17
寮に戻る頃には、夕食の時間だった。
生徒達が食堂に集まっているため、寮の廊下にはいつになく人気がなく静かだ。その廊下を歩きながら、迅はレニに話しかけた。
「悪い。結構遅くなっちまったな」
「いえ、いいお話も聞けましたし……それに、楽しかったですよ」
本当に楽しそうに笑うレニを見て、迅はほっと胸を撫で下ろした。少しくらいは、彼女の気を軽くしてあげることができたようだ。
そうこうしている内に、自室の前に辿り着く。迅はさり気なく歩みを緩めて、先にレニをドアの前に立たせる。
彼女が部屋の鍵を開け、真っ暗な居間に足を踏み入れ――
「レニ、おかえり!」
凛奈の声とともに、居間の電気が点いた。同時に、入り口の横に潜んでいた岳がクラッカーを鳴らす。
「え? ……えっ!?」
困惑してあたふたしているレニの肩を叩き、迅は彼女に告げる。
「ちょっと遅れちまったけど、レニの歓迎会だ」
「あっ……でも、そんな。悪いです……」
「もー、変に気を遣わないの。あたし達が祝いたいだけなんだから、レニはどーんと構えてればいいの。ほら、座って座って」
「は、はい……」
凛奈に背中を押され、レニが席に座らされる。その様子をなんとなく微笑ましい気分で眺めながら、迅も後に続いた。
テーブルには並ぶ料理は、思っていたよりも遥かに豪華だった。シンプルだが見栄えよく盛りつけられたシーザーサラダに、香ばしい匂いで食欲をそそられる鶏肉の香草焼き、見るからに辛そうな麻婆豆腐、ほうれん草のキッシュ、そして中央に陣取る土鍋……と、国籍こそめちゃくちゃだが、料理自体はそれぞれ非常に美味しそうだった。
全員が席に座ったのを確認してから、凛奈がオレンジジュースの入ったコップを手にして、咳払いする。
「それでは、レニの歓迎会を始めるにあたって、班長から一言と乾杯の音頭を!」
「お、俺っ!?」
突然話を振られて、迅は思わず変な声を上げてしまった。
隣席に座った岳がにやにやと笑いながら、茶々を入れてくる。
「ほら、さっさと始めてくれよ。こっちは腹減ってんだから」
「やかましい……というか、なんでお前までいるんだ」
「俺もちょっとは料理作るの手伝ったんだ。混ぜてくれたっていいだろ」
「……そうだったのか。すまん」
「いいのよ、気を遣わなくて。ちょっと野菜切ったり、盛りつけてお皿運んだくらいだから。それより、ほら早く」
凛奈に急かされ、迅は諦めてコップを握り、意を決して口を開く。
「えっと……レニが入ってくれて、この班もようやく三人になった。俺達はまだまだ全然だけど、実戦訓練にも参加できるようになったし、レニが来てくれたことは俺達にとっても大きな一歩になったと思う」
そこで一旦言葉を切り、全員の顔を見回してから続ける。
「レニはまだ慣れないことが多くて、色々大変だろうと思うが、ここにいる皆はきっと君の助けになってくれると思う。なにかあったら遠慮なく頼って欲しい」
「は、はいっ」
律儀に返事をするレニに、口元が緩むのを自覚しながら、迅は乾杯の音頭を取る。
「それじゃ――新しい仲間と新しい一歩に、乾杯っ!」
乾杯の声が唱和し、あちこちでコップが打ち鳴らされる。それを合図に歓迎会がスタートした。
迅はひとまず、鶏肉の香草焼きに手を付ける。口に運ぶ寸前、凛奈が不敵な笑みを浮かべているのが見えた。
噛んだ瞬間、こんがりと焼き上がった表面から肉汁が溢れて、口の中に広がる。香草の匂いと鶏肉の旨味を目一杯堪能してから飲み込むと、凛奈が勝ち誇った笑みを浮かべて尋ねてきた。
「どう?」
「……驚いたな。正直、こんなに美味いとは思ってなかった」
率直な感想を告げると、凛奈はますます得意気に笑みを深める。
「だから言ったでしょ? 吠え面かかせてやるって。ほら、もっと泣いて喜んでもいいよ?」
「いや、そこまではしないが……」
ツッコミを入れつつ、他の料理も口に運ぶ。いずれも素材の味を引き立てた見事な料理で、思わず迅は唸ってしまった。
「しかし、本当にすごいな。店で出てきてもおかしくないレベルじゃないか?」
「そんなことないって。真面目に料理してたのだって、半年くらいだし」
「それでこの腕なのか……」
中学銃剣道を制しながら、料理の腕も凄まじく、容姿もモデル並――天は二物を与えずというが、凛奈を見ているととても信じる気にはなれなかった。
レニも鶏肉を器用に箸でつかんだまま、眉を寄せてうなっている。
「でも、凛奈さんがこれほどの腕前だったなんて……これは、食事当番のハードルが一気に上がりましたね……凛奈さんと同じレベルのものなんて、とても作れる気がしないです」
「そんな大げさなもんじゃないって。それに、どうせ食べるのは迅なんだから、普段は適当でいいと思うよ?」
「いえ! せっかくなので、わたしもちゃんとしたものを出せるよう頑張りますっ」
「おー、気合入ってるねぇ」
なにやら決意を新たにするレニを、凛奈は微笑ましげに見守っている。容姿は全然似ていないが、こうして見ていると本当に姉妹のようだ。
ぼんやりとその様子を眺めていると、横から岳が肘でつついてくる。
「いい班になってきたな」
「……お前の妹のおかげだよ」
「どうかな。あいつもアレで難儀な性格だから、この学園に来た時はどうなることかと心配してたが……お前と楽しくやってるのを見て、結構安心してたんだぜ?」
そう言う岳の表情には、珍しく兄らしい慈愛が滲んでいた。
だが、すぐに悪戯っぽく笑うと、凛奈にも聞こえるような声で続ける。
「とはいえ、まさか胸を揉まれたのに、翌日には平然としてられるほど仲良くなってるとは思わなかったけどな」
「なっ!?」
「が、岳兄っ!」
迅と凛奈が、同時に悲鳴じみた声を上げる。
二人の反応を見て満足そうに笑いながら、岳は胡散臭い芝居がかった調子で続ける。
「いやー、二人の仲がそこまで進行してるとは。兄としては複雑だが、ここは素直に祝福しておくべきかな?」
「ば、ば、バカ兄貴っ! そのことは言うなって言ったでしょっ!?」
「どうした、妹よ。顔が赤いぞ?」
「こ、この……っ!」
「ま、まぁ落ち着けって……」
思い出して恥ずかしさが蘇ってきたのか、それとも単に激怒しているからか――凛奈が顔を真っ赤にして岳に詰め寄るのに、迅は慌てて止めに入った。
凛奈が取り乱してくれたおかげで、迅はかえって冷静になれたのだが、それが更に凛奈の怒りに油を注いでしまう。
「迅もなんで平然としてるのよ! 少しは怒りなさいよ!」
「い、いや……さすがに俺が岳に怒るのは筋違いだろ」
「だ、だとしても、少しは動揺しなさいよ! あたしが一人で騒いでて、バカみたいじゃない!」
「んな無茶な……」
凛奈のめちゃくちゃな要求に困惑しつつも、迅は彼女を宥めようとし――
ばんっ! とテーブルを叩く音に、全員が固まった。
見れば、レニが両手をテーブルについた状態で、椅子から立ち上がっていた。うつむいていて表情はわからないが、ぷるぷると震える肩を見ていると、噴火する直前の火山のような不穏さを感じずにはいられない。
その異様な雰囲気に、怒りに燃えていた凛奈ですらも、冷水を浴びせられたようにすっかり勢いをなくしていた。
「れ、レニ……?」
凛奈の呼びかけに、レニはすっと顔を上げる。
その顔に浮かんだ『完璧な作り笑い』は、彼女の怒りをなによりも如実に表していた。
「その話、詳しく聞かせてもらえますか?」
「は、はい……」
――その後、すべてを説明してレニが機嫌を直すまで、一時間ほど費やした。




