「てめぇ絶対に許さんからなぁ!」
突然だが、我がランビリンスは第三層からなる。一層は土で正方形に整えられた通路、コンピューターゲームなどでよくある平らに整えられた悪路ゼロで素晴らしい迷路型の階層だ。二層、三層ははちょっと豪華にして、石造りの迷宮となっている。冒険者を歩き通しにさせ、疲れ果て帰らせる最強の構造と言っても過言ではない。
最も、冒険者も馬鹿ではない。三日も経たずに地上で完全攻略された地図が販売され、魔物も財宝も存在しないことが知れ渡るとその地図もただの紙切れと化した。俺は一週間不貞寝した。結果がご覧の有様である。
異世界人といえど知恵はあるようで、糞尿処理場としてリサイクルされたわけだ。俺はさらに不貞寝を重ねたのは言うまでもない。一番泣きたいのはダンジョンコアだろうが。
俺は外着……という名の転生時に来ていた学生服に着替えると、勇気と理不尽に屈しない心を持ってコアルームの玄関の扉を開け、そして素早く閉めた。
「早く出てくださいこの引きこもり」
「だってお前一歩出た瞬間からなんか既に臭気が……オェッ…」
「一歩すら出てないじゃないですか。ここで吐いたら貴方を殺して私も死にます」
「嫌だよダンマスとしてそんな最後!」
夢はでっかく勇者に殺されることである。いや殺されたくはない。ましてや身内、しかも己のダンジョンコアの自爆に巻き込まれて死ぬなど情けなさすぎる。
込み上げる吐き気を気合で抑え、どうにか平静を取り戻した。しかしもう一度あの魔境に踏み入れた場合、流石に耐え切れる自信はない。絶望に暮れる俺だが、ダンジョンマスターとしての天才的な才能を誇る頭脳は即座に矛盾を弾き出した。
「つーかそもそもなんで吸収が間に合ってねーの?」
転生当時、ダンジョンコアによるチュートリアルによれば、その手のものは数十分でダンジョンに吸収される、としっかり言質を得ている。実物はおろか、匂いが存在すること自体がおかしいはずだ。
「それには二つの要因がありますね」
俺の妄想の中の美少女なダンジョンコアがピッと指を二本立てる。
「一つはダンジョンは基本的に人間やモンスターの死体を吸収するようにできていること」
「もう一つは、ダンジョンポイントの枯渇によって浄化機能が低下していること」
真水に塩を溶かした時の限界が決まっているように、このダンジョンも不法投棄物によって飽和しているということか。
中学の理科のようなものだな。ダンジョンコア(仮)の髪色は茶色で決定か。
「え、まてよお前それって」
「ええ、このままだとダンジョンは埋まりますね、なにでとは言いませんが」
「埋まっちまうのか……なにでとは言わないが」
それは、もう、何も言えなくなるくらいヤバイ。世界中のどんな心中だってもう少しロマンチックだろうと思えるくらい。
「ますたーに対する殺意のみなもとがりかいできたかとおもわれますが」
「おいちょっと呂律回ってねえよ怖ぇよ!」
しかし、だからといって、部屋の外に出られるかといえば別問題だ。一歩外に踏み出せば嗅覚へ魔王級のダイレクトアタックを決め込んでくるそれにどう対応しろというのか。
「それならいい方法がありますよ」
「……え?」
ダンジョンコアの言ういい方法とは、至極単純なものだった。何なら俺でも思いついたくらいだが、あまりに残酷すぎて無意識に拒絶をしていただけだ。ということを懇切丁寧に彼女に伝え拒否の意を示したが、帰ってきた言葉は絶対零度のように冷たい「は?」だけだった。マジで怖かったし嫁に尻に敷かれる亭主の気持ちを十八歳(前世込み)にして味わった。俺に許されたことは、Yesかはいと答えて、すぐさま地上に出てこの現状をなんとかすることだけ。
と、言うわけで。レッドカーペットの切り端を鼻に詰めて囚人のような気持ちでダンジョンの中を歩いている。俺の遊び心が詰まった迷路型の家は、最短で進んだとしてもかなりの距離がある。此処のところ不貞寝してばかりで運動不足の体には相当厳しいものがあるが、戻ったら戻ったで次の瞬間には命がないであろうことはよく分かるので、進むしかない。
「はあ……」
思わず吐いた溜息、無駄に酸素を逃してしまったことに苛立ちを募らせる。
当然のことながら此処まで全て口呼吸を行っており、普段と違う呼吸法、その違和感もさることながら、ちょくちょく足裏に感じるぐんにゃりとした謎の感覚と、湿ったような冷たさ。
「(さらにその劣悪な環境の! おそらく大量に汚染された空気を! 口から吸っている!)」
ダンジョンマスターという特殊な出生は既存のあらゆる病気に掛からない健康体質を保証してくれるが、精神的なストレスまで緩和してくれるわけではない。
気分は憂鬱、足取りは鉛でも入っているかのように重く、さりとて長居もひたすらに苦痛となれば、無我の境地に達するのも致し方のないことだろう。
気がつけば、第一層へと到達し、ダンジョンの出口、階段の上から陽の光が差し込んでいるのが見える。
「やっと……解放された……!」
内側から湧き出る衝動に任せ、足裏に力を篭めて力いっぱいに地を蹴り走る。
悪臭漂う地獄のような地底とはおさらば、やはり人間はお日様の元で生きるべきだと強く実感し、無我夢中で駆けた。
──ふと、その栄光のロードに小さな影が差す。車は急に止まれない。俺も当然止まれない。どんっ…と鈍い音を立てて、何かへとぶつかった。
「きゃっ……」
耳を打つ黄色い悲鳴。逆光のせいで見えなかったが、女の子にぶつかったらしいことだけは分かった。男としての本能が、彼女を守るように両手を伸ばそうとする。
途端、全身に強い痺れが走り、同時に発生した謎の力によりただ一人後方、ダンジョン内へと弾き飛ばされる。
「いってぇ……! へっ……ん…?」
無様に地面へと転がった先、カチリと何かスイッチを押した時のような、無機質で嫌な音が響く。床が真っ二つに割れ、重力に引かれ当然のように俺の体が落ちていく。
――落とし穴の罠だ。
「あぁあぁあああ!!」
床の端を掴もうと伸ばした手は届かず、断末魔の叫びを上げ、ぐちゅり、と何かが潰れた音と共に、俺は終わった。
「あぁああああァ!!」
俺は走った。それはもう力の限り走った。一度通り抜けたはずの道を無為にひた走った。全てはあの憎き女に復讐するため。
「てめぇ絶対に許さんからなぁ!」
落とし穴に落とされた後、鬼神の如き勢いで一層へと舞い戻れば俺の宿敵はまだその場に居た。やったぜ好都合!
俺の怒りを表したかの如き赤い長髪を翻らせてこちらに視線をやるのは、少女と言って良い背丈のその女、その髪と同じ、否、より深く苛烈な紅の瞳でこちらを射抜き、こともあろうに、こう言った。
「……? あのモンスター、あたしの知識にもない、新種? 知性はあるようだけど」
「誰がモンスターだボケ! 俺はれっきとした人間だっつの!」
汚物の汚染で不可思議な色へと変貌した制服を、その女にみせつけるようにして引っ張り、罪悪感を刺激してやることにした。
「……………ああ、さっき勝手に突っ込んできた挙句落とし穴に落ちた男。とんでもない悪臭と変な姿だから魔物と見間違えた」
細く華奢な指を顎に当て、たっぷりと三十秒は考え込んだ後、ようやく思い出したとばかりに顔を上げたと思えばんな失礼なことを抜かす。俺は当然怒り狂った、烈火の如くだ。
「てめぇが俺を落としたせいで汚物の絨毯に一直線だよ! 信じられねぇ!」
流石に瞼の上に付着したものは取り除き、眼は開けられるようになった。しかし、鼻についてしまったものはもうどうしようもない。取り除いた所で、レッドカーペットの防御をぶち抜いて、直接脳を揺らしてくる。もうダメだ。
声を荒らげてそう伝えると、その少女はやれやれと言わんばかりに肩を竦め、次いで両手を開いて前に出す。
――魔法陣、そう形容するしかない幾何学模様が描かれた円が、彼女の手を起点に、その小さな掌では足りぬとばかりに宙へと飛び出し構築される。
陣を彩る彩色は、最早当然と言わんばかりに、紅。いくら俺でも、次に何が起こるかくらい想像はつく。
「わぶ…! っ!」
大量に発射された熱湯が、俺を洗い流していく。正直めちゃくちゃ熱い。
目を閉じ、体を逸らしても無意味。動いてみても無意味。なんか俺に恨みでもあるんじゃないのってくらい容赦の無い追尾能力を持ってして、全身綺麗に洗い流された。
「これでいいでしょ」
「なんで良いと思ったんですかねぇ! 洗濯機で回される衣服の気持ち味わっちゃっただろうが!」
紅女には馴染みのない言葉なのか、洗濯機? と首を傾げる仕草は少しだけ可愛く思える。
第一印象も何もかも最悪なことには違いないが、異世界で初めて会った人間と考えれば記念すべきことではある。美少女だし、魔法も見せてもらったし、なんだかんだでこちらにも非はあった、先ほどのお湯と共に洗い流してやろうと言う気分になるくらいには、俺も心が広いのだ。
「……もういいかな。あたし、こう見えても忙しいから」
此方に訊ねるような体でありながら、その足は既に進み始めていて、俺の隣を横切るようにしてダンジョンの奥へと消えて行った。
名前くらいは聞いてやっても良かったかなと思った次の瞬間、水の流れる、というにはあまりも生ぬるい、激流の音と土の削れる音が響いてきた。
「掃除してる……!」
次会ったら、やっぱり感謝しておこう。