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メテオクライシス  作者: 森野一葉
第五章 守りたいもの
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 二つの野太刀が激突する。

 小夜の放つ斬撃は、迅の想定よりずっと重かった。意表をつかれながらも、迅は凄まじい衝撃に逆らわず後方に大きく跳躍する。同時に小夜の野太刀が風のようにうねり、迅の野太刀をかわして、直前まで彼が立っていた空間を切り裂く。並の剣士では到底真似できない、小夜らしい繊細な剣技だった。

 飛び退った迅を、小夜は追ってこなかった。野太刀を構えもせずに悠然と立ち、余裕のある表情で笑みを浮かべている。

「いきなり後退か? 先ほどまでの威勢はどうした、人間」

「……余裕かましてくれるじゃねえか」

 吐き捨てるように悪態をついて、迅は野太刀を構え直した。冷静を装っているつもりだったが、頬を冷や汗が伝うのは止められなかった。

 敵は思った以上に強い。ヴァニルの剛力とともに、小夜の剣士としての技術を自在に駆使している。生半可な攻め手では、触れることさえできないだろう。しかも、こちらは先ほど刺された痛みがまだ残っていて、動きが万全とは言えない状態だ。

 はっきり言って、勝つのは困難だ。だがせめて小夜の足止めくらいはできなければ、状況は悪化していくだけだろう。こうしている今も、上空から落下したヴァニル達が人を襲っている。今はなんとか冷静な学生や現場に居合わせた教師だけで対処できているようだが、ヴァニルは今も上空から降り続けてきている。ここに小夜が加われば、とてもではないが戦線を維持できるとは思えなかった。

 彼我の戦力差を修正しながら、迅は黙考する。

(小夜を倒す方法、か……)

 こんなことを真剣に考えなければいけないことに歯噛みしながら、迅はそれでも冷静に思案を続ける。

 小夜は春日一刀流の免許皆伝だ。迅にできる程度の騙し技など、容易に見破るだろう。かといって、ヴァニルの腕力が備わった今の彼女を、力技で押し切るのも不可能だろう。

 ならば。

(小夜に見せたことのない技で仕掛ける、か……)

 迅は小夜から目を離さず、ゆっくりと野太刀を鞘に納めた。そのまま、居合い抜きの構えで小夜に対峙する。

 小夜は少しだけ面白がるように、口の端を吊り上げた。

「居合いか。この娘の記憶では、貴様がそんな技を使った試しはないようだが……焦って奇策に走ったか?」

「……うるせえ。黙ってろ」

 目の前のヴァニルが小夜の記憶をのぞいているという事実に、迅は嫌悪感と苛立ちを隠せなかった。敵を睨む瞳に、一層殺意がこもる。

 ヴァニルはその反応が気に入ったらしかった。右半分が黒銀の仮面に包まれた顔を、愉快そうに歪ませてくる。

「そう気を悪くするな。もはや春日小夜は『私』と同一の存在だ。記憶をのぞこうがどうしようが、別に構うまい」

「……お前は、小夜じゃない」

「身体もあり、記憶もある。彼女と同じ剣術も使える。他に一体何が必要だと?」

 おどけた調子で問うてくるヴァニルに、迅は頭に血が昇っていくのを自覚した。

「お前は……身体と記憶を奪って、小夜を演じているだけだろっ!」

「本人になるには、魂が必要でも言う気か? それこそくだらん。現に貴様は、私を春日小夜だと思い込んでいただろうが」

 ヴァニルは野太刀を構えもせず、のんびりとした歩調で歩み寄ってくる。

「そもそも、こんなくだらない戦いを始めたのだって、私が彼女の願いを引き継いだからだ。兄と共に在りたい、共に剣を続けたい……というな」

「……正気か? お前になんのメリットがある」

「メリットとか、そういう次元の話ではない。我々は物の特性を取り込んで進化する。だが、特性を取り込むということは、そのモノの在り方を取り込むということだ。春日小夜を取り込むためには、貴様の存在は切っても切り離せん。一年間もフイにしてしまったが、貴様をヴァニルに取り込ませれば、この力が私の物になると思えば安いものだ」

 ヴァニルの言っていることを、正確に理解できたとは思わない。そもそも、迅は目の前の化物の思想など、理解したくもない。

 だが、どうしても確認しておきたいことがあって、迅は問いを投げていた。

「……まさか、お前の中に小夜がいるのか?」

「それは『春日小夜の意識があるのか』、という意味か? だとしたら、ノーに決まっている」

 わずかな期待を一言で打ち砕かれ、迅は一瞬だけ目の前が真っ暗になったような気がした。だがすぐに持ち直し、ヴァニルを睨み据える。

「彼女はとっくに死んでいる。意識もなければ、肉体も機能を止めている。私が彼女の願いを果たすのは、『私』が『春日小夜』となるために必要な通過儀礼だからだ。彼女の意識が残っていて、そのご機嫌取りをしなければならない――などということは、ありえんよ」

「……よかった。なら、迷わずぶち殺せるな」

 黒々と濁った感情を吐き出すように、迅は言った。漏れ出た声は完全に憎悪に染まっていたが、頭は驚くほど冷静だった。

 ヴァニルは相変わらずゆったりと歩み寄りながら、面白がるように笑みを深めた。

「貴様にできるのか?」

「……できないとでも思ってるのか?」

「ならば、試してみよう」

 言って、ヴァニルは立ち止まった。

 敵が足を止めたのは、野太刀の間合いからぎりぎり外れたところだった。迅が一歩踏み込めば、野太刀で斬り捨てられる距離。そこに立ったまま、ヴァニルは相変わらず野太刀を構えようともしていなかった。

 迅は野太刀の柄に手をかけ、敵の動きを見落とさないよう集中しながら吐き捨てる。

「よほど死にたいらしいな」

「かもな。だが、お前は私を斬れ――」

 言葉が終わる前に。

 迅はすり足で間合いを詰めた。鞘の中で圧縮された空気を解放して、ほぼ音速で野太刀を抜き放つ。

 超高速で放たれた斬撃は、そのままヴァニルの首筋へ吸い込まれ――


「――兄さん」


 小夜の声がした。

 ヴァニルの顔から仮面が消え、小夜の顔が露わになっている。その瞳には、かつてのように迅への強い信頼が宿っていた。

「……っ!」

 彼女の首筋へ向かう野太刀を、迅は反射的に止めてしまった。身体能力の限界を超えたスピードを強引に押さえつけたことで、身体がみしみしと悲鳴を上げる。

 首筋に触れる前に停止した野太刀を見て、小夜は薄く笑った。

「ほら。兄さんに私を殺せるわけがないじゃないですか」

「てめえ……っ!」

「無駄ですよ」

 ずぶり、と。

 迅の体内に、冷たい感触が侵入した。覚えのある激痛に、すぐに小夜の野太刀が突き込まれたのだと気づくが、もう遅かった。

 小夜の顔が愉快そうに歪み、再び顔に仮面が戻る。首筋に突き付けられた刃を邪魔そうに振り払うと、ヴァニルはなぶるように自身の野太刀を捻った。

 傷口を抉られる激痛に、迅は声にならない悲鳴を上げる。ヴァニルはそれを満足気に眺めていた。

「だから忠告してやったろう? 貴様にできるのか、とな」

 野太刀が引き抜かれ、迅は激痛のあまりその場に膝をついた。気力だけで顔を持ち上げ、見下ろしてくるヴァニルを睨み上げる。

「終わりだ、春日迅」

 その視線を意に介さず、小夜は指を鳴らした。モールを破壊していた別のヴァニルが、迅の前に進み出てくる。

 黒銀色の頭部に輝く赤い核が、ぎょろりと動いて迅を捉える。黒銀色の腕が自らの核を掴んで外し、それを迅の口腔へ突っ込もうとし――

 風が吹いた。

 鋭い風のような剣閃が通り過ぎ、核を掴んだヴァニルの腕が斬り離されて飛んで行く。その後を追うように、鈍色の刃が鞭のようにしなって更に飛ぶ。刃はあっさりと核を貫くと、今度は小夜に向かって鎌首をもたげる。

 標的にされたことに気づいて、小夜は即座にその場から飛び退った。飛来する刃はそれを追わず、風のように元いた方向へ戻っていく。

「うちの生徒を随分とかわいがってくれたようじゃないか」

 聞き覚えのある声に、迅は刺された激痛に耐えながら、声のほうに顔を向けた。

 黒い作務衣に身を包んだ男が、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきていた。切れ長の瞳は刃のように鋭く、いつも以上に冷たい光を宿している。右手に握られた刀を構えてもいないが、その姿には微塵も隙が見当たらなかった。

 彼――細川一貴は、迅の姿を見てわずかに苦笑を漏らした。

「まったく、手のかかるやつだな」

「先、生……」

「あとは大人に任せておけ」

 彼は迅をかばうように立ち止まり、小夜と対峙する。不愉快そうに顔を歪めて、ヴァニルは忌々しげに吐き捨てる。

「剣鬼八衆の第八位。『千剣』細川一貴……まさか、本当にこんなところにいたとはな」

「どこかの戦場で会ったかな? 君のような可愛らしい子と会っていたら、俺も覚えているはずだが」

「会うのは初めてだが、仲間を大勢殺してくれたようじゃないか」

「月並みだが、それはお互い様だと言わせてもらおう」

 人型ヴァニルを見てもまったく動じた風もなく、歴戦の剣鬼は無構えのまま宣戦布告する。

「女性を斬るのは趣味じゃないんだが……これも教師の務めだ。悪く思わないでくれ」

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