06
一日の訓練と講義を終えてから、迅達三人はまっすぐ自室に戻ってきた。
「ほ、ほんとに同じ部屋なんですね……」
二人分の生活感が残る居間を見て、レニはどこか衝撃を受けたように呟いた。
「慣れればそんな不都合ないよー。迅は人畜無害だしね」
「……わかった。今度起こす時はなんかしてやろう」
「お、起こす!? 春日君が、凛奈さんを起こしてるんですかっ!?」
レニが愕然とするのに、迅は慌てて弁明する。
「い、いや、凛奈の寝起きが悪いから、仕方なくやってただけだって! 放っておくと寝坊して、恨み事言ってくるから」
「……それで、今度起こす時は『なんかする』んですか?」
「いや、あれは……」
「……ごめんなさい。冗談です」
弁解の言葉に困っていると、半眼で睨んでいたレニがくすりと笑い、いたずらっぽく舌を出した。
「か、からかわないでくれ……」
「でも、これからはわたしも同室なので、女子の寝室に入るのは……」
「わかってるって」
そもそも、望んで凛奈を起こしていたわけでもない。レニの要求に否やはなかった。
「とりあえず、コーヒーでも飲みながら話さない?」
手際よく湯を沸かしながら、凛奈が提案してくる。無論、二人に異存はなかった。
凛奈が入れてくれたコーヒーを飲んで一息ついてから、迅は話を戻す。
「とにかく、レニが同室になったことだし、改めて部屋のルールを決めよう」
「さんせー」
凛奈がコーヒーを飲み干し、ぐったりとテーブルに突っ伏しながら同意を示してくる。
それに苦笑しながら、レニが手を挙げた。
「とりあえず、凛奈さんはこれからわたしが起こすということで大丈夫ですか?」
「助かるよー、レニぃ」
凛奈が甘えるように、レニに抱きついた。レニもくすぐったそうにそれを受け入れる。
仲睦まじい姿に苦笑しつつも、一応迅は釘を刺しておいた。
「凛奈は自分で起きる努力もしろよ」
「わかってるってばー」
「あの……代わりと言ってはなんなんですけど、わたしが転入する前の講義のノートを見せてもらってもいいですか? 試験が心配で……」
「レニは真面目でかわいいなー。もちろんいいよ」
「あ、ありがとうございます……」
凛奈に横から抱きつかれて頭を撫でられ、レニは照れたような困ったような、複雑な笑顔を浮かべる。同い年の女子に頭を撫でられるというのは、背丈の違いにコンプレックスを刺激されるのかもしれない。
だが、そうしてじゃれ合う二人は姉妹のようで、迅からすれば微笑ましいものだった。
「あとはご飯とお風呂かなー」
「普段はどうしてるんですか?」
「ご飯は基本的に寮の食堂だねー。ただいつも混んでるから、食材買って自炊してる子もいるみたい」
「た、確かにお昼はすごい人でしたね……」
昼食時の激戦を思い出したのか、レニは眉をしかめた。人ごみがあまり得意ではないらしく、メニューを受け取ってテーブルについてからはずっとぐったりしていたので、その反応も当然だろう。
なんとなく気の毒になって、迅は助け舟を出してみた。
「自炊するなら協力するぞ。毎日食堂で食べてても飽きるしな」
「ほ、本当ですか?」
「ただし、味には期待するなよ」
「そこは断言しないで欲しかったです……」
きっぱりと予防線を張ると、レニはすぐにがっくりと肩を落とした。最後の希望とばかりに、凛奈を見やる。
「凛奈さんはどうですか?」
「まぁ普通かなー。学園に来る前は、結構料理してたしね」
「マジか……」
凛奈の予想外の返答に、迅は驚愕のあまり声を漏らしていた。耳ざとくそれに反応した凛奈が、半眼で睨んでくる。
「ちょっと。あたしのこと、料理ひとつできないズボラ女とでも思ってたの?」
「知り合って一週間しか経ってない男に、毎朝起こしてもらってたくらいにはズボラだろ」
「ね、寝起きと料理の腕は関係ないでしょ! 見てなさい、絶対吠え面かかせてやるから!」
三下の捨て台詞っぽいことを言って、凛奈は自炊する決心を固めたようだった。
協力者が確定して、レニは嬉しそうに胸の前で手を合わせる。
「凛奈さん、これからよろしくお願いしますね」
「うん。でも食材も買いに行かなきゃだし、自炊始めるのは週末からかな」
「はいっ」
レニが頼もしげに凛奈を見上げる。女子同士の連帯感になんとなく疎外感を覚えつつも、迅は話を戻す。
「じゃあ、飯は任せた。あとは風呂か……」
「備え付けのでいいじゃん」
「今まではそれでよかったけど、そうもいかないだろ」
知り合って間もない男が入った後の風呂とか、普通の女子は嫌に決まっている。
言外に込めた意味を察したのか、凛奈は面白くなさそうにむくれる。
「……時々思うんだけど、迅ってあたしのこと女の子として見てないよね」
「同居してる男に女の子として見られてたら、色々まずいだろ」
「それはそーだけどさ」
やっぱり面白くない、とでも言いたげに凛奈はそっぽを向いてしまった。
実際のところ、凛奈と同居を始めたばかりの頃は、迅もそのあたりだいぶ気を遣っていた。
凛奈が風呂に入ってる時は、音が漏れてくる居間には近づけなかったし、風呂も寮の共用風呂を使うようにしていた。
だがある時、迅を知っていた生徒と共用風呂で出くわしてしまい、成り行きで殴られてしまったことがあった。青あざを作って帰ってきたところを凛奈に見られ、結局彼女に押し切られる形で、部屋の風呂を使わせてもらうことになったのだ。
その件も含めて、凛奈には感謝しているが……さすがに転入したばかりのレニにまで甘えられない。
「レニはそういうの、気にするほう?」
「そ、それは……ちょっとは気になりますけど……」
「大丈夫だよー。迅ならせいぜい、レニの入った後のお湯を飲むくらいだから」
「の、飲むんですかっ!?」
「いや、飲まないから……お前も、話をややこしくするな」
顔を真っ赤にして確認してくるレニをかわしつつ、凛奈を軽く小突く。
「とにかく、俺は寮の共用風呂を使うよ」
「い、いえ……気にはなりますけど、春日君がヘンなことしなければ、わたしは大丈夫ですよ」
「そりゃしないけど……本当にいいのか? 変に気を遣わなくてもいいんだぞ」
朝の件や訓練で面倒見てもらうことを気にして、レニが我慢しているのではないか。そう思ったのだが、彼女は意外にもきっぱりと首を振った。
「春日君のこと、信用してますから」
真正面から言われて、迅は返す言葉に困ってしまった。
なぜ彼女がそこまで自分を信用するのか、理由はよくわからないが、そう言われてはなにも反論できない。
言葉に詰まっていると、レニがくすりと笑みをこぼして続ける。
「春日君のほうこそ、『変に気を遣わなくていいんだぞ』ですよ? ルームメイトなんですから、自分だけがガマンするのはよくないです」
「……まいったな」
レニに一本取られ、迅は苦笑して頭を掻いた。
新生活に慣れるまで大変だろうと気を遣ってはいたのが、彼女にもバレてしまっていたようだ。そのせいで逆に気を遣われるなど、情けないにもほどがある。
「……嫌になったら、正直に言ってくれよ」
「わかりました」
眩しい笑顔でうなずくレニに、迅はなんとなく気恥ずかしさを感じて、目を合わせられなかった。