03
天刃館学園の教室は自由席である。
学生達はそれぞれ知人と並んで座るか、講義への興味で席を変えたりする。そもそもこの学園は座学にそこまで力を注ぐつもりがないので、席順にこだわる理由が特にないのだろう。座学で教えることと言えば、現代剣術の理念とサバイバル知識、各国の情勢や戦術論、ヴァニルや剣精霊の生態などが主だ。
迅と凛奈は、いつも教室の後方に座ることにしていた。
お互い同じクラスでまともに話せる相手は他に岳しかいないし、その岳は学年主席だけあってクラスメイトからの人気も高い。落ちこぼれがしゃしゃり出ても、ろくなことにはならないだろう。
そんなわけで、迅と凛奈は今日も隣同士に座っていた。
「岳が言ってた転校生って、やっぱりレニのことなのかな」
ぼんやりと朝のホームルームを待っていると、横から凛奈が尋ねてきた。
「たぶんな」
「そっかぁ。うまくクラスに馴染めるといいね」
「馴染めてない俺達が心配するのも、おかしな話だけどな」
「それもそだね」
苦笑し合っていると、教室に担任教師が入ってきた。
短く切り揃えた黒髪に、切れ長で刃物のように鋭い瞳が特徴的な男だ。二枚目ではあるが、表情の変化が乏しく底が読めない。日々の鍛錬で引き締まった身体は、黒い作務衣に包まれている。
鬼先生こと細川一貴が教卓に立つと、教室内の喧騒は一気に収まった。それを確認してから、彼は口を開く。
「さて、ホームルームを始めようか。今日はひとつだけ、大事な連絡事項がある」
教室内が微かにどよめく。朝の騒動を見ていたものもいるのか、転校生がどうのという言葉も漏れ聞こえてきた。
騒がしくなった生徒達に気分を害するでもなく、細川は話を続ける。
「知ってる者もいるようだが、今日からこのクラスに新しい生徒が入ることになった。クルーガー、入ってこい」
細川に呼ばれて、おずおずとレニが教室に入ってきた。
転校生が異国の美少女だとわかり、教室内が大きな喧騒に包まれる。それに驚きながら、レニはなんとか細川の側まで辿り着いた。
数秒喧騒が治まるのを待ってから、細川が彼女を紹介する。
「ドイツから来た、レニ・クルーガーだ。自己紹介」
「は、はい」
細川に促され、レニが一歩前に出る。生徒達がまたどよめくが、レニがしゃべり出そうとすると自然に静かになった。
「あ、あの……レニ・クルーガー、です。剣術はやったことがなくて、皆さんから教わることも多いと思いますが、よ、よろしくお願いしますっ!」
緊張した声でたどたどしく自己紹介を終えると、細川が補足する。
「ちなみに、彼女はSランクの剣精霊の使い手だ」
一瞬、教室内が完全に静寂に包まれた。
生徒達は皆、彼の言葉が冗談なのか本気なのか判断がつかず、反応に困っているようだった。多くの生徒がぽかんとしたまま、細川の言葉を待っている。
その様子に気づいたのか、細川が説明を付け加える。
「一応言っておくが、これは事実だ。彼女はれっきとした、国連が認定したSランク剣精霊の持ち主だ」
冗談の可能性を否定され、教室内は完全に静まり返った。迅と凛奈も驚愕のあまり、反応ができなくなっている。
(あの、剣術もできない気弱な女の子が、Sランクだと……?)
たった一人で流星害に対処できるほどの力を持つ、Sランク剣精霊。それがどうして。
(どうして、俺じゃないんだ……!)
迅のやり切れない思いも、生徒達が言葉を失っているのも無視して、細川は続ける。
「Sランクとはいえ、彼女はこれから同じクラスで過ごす仲間だ。気兼ねせず、普通に付き合うように。それでいいかな?」
最後の言葉は、レニに向けたものだった。彼女は小さくうなずき、それに応える。
それを確認してから、細川は更に重大なことを口にした。
「それから、彼女の所属する班だが――春日、お前の班に入れることになった」
「は?」
思わず、迅は声を漏らしていた。
教室内が再度喧騒に包まれる。なんでカス班に。Sランクをあんなザコにまかせるなんて。偉大な天恵を腐らせるつもりか――ちくちくと刺してくる陰口に促されるまでもなく、迅は立ち上がって細川に抗弁していた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なんだ、春日」
細川がどこか楽しげに問い返してくる。迅の姿を見つけたレニが、その隣で表情を明るくしていた。
それを一旦無視して、迅は細川に問いただす。
「どうして彼女が俺の班に? どう考えても、俺達の実力じゃ彼女に釣り合いません!」
「Sランクに釣り合う剣覚が、この学園にいると思ってるのか?」
「そ、そうじゃないですけど……でも、もっと他にいい班があるはずです!」
「他の班は埋まってる。お前達の班はまだ人が足りない。よほどの事情でもない限り、この時期に班を再編するのも認められない」
「Sランクは『よほどの事情』ではない、と?」
「春日。お前は戦場にいる時、同じ班にSランクがいたら、一緒に戦うのを遠慮して別の班に移るのか?」
「それは……」
細川の冷徹な問いに、迅は言葉を失ってしまった。
――別に、レニと同じ班になるのが嫌なわけじゃない。
ただ、レニがこのクラスで上手くやるためにも、Sランクの剣覚として相応しい力をつけるためにも、自分達の班に入るべきではないと考えただけだ。
だが。
(彼女に対して、まったく嫉妬がないと言えるのか?)
歴史上、五指に入るほど強力な剣精霊を。
妹を守れたかもしれない力を。
なんの努力もなく手に入れた、彼女の運を妬んでいないと。
その自問に反論することができず、迅は力なく席に腰を落とし、細川に答えた。
「……わかりました」
「よろしい。ではホームルームは以上だ」
言って、細川はレニを残して教室を去っていった。残されたレニは周囲から向けられる期待と興味の視線に怯えながら、おっかなびっくり迅達の席に近づいてくる。
レニが席の側まで来ると、凛奈は明るく彼女に声をかけた。
「お疲れ様。さっきぶりだね、レニ」
「はい。また会えて嬉しいです」
レニも笑顔でそれに応じてから、申し訳なさそうに迅を見た。
「あ、あの。春日君……」
「……あ、ああ」
なんとなく、ばつが悪くなって応じる声がどもってしまう。
だがそれを気にした様子もなく、レニは勢い良く頭を下げてきた。
「これから迷惑をかけちゃうと思いますけど……よ、よろしくお願いします!」
――こうして、『奇剣』のカス班に三人目の仲間が加わったのだった。