第百七十七話 道場
「なんだ? そろそろ寝ようかと思ってたんだが」
「そういえばアンタと私、大会で当たったけど正気じゃなかったじゃない」
「今からやる気か? 風呂上がりに激しい運動する気かよ」
実のところゲーム世界である以上、激しく動いたところで汗などの不快感はほぼない。それでもライトが消極的なのは、いまさっき過剰集中を使ったばかりだというのに、再度使わされるのは避けたいからである。
「何も本気でやろうってわけじゃないわよ。ついてきて」
ライトの返事も聞かずにリンは歩き出す。適当な理由をつけて部屋に戻ってしまおうかとも思ったが、目線を動かすとロロナとリュナの二人が期待する目で見ているのもあって断りにくい。小さくため息をついてから後ろについていくと、旅館のはずれにある『修練室』とかかれた部屋に入っていく。
中は板張りの道場のようになっており、その中央に立ったリンがこちらに向き直る。
「ここの部屋は特殊なトレーニングルームになっててね、素手に限ってスキル無しでもダメージが出るようになってるのよ」
「いいのか? ここにきてから剣しか使ってなかったんじゃないか?」
「久崎流は得物を選ばず、よ。でもアーツは無しでやりましょ、それなら軽いでしょう」
構えをとるリン相手の正面に立ち、ライトも鏡合わせのように半身になって構えをとる。ベースが同じ流派というだけあって、構えはほぼ同じである。
アーツ無し、武器無しとくれば、身体能力を覗けばかつて久崎流の道場でやっていた組手とほぼ同じ条件。
(あの頃は私の方が強かったけど、光一の実力はあの時のままじゃないわよね)
「シッ!」
先に動いたのはリンであった。動き出しと同時に右正拳突きを放つ、基本に忠実な型であり普段は剣
を使って戦闘しているとは思えない綺麗さである。が、それよりも早くライトの拳がリンに直撃した。
「うっ……」
「まだまだいくぞ」
速度を重視したのもあって、ダメージは殆どないがリンの体勢は崩されてよろけてしまう。ライトは一気に距離を詰め、リンの隣につくと左拳を脇腹に突き刺す。
リンは何とかライトの拳と自身の脇腹の間に肘を滑り込ませ防御するが、斜めに上ベクトルの攻撃をうけたため、両の足裏から踏ん張る力が一気に弱くなる。リンは腕を振ってライトを追い払おうとしたが、そんな破れかぶれの暴れはお見通しとばかりにかいくぐると同時にけたぐりで足を払う。
「まず一本か?」
「っ! まだまだ!」
リンは地面に横たわる直前に手をクッションにして、逆にライトの顔めがけて蹴りを放つもあっさりと避けられて逆に腹部に前蹴りが刺さる。
「私は近接戦の心得がないので分からないのですが、ここまで一方的になるものですの?」
道場の隅で見学していたフェニックスは、横にいるロロナとリュナに問いかける。近接戦に関しては普段のパーティ戦で同じメンバーのリンが前衛兼遊撃として戦っている姿を見ていると、ここまで一撃たりとも当たりそうにないのは不思議に思うのである。
「コノ条件だとかなりライトに有利だからネ」
「……近接でアーツ無しは厳しい」
リンと同じく、近接職でライトと戦ったことのある二人はそう話す。
アーツ無しの素手であれば、戦闘力は単純なリーチと速さ、攻撃力が大きく関係する。そして、リンとライトでは拳一つ分近いリーチ差があり、これがただの喧嘩なら圧倒的にライト有利である。しかし、現実世界で二人が組手をした時はリンが全戦全勝であった。
リンという天才からすれば、多少のリーチ差があろうともかいくぐり攻め立てるぐらい造作もない。が、この世界ではリンよりもライトが強気に距離を詰め、ひたすら圧倒していた。
ロロナもリュナもライトと戦うには、アーツやスキルを駆使してようやく彼の速度についていけるかどうかなのだ。素の速度ならAWOイチは伊達ではない。リンがいくらフェイントを駆使してところで、それを見てから反応できてしまうのだ。
(一撃当てればいけるんだけど)
ライトの攻撃を防御しながらリンは思考する。攻撃力の関係で彼女のHPはほとんど減ってはおらず、逆にこちらの攻撃が当たればライトのHPを吹き飛ばす程度わけはない。しかも、道場ではHPがゼロになる前に一で止まり、組手が終了するというシステムであり疑似的に即死回避も封じている。
つまり、一度当てさえすればリンの勝ちであり、アーツも武器も使えないという緊張感の中でならミスを誘って当てられると考えていたのだ。
(この集中力、ずっとソロでやっていた賜物なのかしら)
いくらリンが天才だとしても、こんな半ば遊びのような闘いでも高い集中力を維持し続けるのは難しい。そんなことを成し遂げる力こそがライトが持つ一番の強みなのだろうと、神の従者の存在を知らない彼女は勝手に納得する。
「?」
「終わりだな、風呂上がりの運動には激しすぎるくらいだろ」
リンが何度目かの突撃をしようとした時、道場内の鳩時計が鳴り彼女の目の前に『Lose』の文字が現れる。
「あ、あんた……」
「軽くって言ったろ、もうそろそろ寝かせてくれよ」
このリンからのPVPを受ける直前、ライトはルールに時間制限を組み込んでいたのだ。格闘ゲームのように時間切れになれば、その時にHPの割合が多い方が勝ちになるというルールに変更していたため、まともにやれば削り切れないようなアーツ、武器禁止縛りを受け入れたのだ。
「はぁ……ま、いいわ。このままやっても勝てそうにないしね」
「このルールじゃ俺が有利すぎるぐらいだったからな」
「今度やるときは互いに全力でやりましょ」
「……そんな機会があったらな」
満足したように伸びをしたリンは、最後にそんな言葉を言い残してフェニックスと共に道場を出ていくのであった。
「ネ、今度はボクとやろうよ」
「さっき言ったろうが、もう遅いし風呂上りにこれ以上運動したくねぇっての」
「もー、仕方ないネ。今日はいい勝負も見れたし、これで戻るヨ」
しつこく誘ってくるロロナをなんとか振り払い、ライトはようやく帰路につくことができたのだが、
「いつまで着いて来る気だ?」
「……あの人が呼び出された。着いてきてほしい」
まだ夜は終わらない。