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(最悪だ……)
一限目の生態学の講義の最中、迅は教室の隅で一人で頭を抱えていた。
いつもなら近くに座る凛奈やレニは、迅からかなり離れた席に座っていた。凛奈は昨夜の一件で、レニは今朝の一件で、それぞれ腹に据えかねるものがあったようだ。朝食も結局置いて行かれてしまい、迅は久々に一人飯の寂しさを味わう羽目になった。
黒板に板書された内容を書き取りながら、迅は思考を巡らせる。
(こういう時、一体どうすればいいんだ……?)
頼れる友人などいない。強いて言えば岳くらいのものだが、岳に事情を説明するのはさすがに気が引ける。
自分も兄であった立場から考えると、彼氏でもないのに妹の胸をもんだような男がのうのうと目の前に現れたら、迷わず竹刀で斬って捨てる。
迅が黙って頭を抱えている間も、講義は続いていく。
「いつも言っているが、ヴァニルの生態についてはわかっていないことも多い。だが諸君らも知っている通り、彼らの目的ははっきりしている」
静かな教室に、老年の教師の渋みを帯びた声が響き渡る。
それをぼんやりと聞きながら、迅は思案にふける。
――正直なところ、自分が嫌われるだけなら、仕方ないと諦められる。
だが、事は班としての活動に影響する。朝の調子で訓練もままならないようなら、また実戦訓練から外される恐れもある。
迅にとって、それは深刻な問題だった。
「ヴァニルの目的は、略奪だ。より正確にいえば、略奪による進化だ。彼らは人や動物、機械や資源など、様々なものを取り込んで特性を吸収し、自らの進化を促進させる。その性質のために自らの星をも滅ぼし、他の星にまで侵略しに来ているというわけだ。まったく、はた迷惑な話だな」
老教師は説明しながら、皮肉げに笑ってみせた。だが生徒達の中には、そんな話を聞いて笑えるものなどいなかった。
学生達の無反応を気にせず、彼は続ける。
「ヴァニルは地球に来てからも、様々な進化を遂げた。例えば、水棲ヴァニルがその最たる例だろう。彼らの星がどういった環境だったのかは不明だが、最初に地球に現れたヴァニルは陸棲のものだけだった。だが二〇二五年、南米沖で起きた流星害がそれを変えた。海中に落ちたヴァニルたちは、生存のために水棲生物を取り込んで進化した。水棲ヴァニルによって南米沖の生態系は完全に破壊され、現在も漁業にも深刻な影響を与えている。幸いにも飛行するヴァニルなんてものはまだ現れていないが、そんなものが現れたら、もうおしまいかもしれんな」
老教師は板書しながら冗談めかして言うが、まったく洒落になってなかった。
「では、同じように流星に乗って地球に来た剣精霊は、なぜヴァニルと敵対するのか。これも有名な話なので、皆知っているだろう。沢渡兄、答えてみろ」
「はい」
指名され、最前の席に座っていた岳が立ち上がった。突然の指名に驚いた風もなく、淀みなく老教師に答える。
「ヴァニルによって、彼女達の母星が滅ぼされたからです」
「そう。彼女らはいわば、我々から見てヴァニルの被害者仲間といったところだ。人間態と金属態に自在に変化できる彼女らの力は、ヴァニルを鉱物生命体へと進化させた。剣精霊の目的は同胞の復讐と言われている。無論、これらはすべて彼女ら自身の自己申告によるもので、我々人類が正しく裏を取った情報ではないことは、覚えていて欲しい」
仕草で岳を着席させつつ、老教師が熱弁を振るう。
その説明を聞きながら、迅は腰の野太刀を軽く小突いて小声でささやいた。
「お前、ヴァニルに恨みがあるんだったら、余計な厄介事を増やすなよ」
今朝のことを愚痴るつもりで言ったのだが、風花は少しだけ沈黙してから、答えを返してくる。
『……私達にだって、色々あるんです』
「色々?」
『みんながみんな、ヴァニルと戦いたいわけじゃないってことです』
そっけなく告げると、それきり風花は黙りこくってしまった。
風花の言葉の意味はわからなかったが、今の迅はそれについて深く頭を悩ませていられるほど、余裕がなかった。
その後、迅は講義が終わるまで、凛奈とレニにどう謝罪するか黙々と考え続けていた。




