「はい、マスター」
「なあお前さ、帰還プログラム"F"ってどうよ。もうちょっとなんかあったじゃん? どう考えてもフォーリングじゃん?」
「お言葉ですがマスター、凱旋という単語の意味を理解して使っていらっしゃいますか? あっ、新しい女を連れて帰ってくることがマスターの凱旋なのですね。成る程」
「あたしに説明しなさいよおおおお!!」
無事ダンジョンコアルームに着地し、帰還シークエンスについて相方とあーでもないこーでもないと議論していると、先程まで呆然としていた来客が赤い髪をまるで炎の如く逆立たせてキレた。
仕方がないので、俺は胡座を掻きながら黒餅を抱きしめ顎を乗せる。超リラックススタイルで応答する。
「ここはダンジョンコアルーム。そして俺はこのダンジョンを真っ先に"攻略"した冒険者だ。何か質問が?」
「ありまくりよ! さっきのギミックは何!? 攻略したって本当なの!?」
「やれやれ……うるさい奴だ。ダンジョンコア」
俺が声を掛けると『はい、マスター』といういつものやりとりの後、ステラにも見えるようにこのダンジョンの全体図が仮想モニタに表示される。
第一層、第二層、第三層の構造が立体となり宙空にホログラムが映し出されると、ステラは飛び退いて剣を構えた!
「ひぅ……何々、なんなのよ!」
「過剰反応しすぎだろ……見ろ」
第二層のとある箇所を指で示してやる。先程まで俺たちが居た場所で、今まさに落下してきた石畳の周りにはトラップの在処を示すアイコンが灰色になって付随していた。
その真下には黒い線のようなものが引かれ、この第四層――ダンジョンコアルームへと繋がっている。
「最下層へと至る道はここだけだ。一気に二層分落ちる落とし穴トラップ……それが唯一の道だったんだよ」
「何よそれ……性格悪いわね」
加えて言えばこのトラップ、普段は非活性状態になっており、俺の合図以外で起動することはない。やたら大仰な口上とか音声認識とか識別コードとか、そんなものも勿論必要ない。いつもは『今帰ったぞ』『はい』で終わりだ。ダンジョンコアの機嫌が悪いと開かなかったりもする。泣きそう。
「これで俺がこのダンジョンの支配者だということは理解したな? 次にお前の妹を助ける方法の話をしてやる」
ステラは露骨に目を輝かせると、ゆっくりと床に座る。武器を置き、敵意がないことを示した上で正座の体勢を取ると、神妙に頷いて続きを促した。
「よし、いい子だ。全てのダンジョンの源となる力……これをDPと呼ぶが、DPを様々なアイテムに変換することが出来る……言葉で説明するのが面倒だな。ちょっと来い」
「……わかった」
手招きしてステラを隣に座らせると、顔を寄せてダンジョンの管理画面を見せてやる。SHOPの項目を開き、検索バーに万能薬と打ち込めば仕舞いだ。
「ばんのう……くすり、けんさく」
やがてホップアップされたアイテム、何よりもその価格に目を剥いた。
『世界樹の雫』|十万DP|
万病を癒やす最上級の治療薬。希少性から本来はさらに大量のDPを必要とするが、ダンジョンマスターは病気に掛からないためお安くなっている。
――いや全然お安くなってないんですけどォ!?
どういう説明だよ、ふざけてんのか。うちのダンジョンの借金十回は返せるわ!
このSHOPは軒並み値段がダンジョンマスター基準なので、たまにこうして希少なアイテムが安く売られていることは確かにあるのだが、それにしたって法外な値段だ。外の世界で入手できないのも頷ける。
「十万DP……それってどのくらいなの? そもそも、DPってどうやったら手に入るのよ」
「少なくともこのままじゃ手が届かないくらいには大金だな。DPの入手方法はいくつかある……お前にとって一番現実的なのは、装備を吸収させるか、魔石をコアに収めるかだ」
侵入者を殺すことでもDPは手に入るが、人間を装うのならその選択肢を提示するのは辞めておいた方が良いだろう。装備を吸収するというのは文字通り、迷宮内で死亡した冒険者の装備をかっぱらう機能だが、装備の質によっても入手できるDPに差がある。強力な効果を持つアーティファクト級のアイテムであれば、それだけDPを獲得出来るというわけだ。
「そういうことなら……これはどう?」
左手の中指に添えられた指輪をとんとん、と叩く。白く細い手指に嵌められた輪が銀色の光を反射し、その中央には碧色の宝石が埋め込まれていた。
「これは重力の指輪っていってね……うちの家宝なんだけど、重力を操作して相手を引き寄せたり、逆に弾き飛ばしたり……とにかく、そんじょそこらの財宝より価値があるはずよ」
それ、もしかして初対面の時に俺を弾き飛ばしたやつじゃね? こいつが諸悪の根源だったのかよ……まあ、それがうちのダンジョンの糧になると思えば、溜飲も下がるか。
しかし、本当に吸収してしまっていいのだろうか。うちの家宝とか適当なこと言ってるけどそれつまり国宝ですよね? まいっか! 借金が返せるならそれでいいだろう。
「じゃあ、それをダンジョンコアに押し付けてみてくれ。あ、これのことね」
俺は立ち上がると、部屋の中央に鎮座する巨大な水晶体――ダンジョンコアの元まで案内する。ステラとしても流石に緊張するのか、ごくりと喉を鳴らし、両手で大事そうに指輪を抱えながら後をついてきた。
「じゃ、じゃあ行くわよ!」
「いえーいやれやれー!」
「楽しみですね、マスター。ようやくこれで借金が返済されると思うと、うう……」
あまりに緊張感のない声援にステラの表情が引きつっていた。ダンジョンコアに至っては涙声で啜り泣いている。どんだけ辛かったんだよ今までの生活。
「あたし、こいつらを信じて本当に良かったのかしら……」
溜息を吐きながら、諦めたようにして指輪をコアに押し付けるステラ。銀色が沈み込むようにして取り込まれていき、力を得たダンジョンコアが明滅を始める。蒼穹の如き水色、深い海のような藍色、それらが混ざり合い折り重なって刻々と変化していく様は、まるで心臓の鼓動のようにも感じられる。
「……綺麗」
「本当にな。すげーじゃんダンジョンコア――あれ?」
普段なら『当然ですマスター』とか『お前とは違うんだよゴミ』とか『ふふーん私のこと舐めないでよね!』とか茶々を入れて来るダンジョンコアの声が、一切聞こえなくなっていた。それどころか、ダンジョンコアと俺を繋ぐ魂の回路の感覚がどんどん希薄になっているような……。
「――ッ!」
弾かれたように飛び出す。両手で水晶体に触れると、じゅっ……という音を立てて肉が焼かれ、思わず手を離した。
「あっつッ……! クソ、なんだよこれ!」
まるで焼いた鉄板だ。焦りと共に室内の温度までもが上昇し、蒼色だったはずの水晶がじわりと紅に染まっていく。
システムウィンドウを呼びだそうと試みるが、まるで反応しなかった。
「退きなさい!」
振り返る。両手を伸ばしたステラが細い指を繰って宙空に線を書き、魔法陣を形成していくのが見えた。高まった力が可視化され、彼女の周囲に蠢く濃密な魔力が風を起こし、その長髪を靡かせる。やがて完成したのは、あの時と同じ――否、水の元素を基に構築された術式!
瞬時に飛び退いたその刹那――洪水のように吐き出された大量の冷水がダンジョンコアにぶつかる。瞬間的に蒸発した水が霧のようにダンジョンコアルームを包み込んで、一寸先すら見通せなくなった。
「クソッ……どうなった!?」
ダンジョンマスター権限で再度システムメニューを開こうとする。数秒ほど応答がない……が冷却のお陰なのか辛うじて繋がった。
ようやく出てきたウィンドウは外枠が壊れ、文字化けした奇妙な状態。
その時ふと、最前面に見覚えのない文字列が現れた。しかしそれは、俺にこの事態を理解させるに十分なものだ。
【■■ダン■ョンコア 命名の■】
思考すら超え、反射だけで仮想キーボードを駆る。叩きつけるように決定キーを押すと、結果を見届けることなくにもう一度手を伸ばす。
予想に反し、俺の手はあの時の指輪のように水晶体に吸い込まれていった。中は当然、灼けるように熱い。人間なら耐え切れないだろうと思わせる灼熱の業火を前に、口端を歪めて嗤った。
「悪ぃけど俺、ダンジョンマスターなんだわ!」
伸ばした手が柔らかい何かを掴む。確証はないが、これが毒舌のひどいあいつのものだと直感した。眼で見えなくとも、俺達は魂で繋がっている。
「ふん、ぐぐぐぐ……!」
足に腕に力を篭め、無理矢理引っ張りだそうとして、強い重力に邪魔されるように反発されて引き戻される。ああ、もう!
「いい加減目を覚ませ! ――ノアァ!」
「――はい、マスター」
ふっと圧力が弱まり、その急激な変化に対応できなかった俺は、引きぬいた何かと一緒に床を転がった。
強かに頭を打ち付けて、視界が歪む。ぼんやりとした意識を揺り起こすように、ぽたぽたと額に水滴が降り注いだ。
「いってて……」
やがて霧が晴れてくると、俺が引き抜いたモノの正体が姿を現す。
水に濡れた白銀の髪、その毛先が陶器のような白い肌に張り付いて、着衣のない裸体を僅かに隠していた。吸い込まれるような蒼い瞳がこちらを見据え、目鼻立ちは秀麗ながらもどこか酷薄な雰囲気を醸し出している。右手の甲には細長い菱型の宝石が埋めこまれており、彼女が人間ではないことを証明していた。
――出来の良い彫刻、と言われれば納得してしまうだろう。神秘的な美を湛える彼女は、その第一印象を裏切るように柔らかな笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「おはようございます。私のマスター」
鈴ような音色――それは間違いなく、俺がいつも聞いていたあいつの声だ。
その後、そのままでは流石に目に毒なのでダンジョンコア……もとい、ノアに俺の上着を貸してやることにした。むしろ目に猛毒に進化した気がしないでもないが、まあ平気だろう。
「それで、結局どういうことだったのよ」
赤のスライムをクッションにし始めたステラが尋ねる。
「失礼しました。私もこんなことになるとは思っていなかったもので」
同じように青のスライムをクッションにしたノアがひとまず謝罪し、頭を下げた。
「……」
俺はといえば二人の間に座り、炬燵に入りながらみかんを剥いているわけだが。
「いや本当にどういうことなのよ!」
ついに状況についていけなくなったステラが怒りを表した。こいついつもキレてんな……その割に、しっかり炬燵に入って装備を外し、スライムをクッションにして寛いでいるので、めちゃくちゃ適応能力高いと思う。
まだ何か言いたそうにしているステラの口にみかんを突っ込みながら、ノアに尋ねる。
「それで、説明はしてくれるのか。ノア」
「その前に、私の名前は……のあです」
気にするトコそこなの!? 発音ほとんど一緒じゃねえか!
「いや……違うんだって……ほら……あの時はほら急いでたから……変換の手間とか、掛けてらんないじゃん? ほら、わかるだろ?」
「のあです」
「はい」
本人的には譲れないラインのようだ。下手に一蓮托生だから、俺がカタカナで認識してるのバレちゃうんだよね……。魂繋がってるのも善し悪しだぜ。
「話を戻しますと、重力の指輪は大量のDPを与えてくれました。それはもう、借金を全て返済してなお余りが出る程度には」
「おん」
「なので、私の独断で命名権を購入してみたのです。そしたら何故かあんなことに……」
「おん!?」
前々から思ってたけど、こいつフレキシブルすぎない? ダンジョンマスターの意向を無視して自己判断するダンジョンコアとか聞いたことないんですけど! しかも、命名権って一万DPくらいしたの俺知ってるからね?
「ふうん……まあ、あたしが創ったポイントだし、多少あんたらに使われても構わないわ。何の光明も見えなかったのが、今や価値のあるものを集めればいいだけって分かってる。こんなに楽なことはないわ……それが十万DPだろうが百万DPだろうが稼いでやろうじゃない!」
ちょっと尊敬しちゃいそうになりながらステラさんの方を見ると、みかんを食べながら頬を緩ませていた。なんなら頬に白い糸がこびりついているし、気がつけば炬燵の上にあったみかんの8割ほどが消えている……!?
「お前どんだけ食ってんだおいコラ!」
「いいじゃない! あたしが持ってきた指輪なのよ! これはあたしのものよ!」
俺が手を伸ばしてみかんの籠を取ろうとすると、ステラは自分の方に籠を引き寄せて両手で掻き抱いた。ぎゃーぎゃーと騒ぐ俺たちを見て、のあが溜息を吐く。
「……やれやれ、ですね」
大迷宮ランビリンスは、今日も平和です。