表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/23

Returning arrow VII

 三月四日 戊寅(つちのえとら) 子四刻(ねのしこく)


 ふいに尾筒丸(おづまる)が、猫のようにあらぬ方をついと向いたなり、几帳(きちょう)の前の銭塔が派手な音をたてて四散した。

 「尾筒丸、どっち?」

 季満(すえみつ)の鋭い問いに、童子は(きざはし)からやや左よりの方角を小さな指で指し示し、「アッチ」と呟いた。道説(みちとき)長恭(ながよし)は、ばらばらに散った銭を眺めながら凍りついている。

 「よっちゃん、そこ退き。道説、弓の準備」

 切迫(せっぱく)した声で指示を飛ばしながら、本人は尾筒丸のこしらえた二体目の人形を引っ掴み、階のかたわらに静かに()える。長恭の「来たのか、土師法師(はじのほうし)」という問いかけは完全に黙殺された。

 「道説、さっきゆうた通りや。人形(ひとがた)を射る思うのんやあらへん、その向こうにいる悪者を射る思うのんえ」

 「うむ……しかしまことにかような――」

 「道説、こっち見い」一度どんと床を踏みならすと、季満は怒ったような顔をしてみせた。「ええか、信じへなんだら、どんな簡単なことかて成功しいひんにゃ。これからお前のやることは難しいことやあらへん、お前の矢はぜったい相手に当たる。おれを信じい、自分を信じい」

 しばしためらいつつ、弓の具合を確かめるように二度三度と(つる)を引いていたのだが、ややあって「応」と短くいらえると、道説は几帳の前に立ちはだかって檀弓(まゆみ)征矢(そや)をつがえた。

 (季満、お前を信じるぞ。お前の言うとおり、この矢は当たる。この矢は当たる――)

 「太政大臣(おおきおとど)(あた)す輩、我が一矢を(もっ)て報いなさん。この矢当たれ」

 弓弦(ゆづる)も切れよとばかりに引き絞り、かんと射放(いは)った征矢は――はたして人形の手前でこつぜんと消えたのだった。


 言師(ごんし)が「うっ」と唸ったなり、後ろに控えていた別当(べっとう)の顔すれすれに、一筋の征矢が突き立った。土壁の半ばまでを貫いた矢は飴色に焦げ、薄い白煙ときな臭いにおいを漂わせている。

 別当は特に驚いたふうもなく、その矢柄(やがら)に手をかけた。

 「……いずこかの外法師(がほうし)か。手は打ったのだが――うまくいかなんだようだ。言師、()めるか」

 矢は容易に抜けない。別当は仕方なしに矢柄をへし折ると、微動だにしない言師の背にそう水を向けた。言師は頬をなでなで首だけを振り向け、低い声で、

 「今宵この大事(だいじ)をしくじれば、もとより生きて朝を迎えることはせぬ――さよう、牛頭天王(ごずてんのう)に誓願した。相手が誰であろうと何人いようと、私は弓を引くのみ」

 と決意のほどを示す。

 別当の目がつかのま、(まぶ)しげに細められた。

 「正直これは成らぬと思っていたが……見上げたものよ、言師。この大事成就に命をかけたか」

 言師が自嘲気味に鼻をならす。

 「……まこと、御辺(ごへん)の言わるるとおりよ。私はもともとそれほど術に長じおるわけではない。これ以上時間をかけても、地金(じがね)をさらすことにしかならぬであろう。――なればこそ」

 (この正業につくまたとない機、(のが)すわけにはゆかぬ。我が為に、(さい)が為に!)

 祭壇から二矢目を頂き、ふたたび桃弓(ももゆみ)につがえる。言師の瞳には、呪殺などという禍事(まがごと)を行うものにまったくそぐわない、清々しい澄んだような光さえ宿っている。

 それはまさしく、命を捨ててかかるものの覚悟の光とも言えようものであった。

 「天刑星(てんぎょうしょう)よ、牛頭天王よ、照覧(しょうらん)あれ。この忌矢を以て冥罰とせん。奸臣庇うものあらば、この矢当たれ」

 空気を切り裂くかん高い音のみを残して、言師の射放った蘆矢(あしや)は祭壇の手前でかき消えた。


 (あの矢はどこへ行ったのであろう、本当に季満の言う『悪者』に当たったのであろうか。――なにがしかのいかさまを(ろう)したようにも見えなんだが)

 季満を信じると言い、また真実信頼して弓を引いた道説であったのだが、いざその結果を見るにつけ、湧いて出てくるのは疑念ばかりであった。

 なるほど、面妖にも矢は消えた。が、その後人形はびくともせず、それきりいたって何事も起こる気配はない。道説と長恭はいきおい所在なく、つい先程などは困惑の(てい)でその辺りをうろつこうとして、季満にひとくさり怒鳴られたりしていた。

 尾筒丸は相変わらず、(えん)の下のネズミに耳をそばだてる猫よろしく、一方を見やりながらぴくりとも動かない。長恭が事態の説明を求めるも、季満はいちど不機嫌そうに舌打ちをしてよりのち、ぶつぶつとなにごとか呪文めいたつぶやきを発するのみで、こちらもまた黙殺されるに止まる。

 すでに護法(ごほう)が始まっている以上、長恭もいつもの傲岸(ごうがん)ぶりを発揮することは躊躇(ためら)われるらしい。仕方なしに道説と二人、菩提講(ぼだいこう)に連れてこられた童子のごとく(ちぢ)こまっているよりほかなかったのであった。

 「季満や、状況がわからぬ。矢は当たったのかな」

 季満のむつかしい貌は、まさか成功を示すものではあるまい。が、不安と疑念に(さいな)まれながら黙然と座っていることに、道説はいいかげん()んできていた。渋い貌をされるのを百も承知で、つとめて(ほが)らかな声をかけてみる。

 「……ダメや、外した。方角がずれとるかもわからん。ちょう黙っとき」

 季満は早口にそれだけまくし立てると、もとのぶつぶつに戻ってしまった。平素の愛想のよさとはうって変わって、まったく取り付く島もない。

 「土師法師、それで、今はなにをしているのだ。――なにか私に手伝えることがあれば言ってほしい」

 「…………」

 「これ、土師法師」

 長恭の言葉はみたび無視される。今回はいくらか譲歩のいろを帯びた申し出であったので、(そで)にされた青年は柳眉(りゅうび)を逆立てて憤慨(ふんがい)した。

 「……まったく、おのれの腕の悪しきが招いた事態であるのに、説明もひとつもせぬとは――」

 「長恭どの、お静かに」ふと、前に言われたことを思い出して、道説は手をあげて長恭の繰り言を遮った。「季満、邪魔をするが、大切なことぞ。おれも長恭どのも、現状がどうであるのか説明してもらわぬことには、お前を信用しようにも信用できぬ。――それが事の成否を分かつのであろう」

 我ながら上手いことを言ったと内心得意になる道説に、季満の切れ長のきつい眼差しが注がれる。

 ぶつぶつが止まる。

 「……あのな、すぐに――」

 と、言いかけた瞬間、なんの前触れもなく季満の体がかき消えた。姿を探す間もなく、(ひさし)と母屋を分かつ柱の、ほぼ天井に近いところで、なにかが猛烈な勢いで激突したような音が起こる。

 「あっ……季満!」

 音のしたほうへ首を振り向けた時には、ちょうど季満の体が手足をばたつかせながら、板の間に落ちゆくところであった。墜落する転瞬、二度目の激突音に屋敷中が鳴動し、ややあって柱に激突したときに脱げたものか、季満の烏帽子(えぼし)が遅ればせながら主人のうえへ落ちてくる。

 「季満、無事か」

 「……! ……!」

 したたかに背中を打ったせいか、季満は呼吸ができない様子で、獣のようなうなり声を上げながら板の間を転げ回っている。介抱しようにも手がつけられず、そうこうしている間にも、大臣(おとど)や家中のものが音を聞きつけてやってくるのではないかと、道説と長恭は一緒になって周章狼狽(しゅうしょうろうばい)するよりほかなかった。

 「ミ、ミヅキメ、大丈夫なんか……!」

 苦しい息のうちから、季満はそんなことを呟いた。道説たちがそれを不審に思う(いとま)もなく、

 「尾筒丸、見とったな、どっち!」

 咳き込みながら矢継(やつ)ぎ早に怒鳴る。床に這いつくばった季満をこわごわ窺っていた童子は、しかし半ベソをかきながらおろおろするばかりある。ようよう口を開いても(ども)りがきつく、口数が少ないのも手伝ってなにを言っているのかわからない。

 「尾筒丸、早う――!」

 「土師法師、落ち着け。お前がそれでは萎縮(いしゅく)するばかりだ」

 ()れる季満を、長恭がそう(さと)す。道説に「土師法師の介抱を」と言って立ち上がると、彼は尾筒丸のかたわらに席を移した。

 「……季満、大事ないか」

 介抱と言われても、なにをしたらよいものやら見当がつかない。とりあえず華奢な肩に手を置いてみると、季満は人が変わったように「さわんな!」と目を()いた。身をよじって肩にかけられた手を払う。

 長恭は少し離れたところで、尾筒丸の頭に手を置いて、なにごとか言い含めているようだった。声が小さく話の内容は聞き取れないのだが、漏れ聞こえるそれは地の高さと(あい)まって、なんとも女のように優美である。

 (かような声と顔とで今様(はやりうた)でも(うた)われてみれば、それは女どもが放っておくはずもない。天は不公平よ……)

 思わず場違いな想念が胸中をよぎる。季満に引っぱたかれた手をふりふり、道説は少なからぬ羨望をもって長恭をうち眺めた。青年はほどなく腰を上げ、階のかたわらに据えられた人形を手に取り、尾筒丸の指さすほうへと位置を微調整している。

 「道説、準備せえ。大臣を、護ってるのが、ばれとる。次は人死にが……出るかもわからん」

 息を整えながら、季満は切れ切れにそう言った。

 「最初の矢を外したせいだな――すまぬ」

 「お前って……」

 荒い息がひとしきり乱れる。なにが可笑しいのか、季満は笑っているようであった。

 「……お前のせいやあらへん、でも、次で決まらへなんだらな、大臣()かして逃げるえ。おれを狙うのんならまだしも、お前かよっちゃんでも、狙われたら、防げへん」

 「それは――」

 「土師法師、いいぞ」

 長恭の言葉に、季満は「道説、次が来る、(はよ)う射れ」と言い置き、自身は几帳のほうへ這っていく。大臣の髪を巻きつけた人形を少し(むし)り、それを口に入れて向き直った。

 「季満、ひとつだけ教えてほしい」ふいに頭の中に浮上してきた疑問を、道説は思いつくまま尋ねた。「この矢は……相手を殺すであろうか」

 「……向こうは殺す気ィや。お前も殺す気ィでやらへなんだら、呪は返せへん。返らへなんだら、この四人のうち誰かが死ぬやろ」

 そう言って目を閉じると、季満はふたたびぶつぶつを開始した。

 「妙法先生(みょうほうせんせい)、次は当たると、尾筒丸も申しております。――ご存分に」

 長恭も尾筒丸も、弓箭(きゅうせん)(たずさ)えてたたずむ大男を無言で見詰めている。相手の命の心配をしている場合かと、道説は己の弱気を(いまし)めた。

 (では、殺そう。生かしてはおけぬ、大臣が、この三者のうちいずれかが、そうしなければ死ぬというのなら――殺す)

 「応」と低くいらえて、道説は(やじり)の先に人形をとらえた。弓弦をぎりっと引き絞り、

 「呪箭(じゅせん)の者、この一矢を以て誅せしめん。この矢当たれ」

 かんと征矢を射放った。


 言師は三矢目を桃弓につがえていた。

 (手応えはあった。次の一矢で、太政大臣は悶死するだろう)

 ふたたび邪魔は入るまいと、言師は確信していた。

 命をかけた必殺の矢である。複数の腕利きが一心不乱に加持(かじ)するのであればまだしも、当面の脅威である陰陽寮(おんようりょう)はすでに抑えてあり、洛内(らくない)陰陽法師(おんようほうし)への斡旋も、別当がどうやってか遮断していた。この急場に寄せ集められるようなにわか法師ごときに、

 (我が一世一代の呪詛(かしり)、破れようはずもない)

 知らず口角が上がるのを感じた。

 「別当、越前(えちぜん)は遠い。陰陽権助(おんようのごんのすけ)の職を賜りたいが、(ろく)はいかほど頂けようものか」

 思考はどうしても目前に迫った報酬へと向かってしまう。むしろ己を奮発させるつもりで、言師は背後へ声をかけた。

 返事はない。

 「ご案じ召さるな、今宵巨悪は――」

 「オンセンエンシャテンドウソワカッ!」

 凄まじい気合とともに、別当が一歩前へ踏み出し、右手に結んだ刀印を突き出すようにして、祭壇のほうへ向ける。が、その挙動の終わらぬうちに、言師の体は脚を上にして、まるで魔物に掴みあげられたかのように天井へと消し飛んだ。

 「言師!」

 言師の体は垂木(たるき)をかすり、化粧屋根(けしょうやね)野地板(のじいた)を突き破らんばかりの勢いで天井に激突し、盛大な(ほこり)を従えて板の間に墜落した。悶絶する彼の大腿には、弓摺羽(ゆずりば)までを射通した征矢が()えており、その矢疵(やきず)の辺りだけが、まるで炎に(あぶ)られた生木のようにぶすぶすと(ふす)べっている。

 「ひとりではなかったか……」

 別当がひとりごちた。さすがに物音を聞きつけたものか、対屋(たいのや)のほうがにわかに騒がしくなっている。

 「言師、歯を食いしばれ」

 「待て……手出し無用……!」

 矢に手をかけようとした別当を、言師は血を吐くような声で止めた。臓腑(ぞうふ)を損じたものか、真実その口の端からあごにかけて、(よだれ)まじりの血が(したた)っている。

 激痛を噛み潰さんとして、その体は(おこり)のごとくに打ち震えていた。

 「言師、お前は失敗したのだ。もう弓は握れまい」

 言師の右腕はあらぬ方向へと折れ曲がっていた。天井をひと(めぐ)りしてきた代償はそれだけに止まらず、とくに矢の突き立った右脚は酷い。骨が膝から突き出ており、真っ黒な血が布袴(ほうこ)をしとどに濡らしている。

 「まだまだっ! まだ二筋、残っている! まだっ!」

 別当の手を振り払うと、瀕死の獣のような唸り声を上げながら、言師は祭壇の前へと這っていった。

 「……残った矢は一筋、先に基経(もとつね)を殺れぬ以上、もはやお前の打つ手はない。潔く――」

 別当は言葉を切った。気でも()れたものか、言師は低く笑っているのである。

 「ある、いま一筋、ここに……!」

 震える手で大腿の征矢にふれる。言師はなんとかこうとか身を持ち上げ、祭壇の前にいびつな正座をした。

 (油断した……が、ここが先途(せんど)! しくじるわけにはゆかぬ……!)

 「……謹んで勧請(かんじょう)し奉る、武塔神(むとうしん)の荒御魂やどらしめ給え。(こいねがわ)くは我が誓願成就せさせ給え」もはや言師の(おもて)に、前の清らかな様子はみじんも窺えない。まさしく呪いを吐くといったふうに続けて、「矢よ矢よ返れ、この矢返って射手が五臓を()らん、この矢――!」

 (もも)の矢を掴み、絶叫とともに引き抜く。

 「――返れ!」

 血の糸を引くそれを、言師は祭壇に向かって投げつけた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ