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メテオクライシス  作者: 森野一葉
第四章 剣覚達の休日
21/32

20

 レニが天刃館学園に来てから、二週間が経とうとしていた。

 四限目の剣術訓練の授業中、迅は相変わらずレニに付きっきりで彼女の訓練を手伝っていた。訓練場の芝生の上に腰を下ろし、レニが型通りに素振りしているのを眺めている。

 最初は剣を振るだけで精一杯だった彼女も、今では素振りがだいぶ様になってきている。以前まではただ闇雲に振っているだけの素振りだったが、今は仮想の敵を見据えて鋭く斬り下ろされている。

 先週の実戦訓練でヴァニロイドと戦い、仮想敵のイメージが明確になったことが、彼女の成長の大きな一因となっていることは間違いないだろう。

 自惚れでなければ――レニの悩みを聞いてやれたことも、少しは関係あるのかもしれない。

 だとしたら、それは迅にとっても喜ぶべきことだった。

「にやにやして、どうしたんですか?」

 素振りを終えたレニが、タオルで汗を拭いながらこちらの顔をのぞき込んできた。

 自惚れを見透かされたようで気恥ずかしく、迅はとっさに顔を背けてしまう。

「……いや、今日の昼飯はなにを食おうかなと思ってな」

「春日君は食いしん坊ですね」

「育ち盛りだからな」

 くすくすと笑いながら、レニは隣の地面に腰を下ろした。微かな汗の匂いに混じって、女の子らしい甘い香りが漂ってくる。

 初夏の爽やかな風が、心地よく熱気を拭い去っていく。レニの鮮やかな金髪が風に揺られ、太陽の光を反射してきらきらと輝く。

 ペットボトルの水を呑んで一息ついてから、レニは迅に顔を向けてきた。

「わたしの素振り、どうでしたか? 少しはマシになってきたでしょうか」

「そうだな。かなりよくなってきてると思うぞ」

「本当ですかっ?」

 碧色の瞳を嬉しそうに輝かせながら、レニがずいと顔を近づけてくる。

 以前よりも心を許してくれるようになったからか、迅や凛奈と話す時にはすっかりどもらなくなったし、色んな表情を見せてくれるようにもなった。そんな彼女がなんだか人懐っこい仔犬のように見えてしまい、迅は思わず噴き出してしまった。

「な、なんですか? 人の顔を見て笑うなんて、失礼ですよっ」

「い、いや、悪い……」

 笑いを収めて気を取り直してから、迅は真面目な顔で彼女に向き直った。

「真面目な話、型はだいぶよくなってきてるな。体力もついてきたし、もう少し実戦寄りの訓練を増やしてもいいかもな」

「実戦寄り、ですか……」

 この間のヴァニロイドとの一戦を思い出したのか、レニが暗い顔をするのに、迅は苦笑した。

「そう暗い顔するな。実戦寄りって言っても、いきなり危ないことはさせないさ。最初は、そうだな……」

 迅は立ち上がり、いたずらっぽく笑う。

「鬼ごっこでもしてみるか?」

「鬼ごっこ、ですか?」

「ああ。レニはどんな手を使ってでも俺に触れたら勝ち。もちろん剣も使っていいし、剣精霊の力も使って構わない。時間いっぱいまで俺に触れなかったら、俺の勝ちだ。その間、俺からは一切反撃しない」

 ざっくりと説明すると、レニは不服そうに頬を膨らませた。

「……さすがに、ちょっと見くびり過ぎじゃないですか? わたし、これでもSランクですよ?」

「ま、やってみればわかるさ」

「むぅ。その言葉、すぐに後悔させてあげます」

 迅の言葉で火が点いたのか、レニは地面から腰を上げた。迅も立ち上がり、少し離れた位置でゆったりと構えてから、挑発するように手招きしてみせる。

「さあ、いつでも来い」

「行きますっ」

 律儀に宣言してから、レニは地面を蹴った。長剣は腰に佩いたまま、まだ抜く気はないようだ。

 剣精霊によって強化された身体能力を活かし、彼女は凄まじい勢いで肉薄してくる。十メートル以上の距離を一瞬にして縮めると、こちらに向けて手を伸ばしてくる。

 だが当然、迅もすぐに負けてやる気などなかった。

 予想通りにまっすぐ突っ込んできた彼女を、迅は横に飛んでかわす。レニはそれに反応し、瞬時に方向転換して、また真正面から飛びかかってくる。

 それを難なく避けながら、迅は彼女に声をかける。

「確かにレニはSランクだけど、体捌きがまるでなってない。無駄な動きが多いから本来の力の半分も活かせてないし、体力の消耗も激しい」

「そ、そんなことっ!」

「それに、行動もワンパターンで読みやすい。フェイントもないし、したとしても戦闘経験が浅いから読むのは容易い」

 レニが必死に手を伸ばしてくるが、迅はそれをすべて避けながら言葉を続ける。

 さすがにレニも、このままでは埒が明かないと悟ったらしい。手を伸ばすと見せかけて蹴りを放ってきたり、逆の手を伸ばしてきたりとフェイントを織り交ぜてくるが、やはり稚拙なため容易に狙いが読めた。

 レニは立ち止まって猛攻をぴたりと止め、荒くなった呼吸を整え始める。

「……はぁ、はぁ……本当に、真正面からじゃ話にならないんですね……」

 言いながら、ようやく彼女は腰の長剣に手をかけた。黒塗りの刀身が露わになり、陽光を浴びて鈍く光る。

「そういうことだ」

 息一つ乱さずにレニと対峙しながら、迅は小さく笑みを浮かべた。

(……レニにとっては、ここからが本番だな)

 ようやく型が様になってきた彼女だが、それも当てられなければ意味がない。戦闘において如何に間合いを詰め、如何に相手に剣を叩き込むか。それこそが、これからの彼女に最も必要なことだった。

 なにしろ、レニの斬撃は「当てさえすれば確実に勝てる」という代物だ。どんな巨大なヴァニルであろうと、硬い外皮を持つヴァニルであろうと、剣精霊ナハトで触れさえすれば核ごと一瞬で元素まで分解できてしまう。凄まじい力を持っているのだから、それを活かさないのはあまりに勿体ない。

 そして、その力を最大限に活かすならば、このくらいの訓練は楽々とこなせるようになって欲しいところだった。

 迅の願いに応じるわけではないだろうが、レニは長剣を八双に構える。じりじりとすり足で、ゆっくりと間合いを詰めてくる。

 彼女の前進に合わせて、迅は露骨に後ずさってみせる。こうしていると延々間合いが詰まらないため、どこかで一気に飛びかかるしかなくなる。

 それに気づいたのだろう。レニは業を煮やして腰を落とし、地面を蹴った。その一足で長剣の間合いまで接近すると、飛び込みの勢いを利用して長剣を振り下ろしてくる。

 剣閃は速く、鋭い。

 だが、その時にはすでに、迅は長剣の間合いから飛び退っていた。レニが腰を落とした時点で彼女の跳躍を予期し、予め後ろに飛ぶ心構えをしていたのだ。

 会心の斬撃を避けられたレニは、一瞬呆然としたようだったが、すぐに気持ちを立て直して追いすがってくる。左足で踏み込み、強引に長剣を逆袈裟に振り上げる。

 慣れない斬撃はどこかぎこちなく、鈍い。迅は半身になってそれを避けると、隙だらけのレニの横を通り抜けて、彼女の後ろに出た。

 反転して長剣を構える彼女に、迅は泰然と向き合う。

「どうした? もっとなりふり構わずやっていいんだぞ?」

「……それなら」

 呼吸を整えながら、レニは長剣を再度八双に構える。先ほどとまったく同じ構えだが、腹をくくったのか瞳には強い意思が宿ったように見えた。

 地面を蹴り、再度八双からの斬り下ろし。迅はそれを難なく横に避けた。

 本格的に疲れてきたのか、レニは斬り下ろしの勢いのまま身体が前に泳ぎ、長剣の先が地面に当たり――

 瞬間。

 迅の足場が、消えた。

 唐突の浮遊感に混乱しつつ、迅は視界の端で捉えた芝生になんとかしがみついた。なんとか身体を引きずり上げてから、迅はようやく状況を理解する。

 先ほどまで迅が立っていた地面に、クレーターが出来ていた。幅、深さともに一メートルほどのクレーターは、迅の立っていた地面だけを正確に切り取っている。その異様なクレーターを見ながら、迅はまったく別のことを考えていた。

(レニの剣、わざわざ地面に当たるまで振り下ろしたのは……)

 地面に対する『元素分解』で、こちらの足場を封じるためだったのか。

「――っ!」

 不意に、第六感めいた感覚が迅を支配した。

 背後の空気が動くのを、まるで自分の身体のことのように知覚する感触。

(背後から、レニが斬りかかってきている)

 ただの勘のはずなのだが、ほとんど確信に違い思いで、迅は断定する。

 次の瞬間には、背後から襲い来るであろう斬撃を避けるため、迅はクレーターの中に飛び込んでいた。

 着地と同時に振り返ると、先ほどまで迅が立っていた場所に、ちょうどレニが長剣を振り下ろしているところだった。

 どうやら、紙一重のところで回避できたらしい。迅は一瞬だけ安堵したが、目はレニの動きを油断なく注視している。

 あと一歩のところまで行ったのに、長剣が空を切っただけに終わったのがよほど悔しかったのか。レニはしばらく硬直してから、その場にへたり込んでしまった。

「うぅ……今度こそ上手く行ったと思ったのにぃ……」

 ひどく落ち込んだ様子でうなだれるのに、迅はさすがに罪悪感のようなものが湧いてきた。

「……いや、今のはかなりよかったと思うぞ。俺も正直、避けられるとは思ってなかったしな」

「ほ、ホントですか?」

「ああ」

 実際、避けられたのはほとんど偶然と言ってよかった。第六感にも似た、あの空気の流れを知覚する感触――あれがなければ、確実にやられていただろう。

 なんとも不気味な感触ではあったが、不思議と身に覚えがあるような感覚でもあった。風花を通じて、風を自分の意思のように操る時の感覚に、どことなく似ていたからかもしれない。

 迅はなんとなく気になって、腰の野太刀に手を触れる。

「さっきの、お前の仕業か?」

『……さあ』

 曖昧な返事は、明らかになにかをはぐらかしているようだった。

 だが恐らく、追及してものらりくらりとかわされるだけだろう。この一年間、風花が本当に言いたくないことを聞き出せた試しなどなかった。

(そのうち、気が向いたら話してくれるだろ)

 迅はひそかに嘆息を漏らし、無理にでも楽観的に考えることにした。

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