The wailer VI
四月七日 庚戌 申二刻
「あー、こら降りまっせ」
と、囁く声が耳をかすめて、道説はふと俯けていた顔を上げた。後ろから追いついて来たのか、すぐ横を見知らぬ男が追従しているのに卒然と気付く。
男の言葉通り、空は見紛いようもなく雨気を帯びている。午前の陽気などすっかり鳴りをひそめ、一様に暗い棚雲を敷き詰めた曇天の、その一角がわずかに、太陽のありかを示して仄明るんでいるのが覗われる。
天気が自分の心を代弁している……などという繊細な憂愁に囚われるような男ではなかったが、彼の心は湿気ていた。
「左衛門の旦那はん、ぼーっとしはってどないしはりましたのんや」
「……どこかで会ったかな」
妙に親しげに声をかけてきたのは、あちこち接ぎの当たった帷子で矮躯を包んだ、鬢の白味がかった初老の男である。物売りと思しい、その背に小さな蔓編みの目籠を負うている。
見覚えのない顔だった。が、記憶の糸を手繰ろうとするまでもなく、じきにその正体は知れた。
「いやあ、会うたことおへんのやけんど……ほら、九条のもんどすがな」
(で、あろうな)
時刻柄、朱雀大路の往来に人は減りつつあったが、その中にあってさえ、大男にちくちくと向けられるなんとはない奇異の目は感ぜられた。件の鬼退治騒動より三月、珍奇な動物を見るような眼差しには、はや免疫じみたものが出来つつあった。
そしてそのうちの幾人かが声をかけてくることにも。
「よくおれがわかったな」
「ああ、旦那はんえろういこおすさけ、一町はなれとっても見えはりますわ」
と、男は無邪気に笑った。
(……で、あろうな)
自らの上背に劣等感を抱いてより、すでに久しい。久しすぎて平素いだいていることすら忘れているそれも、こんなふうに明け透けに評ぜられれば、機を得たりとばかりにその存在を主張しだした。彼はさらに心を暗くしたが、男はなにも間違ったことは言っていなかったので、反駁のことばは浮かんでこなかった。
「どこ行かはるおつもりや知りまへんけどな、こら一雨きまっせ。これから帰るとこや言わはるのやったら、いらんお世話どすけど」
大男の眼下を行きあう人びとの中には、男の「こら一雨きまっせ」との推量に基づくものであろう、菅笠や藁蓑を具するものが散見された。声をかけてきたのは単純な親切からのようで、道説に雨具の用意のないのを妙に思ってのことだったらしい。よくよく見れば男の態度には、以前に話しかけてきた有象無象の人びとがおしなべて浮かべていた、用もないのに声をかけてしまったことへのささやかな後悔のいろは見られなかった。
(用もないのに、か。お互いさまだ。その後悔のいろこそ、とても比べられるようなものではないが……)
男の脚の長さを慮って、道説はこころもち歩を緩めたが、止まることはしなかった。彼は五条坊門小路は菅原邸へ向かう途中であった。
義姉を問い質しに、である。――少なくとも本家を目指すに当たって、そのような指標のごときものがあった。思い立って朱雀門を出るまで、ではあったが。
(いったい何年お目にかかっていないと思っている? あの本家を、義姉上を、問い質すだと! 相手は淑野ではないのだぞ……)
ふだん万難を排して敬遠している、菅原本家は道説にとってまさしく鬼門であった。一歩ゆくごとにあやふやな指標は透きゆき、今ではただ自虐的に、なんらの益なくしていたずらに神経を摩減しているかのようにも思える。それでも踵を返さないのは、ひとえに兄を慕うがゆえであった。
「お前も……用意がないではないか。その態でそんなものを担いで、雨天に商うつもりか」
心中の湿気に倦んで、道説は手っ取り早くかたわらの男へ逃避をこころみた。
「うちは帰るとこどす。やあ、背ェの菓子が笠に変わってくれればゆうことおへんのやけんど……」
道説に示すようにして、男は横を向いて背を軽く揺すってみせた。いまだ熟し切らぬ覆盆子が廿ほど、蓮の葉を敷いた目籠の底にわだかまっている。
(会うてくれるだろうか、義姉上は。今日は雨が降るのか。いつぞやのように、日が落ちるまで門の前に立っていなければならないのなら……参ったの、これは)
こころみるまでもなく、逃避は失敗に終わった。覆盆子の果肉の淡紅色が、蔕のまわりの艶めいた白が、菅原邸に好んで群植せられた紅白梅を想起させた。見るもの何もかもに、今つとめて考えていたくない事柄との何かしらの共通点を見いだしてしまう。小男の浅黒い顔だって、じっと見ていれば兄のように見えてきたことだろう。
「朝からイチゴイチゴゆうて声張り上げとるんどすが、いや売れへん売れへん……」言って、器用に背の籠から一粒つまみ出してにっと笑ってみせる。商売っ気の垣間見える仕草で、どうやら声をかけてきたのはまんざら親切からというわけでもなかったようだ。「旦那はん、おひとつどうどっしゃろ。朝摘んだばっかで古いことおへんし、ちょう細いけどおいしおっせ」
(義姉上は菓子など召し上がるであろうか……)
「うむ……貰おうか」
道説はなかば思考停止のまま懐を探り、十文の銭を手渡した。彼の心境からすれば、これから訪なうひとへの土産、というよりも、訪問の正当性をいくらかでも濃くするための投資、とでも言ったほうが正しい。小男の足に合わせていても、菅原邸への道である五条坊門小路の辻――道説の鬼門は、否応なしに近づいてくる。
「旦那はん、全部お買い上げで?」
「うむ……」
道説はうわの空で生返事を返した。
「……十文じゃ足りまへん、もう十文」
「うむ……」
道説は生返事を繰り返して、もう十文を掴みだした。
「…………籠も要りますやろ、もう十文や」
「うむ……」
道説は言われるままに、さらに十文を手渡した。これが手持ちのすべてだったのだが、彼には目下、刻一刻と近づきつつある鬼門の辻しか見えておらず、自らがおけらになったことになど気付きもしなかった。
「いやいや太っ腹な旦那や、ほならおおきにどうも」
「ううむ」
腰に下げていた袋に素早く銭を仕舞い込むと、もう小男は道説に一瞥もくれなかった。極めておざなりに礼を述べるや否や、木の実を抱えた栗鼠かなにかのような、非常な素早さで雑沓に飛び込んでいく。あんがい若かったのかもしれないなどと、道説はとんちんかんな感想をもってその健脚を見送った。
(そう、兄上はよく柿を召し上がったな。義姉上はどうだったであろう。菓子など召し上がったかな……)
大男は籠を両手で抱えたまま、五条坊門小路へと折れていった。
「よくお聞き。このまま目をつむってまっすぐ歩いて行って、百歩を数え終わったら目を開くんだ。そうして最初に目に入ったお家が、今日からお前のお家になるんだよ。いいね」
耳の裏に遠鳴りのような声を聞いて、道説は足をとめて立ち竦んだ。
(どれほどの時を過しても、あれを忘れてはくれぬのか。この学才に乏しい頭の、しかし記憶力だけが達者であるとは!)
廿年以上前に聞いた、それは母なるひとの最後の言葉であった。
彼を囲繞するすべてのものが、古い記憶のなかの風物そのままに高々と聳ゆく。この通りへ差し掛かるたびに襲われる、虚しくも憂わしい郷愁のような情感。たちまちに自らを五、六ほどの童子に立ち返らせてしまう、この呪いのような記憶が、彼をしてこの小路を避けさせる最大の原因であった。
彼は庶子だった。
母に背を押された足で、幼い彼は目と瞼のあいだの闇をさまよい歩いた。その果てに紅白梅の咲初める菅原邸が見えたときには、
(しばらくは目が離せなんだ。幼心にも、こんな家に住めたら言うことはないと思うた)
棟門のかたわらで、わななく膝を叱咤する童子を目の当たりにした家の主は、ちょっと考えるふうをして見せ、じきに諦めたような顔つきをした。恐らくは彼にも誰の子か判じかねたのだろう。
「上げなさい。人が見るから」
これが父なるひとの第一声である。童子の手を取った中年の舎人は憐憫を隠さず、なにくれとなく彼に話しかけながら簀子縁に抱き上げてくれ、手ずから真っ黒に汚れた顔を拭いてくれた。
「今日からここがあんたのお家だぞ。よかったなあ、お優しい旦那さまで」
(思うだに、過分な扱いであった。そしておれは幼く……なんと愚かであったことだろう)
それから誰に目通しされることもなく、彼は屋敷の南側にぽつんと孤立した、下屋のような体裁の小屋に連れて行かれた。童子を陶然とさせたあの梅の木は、池を挟んで遠く母屋にあり、なんだか裏切られたような心持ちを覚えたのが思い出される。
道説はむしろ人目を気にして、物思いに耽りながらとぼとぼと歩き出した。童子の足で百歩を数えた道のりも、大男には目睫の間である。
彼は厚く遇されることこそなくとも、決して下人のようには扱われなかった。なにをせよと言われることもなく、衣食も足り、ごくたまにはご機嫌取りのように玩具も与えられた。実際、菅原邸で暮らすようになって二年ほどは、母がこの家の人間に言い含めたからそうしていられるのだと信じて疑わず、いつになったら自分を迎えに来てくれるのだろうなどという、無邪気な考えのままに過していたのだ。
彼はその素性からか、単に住まいの立地のせいか、家の中のあらゆる階層の人びとから敬遠され、意図して遠ざけられていたようだった。虐待の石礫は飛んでこなかったが、親しげな言葉ともまた無縁であった。彼は終日ほとんどひとりで過した。話し相手といえば、恐らくは彼の世話を命じられていたのだろう、抱き上げて顔を拭いてくれた件の舎人と、その妻だという端女のみであった。
彼の置かれている正しい座標を詳らかにしてくれたのも、また彼らだった。よかれとの配慮からそうしたのだろうことは、しかし十にも満たぬ童子の理解には余った。
自分が実は、この家の人間であったのだという真相はさておき、母がもう二度と逢いに来てくれぬであろうことを説明されて、幼い彼は悲憤した。泣き喚きながら舎人を打った。ただうなだれて、ひと言の弁明もなく、一打の反撃もなく、童子のなすがままになる舎人。――彼はがむしゃらな打擲の果てに、自分の中に怒りと悲しみ以外のものが兆すのを感じた。前に説明された、自らの素性。彼はこの屋の主人の息子で、舎人はその召使いであるとの認識が。
道説は恥に打ちのめされて、再び立ち止まった。ふと目の前に植わっていた一本の柳に、奇妙な既視感を覚える。この小路に来るたびに似たようなことを考えるので、いきおい立ち止まるのも同じような場所になってしまうのだろう。
(鬼よ天狗よと罵られたのも詮なきことよ。おれは確かに、さよう嘲られるだけのことをしてきたのだから……)
明くる日、彼は手製の棍棒ひとつを提げて池を渡り、こころみに目につく人間を片端から打って回った。誰も彼も逃げるだけで止めには入らなかった。味を占めた童子は実験の最終段階として、父の妻(彼の母はあんなに着ぶくれているはずはなかったので)が可愛がっていた猫を打ち殺してみた。
「賤女腹め! お前のような鬼子は旦那さまに言うて、すぐにもこの屋から放り出させてくりょう!」
父の妻は青筋を立てて童子を面罵した。実のところ何を言っているのかしかとは解らなかったのだが、彼を皆が言うような「お前さま」以外の、「しずのめばら」と名前をつけて呼んだのに、童子はたいへん気をよくした。
結局、彼は家を追われることはなかった。咎めるものもいなかった。父なる人が叱りに来はしないかという、かすかな期待があったが、甲斐はなかった。ともあれ――童子は自らの特権を自覚した。
その日から数年ののち、左京五条に一帯の貧しい子らを率いて練り歩く、賤丸を名乗る少年が現れた。徒党を組み、通行人に難癖をつけて小突き回り、腹が減れば恐喝まがいのことも平気でやる。小狡い集団で、大人が本気で乗り出してくる一歩手前をわきまえていた。近隣の人びとの、賤丸を恨み憎む心は日増しに募り、その言の端にはひそやかに、五条三坊の屋敷に住まう公卿、正四位下菅原是善の名が繁く上せられる次第となった。
(父上もどれほど、おれを恨みに思うていたことだろう。――ついぞ叱言のひとつだに頂くことはなかったが……)
家の誰も制することができなかった童子――賤丸の倨傲は、ある日だしぬけに粉砕されることになる。
いつもどおり、たまたま遊び半分で突っ掛かった僧に、賤丸ひきいる卅人あまりの少年たちは悉くぶちのめされたのである。二度と悪さをしでかす気の起こらぬようにと、一人ひとり丁寧に左腕の骨を折って回る周到さであった。
「他のもんはな、九条は施薬院へ行って、事情を説明して診てもろたらええ。――そやけどおめえは別や。おめえみてえな糞餓鬼の芯は、腕一本へし折った程度じゃ折れたりしいひん」
身丈にまるで合わぬ、擦り切れた直綴を身につけた巨僧は、そう言って賤丸の首根っこを引っ掴むと、菅原家へ断ることもせずに音羽山へと拉し去った。――のちに聞いた話では、近隣住民の訴えに業を煮やした父が、彼をむりやり僧籍に入れんとしてはかったことであったらしい。
音羽山での生活は、実に二年を数えることになる。今までの自由と暴力に占められた暮らしは、代わって説教と検束に彩られた。棒きれを握って幾度、僧を殴殺せんと打ち掛かったことだろう。そのつど僧は似たような棒きれ一本で、それこそ賤丸を足腰の立たぬくらいに打ち据えた。
「おめえは腕力の使い方を悉く間違うとる。特に得物の使い方なんざ目も当てられへん。棒きれ握りゃあ強うなれる思とんのやろけどな」
僧は賤丸のすべてを否定した。彼は自らにつけた「賤丸」の名でさえ呼ばれず、
「頭もあらへん、力もあらへん、ひとの落とし物をついばんで生きて、生かしてもろとることにも気付かへん。おめえは犬畜生と同しや。いや、犬かて呼ばれりゃ返事くらいしよるわな。――ほならおめえは雀や」
賤丸は「チュウ」なる不名誉な名前を貰った。呼ばれて返事をしなければ容赦なく打たれた。叱られたことも打たれたことも、大人の言葉に従ったことすらもほとんどなく、同年代の阿諛追従を喰らって肥え太った彼の自尊心は、日を追って萎びていく。
山に連れてこられて二月目、賤丸はとうとう泣いて許しを乞い、家に帰してくれろと僧に訴えた。僧は聞き入れなかったが、にわかに態度を軟化させ、
「この山で座学と練行を修めてな、雀が人間さまに生まれ変わるくらいの努力をおめえが見せたなら、そのときはちゃあんと京へ戻したる」
と請け合った。
(妙法先生……今はいずこにおられるだろう。来し方の礼を述べたいものだが……)
「――下睦まじく、夫唱えれば婦随う。外にては傳訓を受け、入りては母儀を奉ず。諸姑伯叔あり、猶子児に比す――」
道説の目の前には、懐かしい菅原邸の棟門が口を開けていた。まだ声変わりのしていない、黄色い子供の声がいくたりか、千字文を素読しているのが聞こえてくる。菅家廊下――邸内に設けられた講筵には、いまだ幾人かの生徒が残っているようだ。
「――孔だ懐うは兄弟なり、気を同じうし枝を連ぬ。友に交わるに分を投じ、切磨箴規せよ――」
「孔だ懐うは兄弟なり、か」
十五歳の秋、賤丸は僧に伴われて菅原邸へと帰宅した。
あれほど帰してくれと懇願していた彼は、しかしいざ帰宅する段になって、山を下りるのを躊躇した。いったい彼を迎えてくれる、どんな人間がいるというのだろう。自分が今までしてきたことを思えば、自らの帰還を喜ぶもののいようはずがないではないか。
少年の煩悶には取り合わず、僧は菅原家へ訪ないを入れた。賤丸を迎えたのは千字文の素読ではなく、見知らぬ男であった。
「このたびは愚弟がいかいお世話になり、感謝のしようもございませぬ。ご面倒をおかけ申しました」
事態の説明を求めるでもなく、追い返すでもなく、男はそう言って烏帽子が地面にくっつくくらいに深々と頭を下げた。今にして思えば、兄は恐らく父を問い質すなりして、事の次第を把握していたのだろう。
「おれはなにもしとらへん。この子ォはほんまに手ェのかからん、ええ子ォやったで」と、僧は眉ひとつ動かさずに嘘をついた。「ここの旦那はんからはな、この子ォは人間の言葉がわからん鬼子や、さっさと得度させて清水のお堂に入れたってくれ言われてなあ。――そやけどちょう話してみればなんや、普通の子ォやないか」
男は「返す言葉もございませぬ。すべては私どもの監督の行き届かぬがゆえに」と、顔を伏せたまま詫びた。僧は責難の色を隠さなかった。
「あんたを悪しゅうゆうわけやあらへんけどな、あの一連の悪事はな、なんもかもお家のせいや思いまっせ。まるで教育がなってへんのやから。――最近はてめえの指導の悪さを棚に上げくさって、手ェに追えへん子たちを片端からぽんぽんぽんぽん寺に放り込もうとする、おつむりの中に糞の詰まったような馬鹿野郎が増えましてなあ、ほんまにかなんのどすわ」
ぺらぺらとまくし立てると、僧はそれを捨て科白に、賤丸に別れのひと言もなく去ってしまった。――彼の言った「ええ子ォ」のひと言が、賤丸の聞いた最初で最後の誉め言葉であった。
男は無言で、去りゆく背にもう一度あたまを下げた。他ならぬ自分のことで、他人が頭を下げるのを見て、賤丸は甚だしく奇妙に思った。彼の行為を代弁する人間など、生まれてこのかた目の当たりにするのは初めてのことだったので。
それからどれほどそうしていたことだろう、ようよう頭を上げた男は、いきなり賤丸をぶん殴った。殴られるのにすっかり慣れていた賤丸をして悶絶させるほどの、それは凄まじい一撃だった。
「菅家の子がよくもあれほどの狼藉を行うてくれたなっ! 兄として情けない!」
拳骨に況して衝撃的だったのは、賤丸を「菅家の子」と宣い、自らをして「兄」と称した男の言葉であった。
殴られた頬が、焼印を押し付けられたように熱かった。僧に百度打擲されようと流すことのなかった涙が、母との別離を説かれたときより、再び流れまいと思われた涙が、そのとき滂沱と溢れ出た。かつて、かの舎人たったひとりだけが彼に与えたもの――賤丸が菅原の人間であるとの約束を、兄は拳に乗せて彼に贈ったのだった。
「さあ立て、お前をこのまま家には入れぬぞ! まずは詫び行脚だ!」
いまだ往来のある時刻であった。騒動に好奇の目を向ける人びとを一顧だにせず、兄なるひとは声を嗄らして泣く賤丸の首根っこを掴んで立たせ――夜が更けるまで彼を伴って、近隣の家々に頭を下げて回ったのだった。
「賤丸のしずは、賤女のしずか」
兄は、詫び参りの中途にそのようなことを問うた。
「父上がつけたのか、いや、母上か? なんにしろ酷い名だ」
自分でつけた名前だったので、賤丸は少しがっかりした。兄はちょっと思案気に首を傾いだあと、
「お前はちびだから、そうだな、よし、お前の名は阿高城としよう。音羽山とまではゆかずとも、お前が丈高く立派になるように。――今日からお前は高城丸を名乗れ」
彼の頭に手を置いて、「高城丸」と呼んでくれた兄――菅原道真との出会いは、道説が菅家の門を叩いてより、実に八年後のことであった。
月一連載はまずい、せめて隔週にしたい……。