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一時間ほどかけて本を五冊選んでから、迅達は図書館棟を出た。
その後も医務室やヴァニロイドの格納庫など、様々な場所を案内して回った。天刃館学園はその性質上、まともな学校にないような施設ばかりなので、レニはかなり興味深そうにしていた。
ひと通り回り終えてから、中庭のベンチで休憩することにした。
「結構歩いたな」
「そうですね……」
レニの声には少し疲労の色が浮かんでいたが、どこか楽しげでもあった。
それに安堵しつつ、迅は沈んでいく夕日をぼんやりと眺めていた。
――凛奈からの連絡はまだない。もう少しレニを学園に留めておかなければならないが、案内も終えてしまったし、ここから先は時間を稼ぐのが大変そうだ。
迅はベンチに腰掛けたまま、思案を巡らせる。こういう時に会話を弾ませられるような話題を、迅は持っていない。岳ならばそういうことも容易いのだろうが、彼ほど器用にはなれなかった。
お互いにしばらく黙って夕日を眺めてから、唐突にレニが口を開いた。
「やっぱり、この学園はすごいですね……見たことないものばかりで、なんだか違う世界に来たみたいです」
「まぁ、あながち間違っちゃいないな」
まともな学校なら、大怪我するほどの剣術訓練なんてしないだろう。
それに、迅も以前は普通の学校に通っていたからわかる。ヴァニルや剣精霊の問題が国際的に議論される現在でも、普通に暮らしている人達はヴァニルのことをどこか対岸の火事のように感じている。迅自身、新宿流星害に遭うまでは、自分がヴァニルと関わるなど思ってもみなかった。
迅の返しに苦笑してから、レニは微かに表情を暗くする。
「でも、変ですね……わたし、ずっとファンタジーの世界に憧れてて、普通の日常なんて退屈だと思っていたのに……こうしてここにいると、なんだか不安でたまらないんです」
「それが普通だよ。皆だって、いきなりヴァニルとの戦いに巻き込まれて、平気なわけないさ」
「そう、かもしれませんけど……」
そこで言葉を切ってから、レニは沈んだ顔で瞳を伏せた。罪の告白をするように続ける。
「わたし、ナハトに選ばれてからずっと怖くて……この学園に来るのも、本当は嫌だったんです。Sランクの剣精霊を持ってるのに、そんなこと考えるなんて、ひどい話ですよね……?」
「戦うのが怖いのは、普通だよ」
迅の慰めの言葉を、レニはかぶりを振って否定した。
「わたしが怖いのは、それだけじゃないんです。わたし……剣術なんて全然やったことないのに、知らない間に皆に期待されて、世界とか平和とか背負わされてて……わたしが選んだことじゃないのに、いつの間にかなにもかも決められてて……それと向き合わなきゃいけないのはわかってるんですけど、それがすごく重たくて、背負いきれなくて……それが、たまらなく怖いんです」
レニの言葉はたどたどしかったが、それだけに彼女の本心であることが伝わってきた。
少しだけためらうように唇を噛み締めてから、彼女は迅に真剣な眼差しを向ける。
「春日君は、怖くないんですか?」
「怖い?」
「はい。春日君には、恐怖心なんかないみたいで……昨日の訓練の時も、大ケガしてるのにわたしを守ってくれて、勝つためにあんな危ない戦い方をして……きっと皆がわたしに期待してるのは、あんな風に戦うことなんだろうなって思って……」
「……どうかな」
レニの指摘に、迅は少しだけ返答に逡巡する。
――自分のことを、誰かにはっきりと話したことは今までなかった。だが、レニの胸に沈んだ恐怖や不安に応えるためには、自分も抱えているものを吐き出したほうがいいのかもしれない。
迅は迷いを振り切るように息を吐いてから、口を開く。
「俺には、目的があるからな。一刻も早く戦場に出たいし、戦うことに怯えていられない。実力が全然伴ってないから、無茶な戦い方をしてるだけだよ」
「目的、ですか……?」
「ああ」
うなずき、続ける。
「俺は、ヴァニルを根絶やしにしたい」
声には、知らず凍りつくような鋭い憎悪が宿っていた。
迅の憎悪に触れてしまったこと気づいたのか、レニの顔が寒気で青くなったように見える。
だが迅は構わず、吐き出す。
「誰かを守りたいとか、そんな大層なことを考えてるわけじゃない。俺はただ、妹の仇を討ちたいだけだ。ただそれだけのために、俺はすべてを賭けてる。君を守ったのだって、そのほうがより多くのヴァニルを殺すのに繋がると思ったからで、君を助けたいと心から思ってたわけじゃない」
それは、少しだけ嘘だった。
最初にレニと出会った時――見も知らぬ少女を守るために、上級生の剣覚を斬ったあの時。迅にはヴァニルのことも頭に無く、レニのランクのことも知らなかった。
あの時考えていたのは、同じように理不尽な暴力で死んでしまった、妹のことだけ。
――かつて守れなかったものを、どうにか取り戻そうと必死になっているだけの、つまらない男だ。
「だから……君は、俺みたいにはならないほうがいい」
「で、でも……春日君がわたしを守ってくれたことには、変わりないです。少なくとも、私にとっては……たった一人のヒーローです」
――兄さんは、私のヒーローですから。
妹の言葉が脳裏に蘇り、迅はそれを振り払うようにかぶりを振った。
「……俺は、ヒーローになんかなれないよ。でも君は違う。Sランクの剣精霊を持った君なら、きっと『皆を守るヒーロー』になれる。それは確かに重たくて、つらいことだけど……その重さを、俺達がまるごと代わってやることはできない」
「そんな……」
かすれた声を漏らし、レニは途方に暮れたようにうつむいてしまった。
見知らぬ人間ばかりの土地に放り込まれて、それでもようやく見つけた目標に、突き放されたのだ。それも当然だろう。
だが、彼女のためを思えば、これが一番正しい。
少なくとも、復讐のために死ぬまで剣を振るい続ける自分の生き方を、見習わせるわけにはいかなかった。
うなだれてしまったレニに、迅は気恥ずかしさを隠すために、なるべく素っ気なく続ける。
「まるごと代わってやることはできないけど……この班にいる間は、一緒に背負ってやることはできる」
「……え?」
すっとんきょうな声を上げて、レニが目を丸くして顔を上げる。
淡く笑いかけながら、思わず迅は彼女の頭に手を伸ばした。
髪を梳くように、そっと頭を撫で――昔、よくそうしてやっていた妹のことを思い出しながら、迅は誓うように言葉を続ける。
「レニにはまだ時間がある。ゆっくり考えて、自分の戦う理由を見つけるんだ。それまでは、俺と凛奈が支えるから」
「春日君……」
「頼りないかもしれないけど……戦いの時、君を絶対に一人にしないし、君に全部を押し付けたりしない」
「ひ、一人に、しない……?」
夕日が差し込み、レニの顔が赤く染まる。なんだか不自然に目を泳がせ始めるのに、迅は首を傾げた。
「どうかしたか?」
「えっと……あの…………いや、なんでもないです」
動揺しながらなにか言いかけ、レニは迅の表情を見て諦めたように嘆息した。それから、半眼で睨んでくる。
「……春日君。そういうこと、あまり他の子に言わないでくださいね?」
「よくわからんが、わかった」
「なら、いいです」
そう言って、レニは小さく微笑んだ。
彼女が少しだけでも元気を取り戻したように見えて、迅は密かに安堵した。同時に、腰のポケットに入れた携帯端末が震え出す。
端末を確認すると、凛奈からの連絡が入っていた。どうやら歓迎会の準備は終わったらしい。
「そろそろ、帰るか」
「そうですね」
迅の提案に、レニがうなずく。
夕闇に染まった中庭を抜け、迅とレニは凛奈の待つ寮に向けて歩き出した。




