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メテオクライシス  作者: 森野一葉
第一章 異国の少女
3/32

02

 寮の食堂で朝食を済ませてから、迅と凛奈は揃って学園に向かっていた。

 通学路の並木道には、天刃館てんじんかん学園の生徒達が同じように校舎に向かって歩いている。

 道行く生徒の誰もが、腰や背中に刀剣を提げている。普通に考えれば異様な光景なのだが、迅もすっかりこの光景を見慣れてしまっていた。

 関東の外れに浮かぶ巨大な人工島・御原島みはらじま。その中心に建てられた国立天刃館学園は、中高一貫の剣術家育成学園だった。カリキュラムの内容には基礎教養も含まれてはいるが、当然最も重きを置かれている授業は戦闘訓練である。在籍する生徒数は中高合わせて三万人以上にも及び、そのすべての生徒が剣精霊と契約を交わした『剣覚けんかく』と呼ばれる者達だった。

 学園の教育理念は当然、ヴァニルから人々を守る、次世代の剣覚を育てることにある。

 目下、ヴァニルは人類最大の脅威と言っていい。過去の大規模な流星害により、オーストラリア、中国、南米、南アフリカなどでは、大陸の五分の一ほどを占めるヴァニルの生存圏が出来上がってしまっている。生存圏の奪還と安全の確保はすべての国の使命であるし、国連でも重大なトピックとして議論されている。

 いわば剣覚の育成は最重要の国策であり、この学園の運営費も力の入れ具合も並大抵のものではない。生徒達は剣精霊の能力によってランク付けがなされ、在籍する生徒達は自動的に、対ヴァニルの予備戦力である『学生剣覚隊』に組み込まれる。いち早く連携の取れた戦闘が行えるよう、実力の合うもの同士で班分けされ、その班で寮生活を共にするように定められている。

 迅と凛奈は、天刃館学園高等部二年のクラスメイトであり、迅を班長とした『春日班』のメンバーだった。

 五月半ばの陽気に眠気を誘われながら、迅は隣を歩く凛奈に視線をやる。茶色がかった髪はポニーテールに結い上げられ、気力に満ちた瞳もあって見るものに快活な印象を与える。モデル顔負けな均整の取れた肢体は、今は可愛らしいデザインの制服に包まれており、彼女の魅力をより一層際立たせている。その肩には、学生バッグとともに銃剣ブレードライフルが入ったケースを提げている。

 視線に気づいたのか、凛奈は迅に顔を向けてにやりと笑った。

「なに? あたしの制服姿に見とれちゃった?」

「まぁな」

「うわー、全然興味なさそー……」

 半眼で睨まれるが、迅は無言で受け流した。

 凛奈は三万人の学生の中でも、かなり特殊な剣覚だ。剣精霊が銃剣に変化するなんて、世界的に見てもほとんど例がないらしい。

 彼女は中学銃剣道の全国大会で優勝するほどの腕前なので、本人の特性から考えれば不思議ではないのかもしれない。その実績もあって戦闘能力はかなり高いが、銃剣という特異な武器のせいで「奇剣」扱いされ、あまり正当に評価されていない。迅と同じ班に組み込まれたのも、それが原因だった。

 道行く生徒が、小声で会話しているのが漏れ聞こえてくる。

「おい、見ろよ」

「あれが噂の『カス班』か」

「実戦訓練もしないで、ずっと基礎練してるんだってな。いい気なもんだよなぁ」

「マジで銃剣使いなんだな。あんなのがホントに役に立つのかねぇ」

「それを言うなら、あっちの騙し打ち野郎のほうがよっぽどだろ」

 揶揄混じりの声と、無遠慮な視線が容赦なく突き刺さる。腹は立つが、真面目に抗議したところで無意味だろう。実力を示さなければ、彼らも認識を改めることはない。

 横目で凛奈の様子をうかがうが、気力に満ちた瞳には少しも陰りはないようだった。無論、まったく気にしていないというわけではないだろうが、彼女も同じ結論に至ったのだろう。

(俺の腕がもっとマシだったらな……)

 そうすれば、凛奈にまで揶揄の視線を投げられることはなかったのではないか。そんな気さえしてきて、だんだん気分が沈んでくる。

 迅の反応が見えたのが、彼らの揶揄がヒートアップしていく。

「そういや、春日ってあの新宿流星害の生き残りなんだろ?」

「おう。確か、妹がそこで死んでるらしいぜ」

「マジかよ。じゃああいつ、妹を見殺しにして逃げてきたのか?」

「うわ、弱い上にクズなのかよ。最悪じゃん」

 下卑た笑い声に反応したのは、凛奈だった。

 静かな怒りが滲んだ表情で、銃剣のケースを手元に手繰り寄せながら、一直線に彼らのほうに突き進む。迅は慌てて彼女に追いつき、その肩をつかんで彼女の足を止めた。

 振り返った凛奈は、迅に鋭い視線を向けてくる。

「……どうして止めるの?」

「そりゃこっちの台詞だ。なんでお前が怒るんだよ」

「なんでって……っ!」

「よっ、お二人さん」

 凛奈は声を荒らげかけ――陽気な声とともに背中を叩かれ、言葉を飲み込んだ。

 振り返った先に見慣れた少年が立っているのを見て、迅は安堵の息を漏らす。

がくか。ちょうどいい。助かった」

 少年――沢渡さわたり岳は、端正な顔に相変わらずの人懐こい笑顔を浮かべていた。迅と同じくらいの中肉中背だが、童顔なためいくらか幼く見える。

 一見すると人畜無害な優男にしか見えないが、少なくとも彼の存在はこの学園において特別な意味を持っていた。同学年なら誰もが彼のことを知っている。入学から一年間、戦闘訓練でダントツの成績を叩き出し、学年主席の座に君臨し続けたこの少年のことを。

 岳は「皆まで言うな」とばかりに肩をすくめてから、凛奈に向き直る。

「まったく。凛奈、お前少し落ち着けって」

「でも、岳兄がくにぃ!」

「あんなの、真面目に怒るだけ無駄だよ。それに、もうどっか行ったみたいだぞ」

 言われて視線をやると、陰口を叩いていた学生達の姿はすでになくなっていた。足早に歩き去っていく彼らの後ろ姿が、遠目に見えるのみだ。

 怒りの矛先を失った凛奈は、むくれて岳を睨み上げる。

「迅も岳兄もおかしいよ。あんなこと言われて平気なの?」

「拗ねるなよ。大体、お前が怒ってちゃ迅が怒れないだろ?」

 双子の妹の頭をくしゃくしゃと撫でながら、岳は苦笑して迅に視線を向けた。

 岳と凛奈の視線を受け、迅はようやく腹に溜めていた鬱憤を吐き出した。

「……そりゃあんな風に言われりゃ悔しいけど、俺が妹を守れなかったのは事実だからな」

 自ら言葉にすると、他人のどんな揶揄よりもよほど胸が疼いた。

 自分が剣覚として不出来なことは、迅自身も自覚していてた。剣術で他人より劣っているとまでは思わないが、ポテンシャルがあまりに低過ぎる。それを今更他人にとやかく言われたところで、迅はさほど気にはならなかった。

 妹や凛奈までバカにされるなら、さすがに腹は立つが……自分だけがバカにされるだけで済むなら、なにも反論しないほうがきっと丸く収まる。

 ――一時の感情に突き動かされて、共にヴァニルと戦う仲間を殴ったところで、それで一体どうなる?

 自分の自尊心だけを守るために、余計な諍いを起こして戦力を削ぐなんて、迅には不毛としか思えなかった。

(このほうがきっと、多くのヴァニルを殺すことに繋がる)

 燃えるような憎悪を向けるべきは、あの忌まわしい怪物だけで十分だ。

 迅の考えをすべて察したわけではないだろうが、凛奈もそれ以上は追求してこなかった。申し訳なさそうに目を伏せ、小さく謝罪の言葉を口にする。

「……ごめん。ちょっと言い過ぎた」

「いや。怒ってくれて、ありがとな」

 迅が心からの感謝を口にすると、凛奈は困ったように頬をかいた。他人のためにあそこまで激昂して、感謝までされてしまったので、急に照れくさくなったのだろう。

 気を取り直し、三人並んで校舎に向けて歩き出す。岳は微笑ましげに迅と凛奈を眺めてから、口を開いた。

「しかしアレだな。やっぱ男女ふたりきりで同棲してると、絆が強くなるもんなのかね」

「へ、ヘンな言い方しないでよ! だいたい、紅葉くれはもいるんだから、ふたりきりじゃないし!」

 言って、凛奈は銃剣の入ったケースを岳の前に突きつけた。紅葉とは、彼女の相棒である剣精霊の名だ。迅はまだ人間態の姿を見たことがないが、発見されている剣精霊はすべて女性体と講義で聞いたことがあるので、恐らく紅葉もそうなのだろう。

 そこまで考え、あることに思い至り、迅は思わず口を挟んでいた。

「ちょっと待て。だったらなんで、毎朝俺に起こさせてるんだ」

「だ、だってこの子、あたしより寝起き悪いし……」

「……剣精霊が持ち主に似るってのは、本当だったんだな」

 呆れて文句を言う気力も失ってしまい、迅はため息を漏らした。助け船を求めて、岳に問うてみる。

「お前も、このままでいいのか? 自分の妹が『奇剣使い』の鼻つまみ者と同室なんて」

「まぁ、学園の決めたことだしな。俺には逆らう理由もないよ」

「学年主席のお前が頼めば、班割りくらい変えてもらえるだろ」

「『妹が心配だから、同じ班に入れてくれ』って頼むのか? バカバカしい。そんな腑抜けたこと言う班長に、お前ならついていくか?」

 岳の反論はもっともだった。それでも迅が納得いかずにいると、岳が続ける。

「それに……俺はお前のこと、そんなに過小評価してないぜ」

「……お世辞を言う相手は、選んだほうがいいぞ」

「ホント、迅は剣に関しては異様に卑屈だな……真面目な話さ。いざ本物のヴァニルと戦うことになったら、さっきの連中みたいに仲間を見下して悦に浸る奴らより、お前のほうが遥かに頼りになると思うよ」

 言われて、先ほど陰口を叩いていた生徒達を思い出す。

 きっと、彼らはまだ「ヴァニルと戦うしか選択肢のない人生」と、折り合いをつけられていないのだと思う。

 それも当然だろう。この学園に通う大半の生徒が、ヴァニルを実際に見たことがないのだから。

 ヴァニルを想定した訓練で勝利して、一時的に溜飲は下がったとしても、ヴァニルを滅ぼすまで戦い続ける未来には、まともな人間なら恐怖を感じずにいられないだろう。かといって、見たこともないヴァニルにその恐怖をぶつけることもできない。

(その矛先が、たまたま俺だっただけのことだ)

 奇襲と騙し打ちを得意とする、卑劣な『奇剣』使い。しかも、一年前に日本を震撼させた大規模な流星害メテオクライシス――新宿流星害の生き残りときた。

 感情の捌け口として、これほど便利な相手はいないだろう。

 自分も同じ立場だったら、陰口を叩く側に回っていたかもしれない。あの地獄の中でヴァニルと出会わなければ、人生のすべてをかけて戦い続けるなど、耐えられなかっただろう。

 無論、そんなものは「たられば」の話でしかないが。

「……まぁ俺よか、あいつらのほうが健全だと思うけどな」

「それは言えてるな」

 本心からの言葉に、苦笑しながら岳も同意した。その率直だが悪意のない返しに、迅は内心で首を傾げる。

 ――岳はどうして、落ちこぼれの自分に普通に接してくるのだろう。

 学年主席の彼からすれば、迅など気にかける必要もない落ちこぼれに過ぎない。妹と同じ班の人間だから気を遣っているのかと思っていたが、一年以上も友人として尊重してくれていることを思うと、どうもそれだけが理由ではなさそうだ。

 とはいえ、迅にはそれを詮索する気はなかった。迅の沈黙でこの話は終わりと判断したのか、岳が話題を変えてくる。

「そういや聞いたか? 今日から転校生がくるらしいぞ」

「へー、そうなんだ」

「……それ、本当なのか? それらしい流星害の話は聞かないが」

 剣精霊もヴァニルも流星害によって地上に降りてくる。つまり流星害がなければ、基本的に剣覚は増えようがない。少なくとも迅の知る限り、ここ数ヶ月に日本で起きた流星害の話は聞いたことがなかった。

 凛奈が呆れたような目で、兄の顔を見やる。

「なんだ、またガセなの? そういや、前もネットゴシップを真に受けて、『人型ヴァニルが出た!』とか『軍施設からステルス輸送機が盗まれた!』とか騒いでたっけ。結局ニュースにならなかったけど」

「前のはともかく、今回は間違いないって。鬼先生おにせんせいから直接聞いたんだ」

「細川先生が?」

「しかも……なんとその転校生、Sランクの剣精霊使いなんだ!」

「……Sランク?」

 突拍子もない内容に、思わず迅は間抜けな声を上げていた。

 剣精霊の能力の強さは、基本的にA〜Eランクで序列がつけられる。発見されている大半の剣精霊がC〜Eランクであり、このランクでは徒党を組んでようやくヴァニルと戦えるレベルだ。Bランクは一度に複数のヴァニルを相手できるとされ、Aランクの剣精霊ともなるとヴァニル数十体を一人で殲滅できるらしく、軍ではかなり重宝されるらしい。

 そして、その上に君臨するのがSランクだ。世界中でまだ四本しか認定されていない、別次元の存在アナザーワン

 ……そんなものを使役する超人が、自分たちと同じように学生鞄をもって登校している姿を想像して、迅は噴き出してしまった。

「さすがに話を盛り過ぎだろ」

「岳兄、いくらなんでもそれはないよ……」

「いや、信じろって! マジで鬼先生が言ってたんだから!」

「からかわれてたんじゃないの?」

「疑り深い奴らめ……俺は学年主席として、サポートしてやれって頼まれてんの。写真だって見せてもらってんだぞ」

 岳は力説するが、いまいち信じられない話だ。

 そうこうしている内に、校門まで辿り着いた。職員室に来るよう言われているらしい岳と別れ、凛奈と二人で校舎に向かう。

 だが、風変わりな少女が校舎の前で立ち尽くしているのに気づいて、二人はすぐに足を止めた。

 自ら光を放つような眩しい金色の髪。それをおさげに結っており、あどけなさの残る顔立ちが一層幼く見える。色白の肌は日焼けを知らないように澄んでおり、碧色の瞳はどこか不安げに揺れている。サイズが大きいのか、小柄な身体を包むブレザーは裾の丈が余り、手のひらが半分以上隠れてしまっている。

 ネクタイは紺色。迅達と同学年を示す色だ。凛奈とはタイプが違うが、間違いなく美少女の部類に入るだろう。腰に差した長剣の意匠や容姿から察するに、異国から来たのだろうか。学校案内のパンフレットを片手に、物珍しげにきょろきょろと周囲を見回している。

 同じ少女を隣で見ていた凛奈が、感嘆したような声を漏らした。

「すごくかわいい娘だね」

「……そうだな」

 素直にうなずくと、凛奈は意外そうな顔をした。

「迅って、ああいう子が好みだったんだ」

「どうしてそうなる……」

「だって、迅が素直に女の子のこと褒めたの、初めて見たし」

「普段、そういう話をしないだけだろ」

 他愛のない話をしながら、金髪の少女の様子をうかがう。きょろきょろと周囲を見たり、通りがかる生徒と目が合うと慌ててパンフレットで顔を隠したりと、傍から見ているとだいぶ挙動不審だ。だが、それがどことなく小動物を連想させ、不思議と見ていて飽きなかった。

 しばらく眺めていると、三人組の男子が異国の少女に近づいていった。彼女と知り合いなのかと思ったが、どうも様子がおかしい。三人組に取り囲まれ、異国の少女は明らかに困惑しているようだった。逃げ出そうとするが、進行方向に塞がれてしまう。じりじりと迫ってくる男達に、少女の瞳が怯えの色を滲ませる。

 その様子を見ていられず、迅は早足で彼らに近づいた。道を塞いでいる男の肩をつかみ、力任せに押しのけて道を開かせる。

 異国の少女と、初めて目が合う。碧色の瞳は一瞬だけ、更に恐怖の色を濃くしたが――すぐにこちらの意図を理解したのか、瞳から恐怖が消え、三人組の包囲から素早く抜け出した。彼女をかばうように、迅は男達の前に出る。

 思わぬ闖入者に動揺していた男達も、それで我に返ったようだ。迅を取り囲むように周り込みつつ、不愉快そうに顔を歪める。

「なんだ、お前。邪魔すんなよ」

「ケガしない内に消えな、二年坊」

 言われて、彼らが臙脂色のネクタイをしていることに気づく。高等部の三年生。最低でも一年は長く、剣覚として修行を積んでいる先輩達だ。訓練を長く積んでいるだけあって、三人とも体つきががっしりしている。はっきり言って、まともに戦ったら一対一でも勝てないだろう。

 冷静に彼我の戦力差を分析しながら、それでも迅は彼らに抗弁した。

「先輩達こそ、下級生に慕われたいなら、相応の振る舞いをしたらどうですか? 女の子一人相手に三人がかりでナンパなんて、情けないですよ」

「……調子に乗るなよ、ガキが」

 正面の男が怒りに顔を歪ませ、腰の刀に手をかけた。

「ずいぶん舐めた口を利いてくれたな。なんなら、指導してやってもいいんだぜ?」

「指導、ね」

 この学園では私闘は認められていないが、指導や研鑽を目的とした太刀合いは黙認されている。無論、そのルールが私闘のために悪用されていることくらい、教師達も把握しているだろう。生徒達が場数を踏めるのならば、戦いの種類などなんでもいいと考えているのかもしれない。

 いずれにしても、この状況では戦いを避けることはできないだろう。とはいえ、か弱い異国の少女を三人がかりで取り囲むような連中だ。元より話し合いでどうにかなるとは思っていなかった。

 むせ返るような敵意を浴びながら、迅は苦笑した。

「なら、指導とやらをお願いしましょうか」

「な――」

 相手が言い終わる前に。

 迅は一瞬で野太刀を抜刀した。剣精霊によって強化された身体能力だけではなく、野太刀の刀身から巻き起こる暴風が刀を押し出し、高速での抜刀を実現する。

 抜刀した勢いのまま、迅は正面の男を逆袈裟に斬り上げた。抜刀もできないまま倒れる彼を無視して、右から抜刀して迫ってくる別の男に向き直る。

 相手の構えは八双。得物は標準的な打刀なので、間合いではこちらが有利。仲間を斬られてショックを受けているのか、相手はやや動転した顔つき。まだ間合いの差には気づいてないだろう。

 一瞬でそこまで考えると、迅は敵から野太刀の長さが見えないよう、下段半身に構えた。

 刀に紫電をまとわせ、敵が猛進してくる。まともに打ち合おうとすれば、こちらだけが感電するという算段だろう。

 だが、それは無意味だった。

 相手の刀が打ち下ろされる瞬間、迅は大きく後ろに飛び退いた。剣閃が目の前を通り過ぎる。肌をちりちりと焼かれたが、迅は微塵も気を散らさなかった。

 剣閃が過ぎ去ったのを見るや、野太刀を片手で長く持ち直して、強引に敵の首筋に斬撃を叩き込む。

 予想外の攻撃に、相手は驚愕したようだった。だがきっちり反応し、スウェーで斬撃の間合いから逃れる。

(このままじゃ届かない。なら……!)

 迅は迷わず、得物を手放した。

 振るった勢いのまま野太刀が飛び、敵の喉をえぐってから地面に転がった。野太刀を食らった男は、その場に倒れ伏したまま動かない。

 それを横目で確認しつつ、迅は落ちた野太刀を駆け寄ろうとし――足が地面に縫い付けられたように動かず、驚愕に目を見開いた。

「やってくれたな……」

 背後から、どすの利いた声が振りかかる。

 ゆっくりと背後を振り返ると、最後に残った男が地面に剣を突き立てていた。剣先から土が盛り上がり、隆起した地面が蛇のようにうねって迅の両足に食らいついている。土蛇は徐々に脚を這い上がり、脚の骨を折ろうと力を込めてくる。脚が軋むような痛みにうめき声を上げそうになったが、迅は歯噛みしてそれに耐えた。

 男は地面に剣を突き立てたまま、怒りに歪んだ顔で吐き捨てる。

「クソ! せっかくいいとこだったのに、めちゃくちゃにしやがって……徹底的に痛めつけてや――」

 銃声が、男の言葉を切った。

 彼はこめかみを撃たれて派手に飛び、数メートルほど地面を転がると、そのまま動かなくなる。それと同時に、迅の脚を拘束していた土蛇が崩れ落ちていった。

 迅は安堵の息を漏らし、脚についた土を払いながら銃声の主を振り返った。

「助かったよ、凛奈」

「助かったよ、じゃないでしょ! このバカ!」

 銃剣を握ったまま一直線に迅に歩み寄ると、凛奈は彼の胸に人差し指を突きつけた。

「確かにあの人達はひどかったけど、迅もやり方がめちゃくちゃ過ぎるよ! もうちょっと話し合うとか、上手く収める方法があったでしょ!」

「そんなに怒鳴るなよ。耳が痛い」

「真面目に聞きなさい! せめて戦うんなら、あたしに協力してもらおうとかしなさいよ! 同じ班の仲間なんだから!」

 凛奈のお説教を浴びせられ、迅は反論できずに顔をそむけた。

 実際、もっと上手く場を収めるやり方はあったのかもしれない。とはいえ話し合いで解決しようとして失敗した場合、先手を取られてこちらが負けていただろう。凛奈を連れて行ったとしても、女目当てで行動していた彼らに油を注ぐ結果になっただけだ。

 とはいえ仮に有効だったとしても、こんな「個人的なケンカ」に凛奈を巻き込むなど、考えもしなかった。

(あの先輩達に非があったとしても、恨みは買うだろうからな)

 結果的に関わらせてしまったので、結局は無駄な気遣いだったかもしれないが。

「……迅、話聞いてる?」

 凛奈がむっとした表情で見上げてくる。なんとなく子どもっぽい仕草に笑みが漏れ、つい彼女の頭をぽんぽんと叩いてしまう。

「ごめん。ありがとな、凛奈」

「……もうっ」

 子供扱いされて照れくさくなったのか、凛奈は微かに頬を染めてそっぽを向いてしまった。

「あ、あの……」

 横で見ていた異国の少女が、流暢な日本語でおずおずと声をかけてくる。脅威は去ったにも関わらず、まだどこか怯えたような目をしている。

「その人達は、大丈夫なんでしょうか……?」

「え? あー」

 問われて、凛奈は少女の怯えの意味を理解したようだった。手に持った銃剣を持ち上げ、説明する。

「もしかして、この学校に来たばかり? これ剣精霊だから、基本的に人を斬ってもケガとかしないの」

「そ、そうだったんですか……」

 凛奈の雑な説明を聞いて、異国の少女はほっと胸を撫で下ろしたようだった。

 剣精霊には、『無刃形態むじんけいたい』と呼ばれる形態がある。殺す気のない相手に攻撃する際、過失で怪我をさせてしまわないように、半実体化して痛みだけをフィードバックする形態だ。無論、学園内ではこの形態でいることを義務付けられているし、戦闘訓練もそれを前提としてプログラムされている。

 とはいえ、生徒が自発的に『無刃形態』を解除すれば、剣精霊でも人を傷つけることはできる。だが少なくとも、この学園でそれを試そうとするものはいないだろう。さすがに学園側も行き過ぎた暴力は容認しないし、剣覚同士で殺し合うような事態を避けるため、剣覚として遥か上に立つ教師達が容赦なく断罪する。そのあたりの詳しい事情は、彼女もおいおい知ることになるだろう。

 ともあれ、異国の少女は気を取り直して、迅と凛奈に頭を下げてきた。

「あの……遅くなっちゃいましたが、助けて頂いてありがとうございました……」

「ううん、それより災難だったね。大丈夫? なにかヘンなことされなかった?」

「は、はい。お二人のおかげです」

 迅は地面に転がっていた野太刀を拾いつつ、二人の会話を聞くともなしに聞いていた。野太刀――風花は不満そうに、迅の頭に直接声を響かせる。

『迅はもう少し、相棒を大事にしたほうがいいと思います』

「なんの話だ?」

『……もういいです』

 ふてくされたような声に首を傾げつつ、迅は土を払ってから野太刀を鞘に戻した。倒した先輩達が気絶しているのも確認してから、二人の元まで戻って提案する。

「邪魔して悪いが、そろそろ移動しないか」

 時間的にそろそろ一限目が始まる頃だし、ここに残っていると面倒なことになりそうだ。一部始終を見ていた周囲の学生達も、まだ好奇の視線を投げかけてきている。

 迅が言外に込めた意図を察したのか、凛奈もそれに同意してきた。

「そうだね。君、ええっと……」

「あ、レニです。レニ・クルーガー」

「レニもそれでいい? それとも、どこか行くところだった?」

「あ。そ、そうでした……実は、職員室に寄らなきゃいけなくて」

「じゃ、せっかくだし送っていくよ」

「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」

 凛奈の提案に、異国の少女――レニは笑顔で同意した。声がまだおどおどしているのは、元々の性格なのかもしれない。

 三人で連れ立って職員室に向かいながら、迅と凛奈も自己紹介を済ませる。別棟に入って職員室を目指して廊下を歩きながら、迅はレニに尋ねた。

「もしかして君、今日転校してきたのか?」

「は、はい。最近この子と出会って、それで……」

 言って、レニは腰に佩いた長剣の柄をそっと撫でた。その手つきは親愛がこもっているというよりは、どこか腫れ物にさわるようだった。

 それが少しだけ気にかかったが、凛奈が別の疑問をぶつけたので、迅は疑問を飲み込むことにした。

「そういえば、レニって外国の人だよね? 日本語とかどこで覚えたの?」

「あの、母が日本人で、日本にもよく来てたんです。でも……この学校は、やっぱり不思議ですね」

「生徒が全員帯剣してる学校なんて、普通は見ないよねー」

「俺も最初は驚いたから、気持ちはわかるよ」

 レニの感想に同意しつつ、迅はぼんやりと思考を巡らせていた。

(今日からの転校生か。岳が言ってたやつかな)

 S級の剣精霊を従えてるとか言っていたが、レニの様子を見ていると、とてもそんな風には見えない。だいいち本当にS級剣精霊を扱えるのなら、先ほどの騒動も自力でなんとかしていただろう。

 やはり、岳はガセ情報を掴まされたようだ。そう結論づけると、迅は改めてレニを観察する。

 背丈は凛奈よりも十センチ以上低い。女子の中でもかなり小柄なほうだろう。手足もほっそりとしており、ほとんど筋肉がついていないように見える。ブレザーを押し上げる胸の膨らみもささやかだった。体格から見ても、ほとんど剣士としての訓練を積んでなさそうだ。

 じっと見ていると、レニが困惑したように見上げてきた。

「あ、あの……あまりじっと見ないでもらえると……」

「迅、デリカシーなさすぎ」

「……悪い」

 凛奈にも半眼で睨まれてしまい、迅は素直に頭を下げた。

「まったく……ごめんね、レニ。こいつ、いつもむっつりしてて何考えてるかわかんないけど、基本的に悪いやつじゃないから」

「は、はあ……」

 レニはなんと答えたらいいのかわからず、微妙な表情を浮かべていた。

 その後も他愛のない雑談をしていると、すぐに職員室まで辿り着く。

「案内してくださって、ありがとうございました」

 レニは礼儀正しく頭を下げてから、中に入っていった。それを見送ってから、凛奈がにやにやと笑いながら尋ねてくる。

「やっぱ、迅はああいう子が好みなんだねぇ」

「だから違うって」

「その割りには、随分熱い視線送ってたじゃん」

 凛奈が「本当のこと言っちゃいなよ?」とばかりに肘でつついてくるので、迅は仕方なく正直な想いを口にする。

「……あの子、剣術なんてやったこともないんだろうな」

「あぁ……」

 その一言で、凛奈にも意図は伝わったようだった。

 剣術未経験で、あの遠慮がちな性格。とても戦いに向いているとは思えない、ただの普通の女の子だ。

 それでも、彼女はこれから先ずっと、戦いに明け暮れる日々を送ることになるだろう。

「せめて、いい班に入れるといいな」

「そうだね」

 それだけ言葉を交わし合い、二人は教室に向かって歩き始めた。

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