07
部屋でのルールを決めて一息つく頃には、夕食の時間になっていた。
夕食時の食堂は、一日の訓練を終えてへとへとになった学生達でごった返していた。特に食券の券売機には長蛇の列ができており、遅々として列が進まない。
二十分ほどかけてようやく食券を買い、メニューを受け取ってから、ようやく迅達三人はテーブルに集まった。
「……やっぱり、すごい人ですね」
人ごみにもまれたせいか、レニはややぐったりした表情で呟いた。戦利品のパスタを口に運ぶ手もどこか重たげだ。
凛奈はこの程度の人ごみは慣れているため、さして疲れた様子もなくうどんをすすっている。
「週末までこれなんだから、レニも慣れといたほうがいいよー」
「うぅ……そうですね」
眉根を寄せて答え、レニは疲れきったように脱力した。
その様子を見るともなしに見ながら、迅は生姜焼き定食を口に運ぶ。野菜が多くて、全体的に塩気は薄い。いかにも剣覚向けの健康食といった感じだ。
特に感慨もなく、食べ慣れた味を喉に押し込んでいると、遠巻きにこちらを眺めている生徒達の声が聞こえてくる。
「あれが噂のへっぽこSランク?」
「ああ。能力は凄いのに、運動神経が壊滅的で……ひどいもんだったよ」
「宝の持ち腐れだな。俺の剣と交換して欲しいぜ」
「あの腕じゃ、カス班に入れられるのも納得だな。才能ないってマジで」
――彼らが口々に語っているのは、レニのことだろう。
それが聞こえてしまったのか、レニがパスタを巻く手を止めた。顔色が心なしか、青ざめているようにも見える。
その様子を見て――迅は一瞬怒りで頭が真っ白になり、席から腰を浮かせかけた。だが立ち上がる寸前で肩をつかまれ、席に押し戻される。
「今日は一段と賑やかだな」
振り返ると、岳が片手でトレイを持って立っていた。落ち着けと言いたげに迅の肩を叩くと、隣の空席に座って正面のレニに話しかける。
「どうも、クルーガーさん。凛奈の双子の兄の沢渡岳です。よろしく」
「あ、どうも……レニ・クルーガーです」
「……岳、お前こっちに来てていいのか?」
二人がどこかぎこちなく挨拶を交わすのを待ってから、迅は岳に突っ込んだ。
岳は軽く肩をすくめてから、食事を始めつつ迅の問いに答える。
「班のメンツといつも一緒ってほうがおかしいぜ。それにうちの班は、みんな真面目でいいチームなんだけど、華がないんだよな」
「学年最強のメンバーで班を作っといて文句とは、学年主席様は要求が多いな」
「それはそれ、これはこれさ」
岳のしゃべりは終始冗談めかしていて、どこまで本気かわからなかった。
迅が胡乱な眼差しを向けるが、岳はまったく気にせずにレニに話を向ける。
「それにしても、初日から災難でしたね。タチの悪い先輩方に絡まれたようで」
「い、いえ……春日君が守ってくれましたから……」
「こいつ、目つきも悪くてガラも悪そうなのに、意外に頼りになるでしょう? 班も一緒なことですし、こき使ってやってください」
「そ、そんな……」
「いいんですって。確か、剣術も迅に教わってるんですよね? こいつの剣術はちょいと特殊ですが、ちゃんと身に付ければかなり役に立つと思いますよ」
「は、はあ……」
「……お前、一体なにしにきたんだ」
にこにこと愛想よく話しかける岳と、人見知り全開でだんだん小声になっていくレニの様子に、迅は思わず割って入った。
会話が途切れてレニはようやく一息つけたような顔をしていたが、岳はそれに気づかず迅の問いに答える。
「いや、一応俺も鬼先生に頼まれてるからな。様子だけでも見とこうと思って」
言って、岳はレニの陰口で盛り上がっていたテーブルを一瞥した。それでようやく、迅も彼の意図を理解する。
(穏便に済ませようとしてくれたのか……)
レニの陰口は、当然止めなきゃならない。だからといって、迅がやろうとしたように真っ向から抗議に行ったら、絶対に角が立っていただろう。
岳はそれを、『学年主席も認めるSランク』を見せることで、陰口を叩きにくくしたのだ。
自分には逆立ちしても出来ない真似に舌を巻きつつ、迅は岳の言葉に応じる。
「そういえばそうだったな……どうせなら、剣術のほうも見てくれるとレニのためになるんだが」
落ちこぼれの『奇剣』使いより、学年主席に剣技を学んだほうがためになるだろう。
そう思ったのだが、岳は手を振ってそれを拒否した。
「師匠が二人いたって混乱するだけだろ。それに、うちはうちで訓練しなきゃだしな」
「……そりゃそうか」
一見ちゃらんぽらんに見える岳だが、学年主席になるだけはあって、訓練に対する意識は誰よりも高い。断られるのは予想済みだった。
うどんを食べ終わった凛奈が、椅子にもたれながら思いついたように口を開く。
「でも、岳の言ってたのがホントだったとはねー」
「ああ……まさか本当にSランクだったとはな」
「だから言っただろうが。お前ら、もう少し兄とダチを信用しろ」
「いや、誰から聞いたって、普通信じないと思うぞ」
例えるならば、蟻の群れの中にライオンが混ざるようなものだ。Sランクの剣覚というのは、剣覚だらけのこの学園においてもそれほど異質な存在だった。
「……あ、あの、やっぱりわたしって、迷惑、なんでしょうか?」
恐る恐るといった感じで、レニが口を開く。
訓練で見せた異能は確かにSランクに相応しいものだったが、こうして一緒にテーブルを囲んでいる彼女は、ごく普通の女子高生に見える。むしろ気が弱い分、普通の女子高生よりも迫力がないだろう。自分で問いを投げたのに、返答を聞くのが怖くなってきたのか、だんだん視線が下を向いていく。
そんなレニの様子を見てたまらなくなったのか、凛奈が横から抱きついた。
「もう! レニってばかわいいんだからっ! そんなに心配してなくても、全然迷惑なんかじゃないってば!」
「り、凛奈さん……」
レニは安心したように笑ってから、期待するように迅のほうを見る。
なんとなく気恥ずかしい思いをしながら、迅も答える。
「心配しなくても、迷惑なんて思ってないよ。こっちの実力が伴ってないから、申し訳ないってのはあるけど」
「そんな……春日君だって、十分強いじゃないですか」
朝の戦闘を思い出したのか、レニはすかさず反論してくる。それに、迅は静かにかぶりを振った。
「実際そうなんだ。俺が先輩達を倒せたのだって、運良く不意をつけたからだし、凛奈が死角から援護してくれなかったら負けてただろうな」
「まぁ、あたしら揃ってEランクだしねー」
「でもわたし、春日君と戦ったら勝てないと思いますよ? ランクなんて関係ないんじゃ……」
「対人戦ならそうだけど、俺達が本来戦う相手はヴァニルだからなぁ」
レニの反論をばっさりと切り捨てたのは、岳だった。
「正直、迅や凛奈は対人戦ならかなり強いほうだと思うよ。ランクのハンデがあっても覆せるくらい、技術もセンスもある。でも、技だけじゃヴァニルは斬れない」
「そんな……」
「実際そうなんですよ。ランクが高ければ高いだけ、身体能力の向上が見込める。Aランクなら普通に剣を振れてればヴァニルを斬れるけど、Eランクじゃ外皮に傷ひとつつけられない。剣精霊の能力で補って、ようやく太刀打ちできるかどうかってところです。こればかりはどうしようもない」
岳の言葉には低ランクへの蔑みは一切なく、どこか子どもに言って聞かせるような優しさがあった。
それでも納得が行ってなさそうレニに、岳はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「クルーガーさん、ヴァニルを見たことは?」
「……ないです」
「なるほど」
岳が笑みを深めるのを、迅は見逃さなかった。
「お前、なにを企んでる?」
「さてな。明日のお楽しみだ」
言って、岳はいつの間にか空になっていたトレイを持って、テーブルを去っていった。
「……あれ、絶対なんか企んでるね」
「だな」
きょとんとしているレニをよそに、迅と凛奈は神妙な顔でうなずき合い、不吉な予感に微かに頭痛を覚えていた。