だらしなくくつろげていた肩を指で突く。

 「なんだ――」

 「陽も昇りきらぬうちに昼寝かっ、菅家判官(かんけほうがん)!」

 黒松の幹に寄りかかっていた大男の体が、ひとたまりもなく地面に転がった。松林の(こずえ)が一斉に(かし)ぐかのような、耳を(ろう)する大音声(だいおんじょう)が松原をなぎ払っていった。

 「やかましいのが来ました……」

 長恭がうんざりと耳打ちをする。

 土を踏む足音も聞こえぬほどの遠い位置から、大小二つの人影がこちらに向かって歩んでくるのが見える。前の怒声は大きなほうから放たれたもので、傍らの小さなほうは片耳を押さえて苦笑していた。

 大きなほう――文室巻雄(ふんやのまきお)が大股で道説たちに近づいていく。(よわい)八十に(なんな)んとする老翁(ろうおう)は、まったく老いを感じさせない機敏さで、まず長恭の烏帽子頭(えぼしあたま)を平手で張った。

 「こざかしや蘭籐(らんとう)め、悪口(あっこう)は儂の聞こえぬところでせい!」

 声や眼のよさに加えて、まことおそろしきは地獄耳であった。

 鶴のごとくに痩せてはいるが、道説に(せま)らんとする長身には、往年(おうねん)の筋骨の遺構(いこう)がいまだに息づいている。高齢から役職を返上したために散位(さんい)ではあるが、位階は従四位上(じゅしいじょう)の高位。やはり道説などとは比べものにならない地位にいる。

 「道説、もう終わったのか」

 「おおそれよ、これ菅家判官、近頃は老松(おいまつ)に尻を預けて太刀を振りおるか」

 小さなほう――源定省(みなもとのさだみ)の苦笑まじりの問いかけに、巻雄の塩辛声(しおからごえ)()した。

 「あ、いえ、本日は新たな志願――」

 「だまらっしゃい。忙しきにかまけて顔を出さなんだら、たちまち怠けおる。若人(わこうど)が悪しき(ならい)よ、主催者たる(うぬ)がそれでどうする」

 巻雄(まきお)は「忙しき」と言うが、彼は役職のない「散位」であった。ありていに言ってヒマである。ついでに言えば、彼はつい二日前にも辞儀松を(おと)なってわめき散らし、彼の言う「若人」たちから盛大に(けむ)たがられていた。

 「まあ巻雄どの、かように道説も長恭も反省しております。続きは明日以降、剣においてなされればよろしいではありませぬか。けだし若人というものは、言葉で説諭(せつゆ)されても反感ばかりを(しょう)ずるものにございますれば」

 そう言って取りなす定省(さだみ)は、しかし長恭と同世代、立派な「若人」であった。

 「いかんいかん。(あも)うするとすぐつけ上がるも若人が慣ぞ、ここで厳しゅうしてやるのがこやつらの――」

 「ご説、逐一(ちくいち)ごもっとも。わたくしも、これなる二人も、いまだ巻雄どののご指導が不可欠にございます。我ら三人、師にはいささかの含みも持ちとうはありませぬゆえ、さよう申し上げました。――あ、お言葉をお止めいたしまして失礼を。さ、どうぞ続きを」

 「うむ、まあ、よいわえ……」

 はたして、定省の穏和(おんわ)なうりざね顔に気を呑まれた巻雄は、皺顔(しわがお)をゆるめて言葉を濁した。こと言葉においては、定省のほうが一枚も二枚も上手であった。

 (鮮やかなものだ。巻雄さまのごとき一刻者(いっこくもの)を、弁舌(べんぜつ)のみでああも軽くあしらうとは)

 叱られて縮こまったふりをしながら、道説は胸中で(うな)っていた。傍らを見やれば、長恭のうつむいた横顔は、小さく舌を突きだしている。

 「道説、長恭、魚腸は盛況(せいきょう)のようだな」

 定省が大男を振り仰いでにっと笑った。

 「は、いえ、大概は一瞥(いちべつ)するのみにて――」

 「いまだ十名を数える程度ではございますが」道説をさえぎって、長恭が水を得たようにまくしたてた。「それも真に気骨(きこつ)ある士を選りすぐるがゆえ。みな妙法先生に心酔し、文弱(ぶんじゃく)を憂う好漢(こうかん)どもにて、一朝ことあらばただちに――」

 「あ、長恭どのハエが」

 道説のたくましい腕が振り上げられ、長恭の華奢(きゃしゃ)な背に叩き下ろされた。彼の頭ではほかに、長恭の長広舌(ちょうこうぜつ)を止める手立ては思いつかなかった。

 (よけいなことをぺらぺら喋りおって……!)

 悶絶する長恭の抗議の視線に、「黙っておれ」と無言の一瞥を返す。

 二、三の知人となんとなく始めた剣術のつどいを、周囲の人々がよってたかって大事(おおごと)にしようとするのを、道説はかねてから苦々しく思っていた。魚腸の名も、武徳殿の使用御免も、彼にとっては重荷以外の何物でもなかったのだが、

 (かと言うて、高貴な方々のお骨折りを無下(むげ)にするわけにもゆかぬ……頭の痛いことだ)

 「おお、十人か。まだまだ少ないが、以前の四人に比ぶれば躍進(やくしん)と言うてもよいな」

 巻雄は我がことのように喜んでいる。日々時間を持て余しているこの老人にとってみれば、剣術のつどいなどまさに格好のヒマつぶしのタネであろう。

 「巻雄どのもお忙しゅうなられますな、ご自慢の御佩刀(みはかし)も面目を躍如(やくじょ)いたしましょう」

 定省が(ほが)らかに笑いながら、まこと無責任に調子を合わせた。真偽のほどは定かではないが、なんでも巻雄の佩刀(はいとう)はかの蝦夷(えみし)梟雄(きょうゆう)阿弖流為(あてるい)の愛用した太刀であるのだそうな。――もっとも、そのように吹聴しているのは当の持ち主だけなのだが。

 「うむ、ゆくゆくは衛士(えじ)どもを片端(かたはし)からひっぱってきてだな、弓馬(きゅうば)に剣に、宮仕(みやづか)えの心得なども教えてやれればと思うておるのよ。――かつては何殿(かでん)の甍に妖狐(ようこ)を追い、その忠勇比類(ちゅうゆうひるい)なきを(うた)われたこの儂だ。(よわい)七十八を数え、お役目を返上したとは申せ、まだまだ後進に申し送らねばならぬことは山とあるでな」

 ちょっと持ち上げると、たいていはこんな調子であった。かつて彼が左近衛少将(さこのえしょうしょう)であったとき、東宮(とうぐう)の屋根に飛び上がり、御殿を尻に敷いた不敬の狐を斬り殺したという話は、ひろく人口に膾炙(かいしゃ)している。――もっとも、それも廿年以上も前のことなのだが。

 「……妙法先生、付き合ってはおれませぬ。参りましょう」

 道説のほうへ頭を差し向け、長恭は聞こえよがしに(ささや)いた。その白い顔はあからさまな険に(かげ)っている。彼と巻雄の不仲(ふなか)もまた、道説の頭痛のタネのひとつであった。

 「蘭籐め、聞こえておらぬと――」

 「巻雄さま! 長恭どのには道説がよう言うて聞かせまする。ここはなにとぞお(たい)らかに――」

 道説のつたない弁解をさえぎって、長恭冷淡(れいたん)にいわく、

 「我らは小用につき、これにて失礼させていただく。――巻雄さま、続きは老松(おいまつ)同士、そこな辞儀松とでもごゆるりとなされませ」

 はたして、巻雄の皺だらけの額にツノが飛び出た。

 「長恭どの! いや巻雄さま、若人が妄言(もうごん)にございます」

 「道説、行け、ここはわたしがお()り成ししよう」定省がすばやく、抜き放たれようとしていた巻雄の太刀の柄頭(つかがしら)を押さえつける。「……お前とはおちおち話もできぬ、巡り合わせが悪いのかの」

 「ええ退()け、定省! 僭越(せんえつ)ぞ! ――小童(こわらわ)め、今日という今日は許さぬ!」

 「はやく行かぬか、道説。――巻雄どの、豎子(こども)が戯れかかっただけにござりますぞ、度量(どりょう)をお見せなされませ」

 暴れる老人をいなし、押さえつける挙作(きょさ)が、妙に板についているように見える。どうやら巻雄の癇癪(かんしゃく)には慣れているようである。

 「失礼を……」道説はきっちり二回、もみ合う定省たちへ頭を下げると、傍らでふてくされていた長恭の首根っこを掴んで引きずり出した。「そなたのおかげで気苦労ばかり絶えぬ! あいだに立つおれの身にもなってほしい!」

 「申し訳ありません……道説さま」

 (この青年は……やはり理解できぬ……)

 されるがままになりながら、美貌の青年が熱視線を送ってくる。それを痛いほど頬に感じながら、道説は朱雀門を目指して小走りに駆け出した。

 大男の長大息(ちょうたいそく)に、遠ざかりつつある巻雄の癇声(かんごえ)が和した。

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