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メテオクライシス  作者: 森野一葉
第二章 強さの責任
9/32

08

 翌日の午後。

 剣術訓練の授業で、迅はまたレニの訓練を見ていた。昨日と比べればいくらか様になってきた素振りだが、まだ気迫が足りない。

 有り体に言えば、剣に殺気がないのだ。素振りの型は理解していても、その向こうに何がいるかを理解して斬ってはいない――迅の見立てだと、そんな印象だった。

「ど、どうでしょうか?」

 しばらく素振りを繰り返してから、レニが自信なさげに尋ねてくる。自分でも「なにか」が足りないことはわかっているのだが、それがなにかわかっていないようだ。

 その問いに答えるべきかどうか、少しだけ迅は考えた。気迫だの殺気だの、そんなものは口で言って実感が湧くようなことでもない。余計なことを情報を与えて混乱させるよりも、褒めて自信をつけてやったほうがいいのではないだろうか。

 だが悩んだ結果、迅は噛み砕いて教えてみることにした。

「レニは、嫌いなやつとかいるか?」

「え? いませんけど……」

「じゃあ、苦手なものとか、怖いものとかは?」

「そうですね……ぱっとは思いつかないです」

「……そうか」

 話がいきなり行き詰まってしまったことに内心で頭を抱えつつ、迅は別の切り口で説明を試みる。

「じゃあ、ちょっと想像してみてくれ。今、君の目の前には一人の剣士がいる」

「は、はい」

「そいつは君を殺そうと、刀を構えてすり足で迫ってくる」

「……はい」

 レニは長剣を構えながら、イメージを膨らませるために両目を閉じる。

 その様子を見ながら、迅は説明を続ける。

 ――空想の剣士が、レニの前で上段に剣を構えている。奴はもう、ほとんどレニの間合いまで近づいてきている。

 互いの呼吸すら聞こえるような、無音。相手のすり足だけが、鼓膜にこびりつくように残響する。

 間合いまで、あと三歩。相手の唾を飲み込む音が聞こえる。

 間合いまで、あと二歩。感触を確かめるように、敵が刀を握り直す。

 間合いまで、あと一歩。踏み込みの瞬間に備え、呼吸を止める。

 数秒の沈黙の後、相手の脚が動く。

「――今っ!」

「きゃっ!」

 迅の掛け声とともに――レニは自分の身体を守るように長剣を掲げ、その場に尻もちをついた。

 どうやら想像上の剣士の斬撃に反応して、つい防御してしまったようだ。腰をさすりながら立ち上がったレニは、どこか気恥ずかしげだった。

「す、すみません。なんだか、本当に斬られたような気がして……」

「いや、それだけはっきりイメージできるのは、凄い才能だと思うぞ」

 迅の答えはお世辞ではなく正直な感想だったのだが、レニは余計肩身が狭そうにするだけだった。

「あ、あの……別に普段から、変な妄想とか、空想とかをしてるわけじゃ、ないんですよ? ただ、その……本を読んだりしてて、魔法とか不思議な力とかが、現実にあったらどうなるんだろうとか……たまに、本当にたまーに、そういうことを想像することがあるだけで……」

「そうなのか」

「ほ、本当に本当ですからっ! 変な子だって、思わないでください……」

 しどろもどろに弁解してくるレニに首を傾げつつ、迅は本題に戻す。

「とにかく、素振りも今みたいに敵を想定してやったほうがいい。そのほうが訓練に身が入るからな」

「は、はい……」

 話題が逸れたからか、レニはほっとしたように胸を撫で下ろしていた。

 それからまた、レニは素振りの訓練に戻る。

 迅はしばらくその様子を眺めていたが、やはりイメージが上手くいかないのか、昨日みたいに腰が引けた素振りに戻ってしまっていた。

(……仮想敵を人間にしたのは、間違いだったかな)

 レニはまだ、ヴァニルを見たことがない。見たこともない敵よりも、人間の剣士のほうがイメージしやすいだろうと思ったのだが、『人間を斬る』というイメージトレーニングに無意識に抵抗を感じてしまったのかもしれない。

 まともに剣術も習ったことのない、普通の女の子なのだ。それも当然だろう。

「よう、迅。訓練のほうは順調か?」

 迅は再度アドバイスをしようと口を開きかけたが、唐突にやってきた岳の声に遮られた。その声につられて、レニも素振りを中断する。

 どこか楽しげな様子の岳に、迅は正直に言うべきか少しだけ悩んでから返答する。

「……ぼちぼちだな」

「ぼちぼち、ねぇ」

 岳はレニの素振りの様子を見ていたのか、意地の悪い表情でこちらの返答を繰り返した。

 この様子だと、迅が余計な茶々を入れたせいで、彼女の訓練を邪魔してしまったこともバレているのだろう。

 バツが悪い思いを抱きながらも、迅は岳に問いを投げることにした。

「それより、まだ訓練中だろ。そっちの班は放っといてもいいのか? それとも、レニの訓練に付き合ってくれる気になったか?」

「悪いが別件だ。ちょっと付き合ってくれ」

「なにかあったのか? 大したことじゃないなら、訓練を優先したいんだが」

「心配するな。お前らの訓練のためにも、重要なことだよ」

「……お前、なにか企んでるな」

「さてな」

 岳はにやにやと笑ったまま、問いをはぐらかす。誘いに乗るまでは、企みを明かす気はなさそうだ。

 迅は諦めて、彼の誘いに乗ることにした。

「……わかったよ。付き合ってやる」

「そうこなきゃな」

 計画通りとばかりに指を鳴らして、岳は上機嫌に歩き出した。迅とレニは、仕方なしにその後ろを追う。

 岳は弓兵用の訓練場に立ち寄り、凛奈にも声をかけてから目的地へと進んでいく。訓練中の生徒達から注目の視線を浴びながら訓練場を横切り、岳は訓練場の中央あたりで立ち止まった。

「来たか」

 迅達四人を待ち受けていたのは、鬼先生――細川教諭だった。黒い作務衣の帯には打刀を差しており、迅達を見る目はどこか楽しげだった。担任教師なので普段から見慣れているはずなのだが、刀を手にした姿を間近で見ると、静かな迫力に気圧されてしまう。

 ――剣聖と呼ばれる剣覚がいる。

 その名は塚原宗厳つかはら・そうげん。齢四十五歳にもなる壮年の剣士だが、その剣腕は今でも世界最高峰と言われ、各地の戦場で偉大な戦績を打ち立てている。Sランクの剣精霊は持たないものの、Aランクの剣精霊を三人も従え、三本の刀と異能を駆使する妙技はSランクの剣覚すら圧倒するという。大規模な流星害に対処するため世界各地を飛び回り、新宿流星害の際にも前線に立って新宿奪還に大きく貢献した。歴史上、最強の剣覚とされる人物だ。

 また、将来剣聖を継ぐとされる八人の剣覚がいる。

 あるものは剣聖を斬ることのみに執着し、あるものはヴァニルを殺すためならばどんな非道も行う。剣の道に溺れ、人の道を踏み外した彼らは、いつしか『剣鬼八衆けんきはっしゅう』と呼ばれていた。

 そして、細川一貴という剣覚がいる。

千剣せんけん』の異名を持つその男は、三年前まで『剣鬼八衆』の序列八位に座していた。純粋な剣技では八人の中で最も優れ、現役当時は様々な戦場を渡り歩いていたらしい。だが三年前に戦場で重傷を負って以来、前線を離れて後進の育成のために教鞭を振るっている。

 その細川一貴が今、刀を手にして迅に視線を向けている。その事実は、落第剣士の背筋を凍らすには十分だった。

 だが細川はこちらの様子など気にした風もなく、静かに口を開く。

「クルーガーとは、仲良くやれているか?」

「……まだ会って二日目なので、なんとも」

「そうか」

 うなずく声は、まるで柳のように掴みどころがない。

 それにどこか薄ら寒いものを感じながらも、迅は意を決して彼に疑問をぶつけることにした。

「先生が、俺達をここに呼んだんですか?」

「そうだ、と言ったら?」

 不敵な笑みを浮かべ、剣鬼が腰の刀に手を添える。

 直後。

 爆発的に放射される殺気が、迅の全身を貫いた。寒気で総毛立ちながら、迅は死すら覚悟した。だがほとんど反射的に前に出て、レニと凛奈を背中にかばう。

 細川と迅が、無言で睨み合う。その時間はわずか数秒足らずだったはずだが、迅には数分にすら感じられた。

 しばらくして、均衡を崩したのは細川のほうだった。からかうような笑みを浮かべて、刀から手を離す。

「ふっ、冗談だよ」

「……勘弁して下さい。殺されるかと思いましたよ」

「すまなかったな。だが、あの殺気の中で動けたのは、素直に褒めておこう」

 細川の声には言葉通り率直な賞賛が込められていたが、迅はいまだに鳥肌が収まらず、とても喜ぶ気分にはなれなかった。

 殺気の余波を浴びたせいか、レニと凛奈も顔面蒼白になってしまっている。少し離れていた岳は余裕のある表情をしてたが、それでも冷や汗が頬を伝っていた。

 生徒達の様子を一望してから、細川教諭は先ほどより楽しげに口を開く。

「本題に入ろう。春日、お前の班もクルーガーが入って、メンバーが三人になった。一応部隊として最低限の形は取れたわけだし、これからは正規の実戦訓練も積んでいったほうがいいだろう」

「実戦訓練って……ヴァニロイド訓練ですか?」

 迅の問いに、細川は静かにうなずいた。

 人類が機械工学の粋を結集して、日々研究しているものが二つある。

 ひとつは、刀機体ブレイドローンと呼ばれる機械兵だ。

 機械兵と言っても人型ではなく、小型の無人機ドローンに機銃とブレードを搭載した程度のものだ。無論、機銃もブレードも普通のものではない。剣精霊を運んできた流星――精霊鋼せいれいこうの破片や、ヴァニルの死骸を鋳潰して作った特注品だ。

 精霊鋼の弾丸を撃ち込みながら超音速で飛行し、すれ違い様にブレードでコアを一刀両断する。シンプルな戦術をベースに設計されているが、その価値はバカに出来たものではない。欧州や米国ではすでに実戦配備されて、そこそこの戦果を上げているらしい。

 そして、機械工学のもうひとつの結晶がヴァニロイドだ。

 言葉の通り、ヴァニルと人造生命体アンドロイドを組み合わせた造語だが、こちらもバカにできたものではない。

 剣覚達が実物のヴァニルを想定して訓練できるように、体格、知覚能力、行動パターン、運動能力などを忠実に再現して製造されている訓練機械トレーニングマシンだ。こちらは日本でも盛んに製造され、質のいいものを海外に輸出しているらしい。

 一人前の剣覚として戦場に立つためには、当然、ヴァニロイドでの訓練を積まなければならない。

 だが迅達の班は人数不足のため、まだその段階にすら至っていなかったのだ。

(ようやく、まともな訓練ができるのか)

 迅は気持ちが昂るのを自覚したが、すぐに冷静になった。

 迅はずっと実戦訓練を待っていたが、レニはそうではないだろう。

 彼女は自分と違い、ヴァニルを殺すためにすべてを賭けているわけではない。剣術自体始めたばかりの彼女には、訓練機械とは言え、誰かと戦う覚悟もできていないのではないだろうか。

 それに、ヴァニロイドは訓練機械だが完璧に安全なわけではない。訓練中にふざけて、重軽傷を負った生徒がいることも聞いている。それなりに訓練を積んできた迅や凛奈はともかく、体捌きすらまともにできないレニでは、大怪我をする可能性だってある。

 ――だが、そのことを指摘しなければ、少しでも早く戦場に立てるのではないか?

 湧き上がる欲望に一瞬だけ逡巡してから、結局、迅は正直な思いを吐き出すことにした。

「……さすがに早すぎませんか? 俺と凛奈はいいとしても、レニはまだ剣術自体習い始めたばかりだし、チームの連携訓練も一度もしてません。とても実戦訓練に耐えられるレベルとは思えませんが」

「お前がそう言うとは思わなかったな、春日」

 細川は本気で意外そうに目を丸くしていた。だが意見を聞き入れる気はないらしく、携帯端末を取り出してなにやら入力する。恐らく、格納庫からヴァニロイドを呼び出したのだろう。

 迅が非難するような視線を向けるが、細川はつかみ所のない表情で続ける。

「お前の意見はもっともだがな。俺の仕事は剣覚を甘やかしてやることじゃない。それも将来有望なSランクとなれば、尚更な」

「でも――」

「やめとけよ、迅」

 抗弁を止めたのは、岳だった。迅は一瞬だけ虚をつかれたが、すぐに思い直し、岳に向き直った。

 そもそも、迅達をここに案内したのは岳だ。彼もこの訓練の仕込みに、一枚噛んでると踏んで間違いないだろう。

 迅の視線に込められた警戒に気づいたのか、岳は困ったように苦笑した。

「そう睨むなよ。そもそも実戦訓練を積むのは、お前にとって悪い話じゃないだろ?」

「これはチームの問題だ」

「それを言うなら、こっちは世界の問題だ」

 大げさな――と反論しかけ、やめる。

 Sランクの剣覚を育てるということは、まさしくそういうことだ。少なくとも、ドイツ政府もそう考えたからこそ、剣覚の教育が最も進んでいる日本にレニを預けたのだろう。

 こちらが反駁に詰まっている隙に、岳が追い打ちをかけてくる。

「彼女はヴァニルを見たことがない。『俺達がなにと戦うのか』、ちゃんと知っててもらうのはいいことだと思うぜ? 敵を知らないと、訓練にも身が入らないだろうし」

 岳の指摘はもっともだった。

 少なくとも、迅は「それ」を知っていたからこそ、訓練で手を抜くなどできなくなった。

「それに、彼女はSランクだ。剣術の素人だからこの学園に入れられたんだろうが、戦力になると判断されれば、学園の卒業を待たずに前線に出ることになる。早すぎるなんてことはないさ、絶対に」

 続ける岳の声は、珍しく複雑な感情が渦巻いているようだった。

 レニへの同情と、期待と――そして恐らく、嫉妬。

 自分が欲して得られなかった力を、労なく手にした者への羨望と、その責任を果たして欲しいという願望。

(レニがSランクだと知った時、俺の中にもあった感情だ)

 なぜ、岳が同じ思いを抱いているのか。その問いを投げる前に、岳が続ける。

「だいたい、俺達の使命はヴァニルを倒すことだ。そのために最大限の努力をすることに、なんの疑問がある? お前だって、そうしてきただろう?」

 迅を見据える岳の瞳には、迅と同じ感情が宿っていた。

 ヴァニルに対する、揺るぎない憎悪が。

 あの化け物どもを根絶やしにするためなら、どんなものでも利用してやるという決意が。

 その眼差しを向けられて、迅は反論する気勢を完全に削がれてしまった。苛立たしい思いで頭を掻いてから、細川と岳と交互に見る。

「……わかったよ。こうなったらもう、やってやる」

「決まりだな」

 やけくそ気味の迅の返答に、細川も岳も満足げに口元を緩めていた。

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