第六十七話
「うぅ……、なんでこんなことに」
ロクに前も見ずに全力で飛んだトイニは、空中で止まるとそう呟きながら俯く。涙の滲む顔を乱暴に擦り、ぼやけた視界を晴らそうとしたその時。
「!? ……ちょっ、魔力が……っ!」
トイニの体から急に力が抜ける。日が落ち、トイニが扱いに長ける筈の魔力が無くなっていっているせいである。その上、先程まで全力で飛んでいたのだ、体内の魔力もかなり少なくなっている。
このままでは飛ぶことも難しい。そう判断したトイニは一度地表に降りる。そして、
「ここ……どこ」
一気に暗くなっていく森と、初めて見る回りの風景を見てざわざわと不安感が心に走る。実際には何度か見た事のある風景なのだが、夜という状況がトイニに初めてという錯覚をさせていたのだ。
視界も悪く、魔力も心もとない。トイニは日が上るか魔力が回復するまで待とうと、近くにあった大木の根元にあったうろの中にへと入る。今の状態で強いモンスターに会えば、まず助からない、少しでも見つからないようにととった行動であったが。
(…………っ)
狭い空間の中はより不安感を増大させる。トイニは膝を抱える姿勢から、さらに腕を狭めて小さく丸まる。
(なんでこうなったんだろ)
静寂が支配する中、トイニは膝に顔を埋めながらため息をつく。思い返せば、今日あの人間に会ってからだろうか、可笑しくなったのは。
あの人間は失礼な奴だと思った、精霊言語を話せる癖に羽のある自分を見て¨精霊¨と言ったのだ。少しでもそっち方面の教養があるなら羽を見て妖精と分かる筈なのに。その姿が気に入らなかった。まるで、¨お前は妖精の器じゃない¨と言われているようで。だが、そんな人間を僕にしているというリースとは良い友人になれそうだった。種族的な垣根も人間よりは低かったし、何より自分を¨若い癖に妖精¨という態度を取らずに普通に接してくれた。
なんだかんだで楽しかった。リースと共に色々と探検したことは、なのに
「はぁ……」
もう何止めかのため息をついたその時、
「チキチキ」
「ひっ!」
顔を上げたその先に虫がいた。虫といっても一般に想像されるサイズではない、外見は羽と複眼を持ち大きさはトイニ程もある。それはまさに虫と呼ぶよりも、
「きゃあああ!!!!!!!」
蟲。そう呼ばれるべき生き物であった。トイニは半ば錯乱しながら、残り少ない魔力で目眩ましの魔法を放つと木のうろから出る。
少しでも遠くに。そう願って足に力を込めて走りだすが、
「ん? 何か見つけたのかい。僕のかわいい僕たち」
木のうろから出てすぐの場所に誰かがいた。外見は大柄に人間程で、月明かりに照らされた肌黒い。そして何よりも目を引いたのは、
「そ、その角……」
「おっ、妖精じゃないか。いやー、目眩ましの里から出てこないから久しぶりに見たよ。これは夜の散歩のかいがあったね」
その男の額に生えた一対の角。それは、紛れもなく魔族の特徴であった。
目の前の魔族はトイニを見て、まるで得をしたような、道端で千円でも拾ったかのような笑みを浮かべて、トイニにへと手を伸ばす。
魔族というのは魔法に優れる一族だ。かつて妖精が魔族に狙われたように、並大抵の種族では太刀打ちすることはできない。全快ならまだしも、魔族にとって今のトイニでは子供を捕らえるようなものだろう。
「さーて、他の妖精が来ると面倒だ。早く帰って魔力を啜るとしよう」
(いや……怖い………っ!)
恐怖から体の動かないトイニを見て、都合がいいとばかりに手を伸ばす魔族。
夜は魔族が活発になる時間。だからオンニ達は万が一に備えて夜には里から出なかった。だから、他の妖精や精霊は皆里にいる。助けは来ない。否、来れないのだ。トイニは元々里内でも好かれてはいなかった。そんな存在を助けてに来る者など普通居ない。しかし、
「助けて……っ!」
「了解!」
「ぶっ!?」
人間の癖に妖精言語すら使いこなし、つまはじき者なトイニと契約を結ぶ。そんな普通でない異常ならどうだろうか。
「ニンゲン!」
「全く、とんだじゃじゃ馬妖精と契約を結んだものだな」
木の上から飛来したライトは、疾脚で強化された足での飛び蹴りを魔族に放ちながら登場した。トイニにとってはロクに知らない相手。しかし、今は目の前の彼がとても頼もしかった。
「キサマ……よくも僕の頬に傷をつけたな」
「なんならもう片方にもつけて、左右対称にしてやろうか?」
顔を蹴られ後退りした状態で、蹴られた頬を擦りながら静かに激怒する魔族と挑発しながら構えをとるライト。
ライトが有利なように見えて、その実全体重を乗せた上に不意打ちだったにも関わらず、対して効いていないというこの状況。
今、まさに魔族対ライトの闘いが始まろうとしていた。